寒い夜の自画像

   1

きらびやかでもないけれど、
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域をすぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を、我は嘆かず、
人々の憔懆のみの悲しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を、
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。
蹌踉めくままに静もりを保ち、
聊か儀文めいた心地をもって
われはわが怠惰を諌める、
寒月の下を往きながら、

陽気で坦々として、しかも己を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!……

   2

恋人よ、その哀しげな歌をやめてよ、
おまえの魂がいらいらするので、
そんな歌をうたいだすのだ。
しかもおまえはわがままに
親しい人だと歌ってきかせる。

ああ、それは不可ないことだ!
降りくる悲しみを少しもうけとめないで、
安易で架空な有頂天を幸福と感じ倣し
自分を売る店を探して走り廻るとは、
なんと悲しく悲しいことだ……
   
   3

神よ私をお憐れみ下さい!

 私は弱いので、
 悲しみに出遇うごとに自分が支えきれずに、
 生活を言葉に換えてしまいます。
 そして堅くなりすぎるか
 自堕落になりすぎるかしなければ、
 自分を保つすべがないような破目になります。

神よ私をお憐れみ下さい!
この私の弱い骨を、暖いトレモロで満たして下さい。
ああ神よ、私が先ず、自分自身であれるよう
日光と仕事とをお与え下さい!

中原中也
山羊の歌」所収
1929

喪のある景色

うしろを振りむくと
親である
親のうしろがその親である
その親のそのまたうしろがまたその親の親であるというように
親の親の親ばっかりが
むかしの奧へとつづいている
まえを見ると
まえは子である
子のまえはその子である
その子のそのまたまえはそのまた子の子であるというように
子の子の子の子の子ばっかりが
空の彼方へ消えているように
未来の涯へとつづいている
こんな景色のなかに
神のバトンが落ちている
血に染まった地球が落ちている

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940

<毛>のモチイフによる或る展覧會のためのエスキス

  a

からむからだふれあふひとふとひふはだにはえる毛

なめる舌すふくちびる噛む歯つまる唾のみこむのど のどにのびる毛
くらいくだびつしり おびただしい毛毛毛毛毛毛毛毛

  b

けだものの毛くだものの毛ももの毛ものの毛
けものの毛
けばだつ毛
けばけばしい毛
けむたい毛
けだるい毛倦怠の毛
けつたいな毛奇つ怪な毛經快な毛
けいはくな經毛驗の毛敬虔な形而上の毛警視廳の警守長の
毛けむりの毛むっりな毛むだな毛
けちんぼの毛
げびた毛? カビた毛
おこりつぽいをとこの毛?
ほこりつぽいほとけの毛
ほとけの毛?
  のほとりの毛

 c

ガ毛ギ毛グ毛ゲ毛ゴ
餓鬼 劇 後家 崖 玩具 ギヤング 銀紙 ギンガム
の毛

 d

ゆらゆりゆるゆれゆれる藻
ぬらぬりぬるぬれぬれる藻
もえるもだえるとだえるとぎれるちぎれるちぢれるよぢれるみだれる
みだらなみづの藻のもだえの毛のそよぎ

 e

目目しい目
耳つ血い耳
鼻鼻しい鼻
性性洞洞
すてきなステツキ
すて毛なステツ毛

那珂太郎
音楽」所収
1966

僧侶

四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自潰
一人は女に殺される

四人の僧侶
めいめいの務めにはげむ
聖人形をおろし
磔に牝牛を掲げ
一人が一人の頭髪を剃り
死んだ一人が祈祷し
他の一人が棺をつくるとき
深夜の人里から押しよせる分娩の洪水
四人がいっせいに立ちあがる
不具の四つのアンブレラ
美しい壁と天井張り
そこに穴があらわれ
雨がふりだす

四人の僧侶
夕べの食卓につく
手のながい一人がフォークを配る
いぼのある一人の手が酒を注ぐ
他の二人は手を見せず
今日の猫と
未来の女にさわりながら
同時に両方のボデーを具えた
毛深い像を二人の手が造り上げる
肉は骨を緊めるもの
肉は血に晒されるもの
二人は飽食のため肥り
二人は創造のためやせほそり

四人の僧侶
朝の苦行に出かける
一人は森へ鳥の姿でかりうどを迎えにゆく
一人は川へ魚の姿で女中の股をのぞきにゆく
一人は街から馬の姿で殺戮の器具を積んでくる
一人は死んでいるので鐘をうつ
四人一緒にかつて哄笑しない

四人の僧侶
畑で種子を撒く
中の一人が誤って
子供の臍に蕪を供える
驚愕した陶器の顔の母親の口が
赭い泥の太陽を沈めた
非常に高いブランコに乗り
三人が合唱している
死んだ一人は
巣のからすの深い咽喉の中で声を出す

四人の僧侶
井戸のまわりにかがむ
洗濯物は山羊の陰嚢
洗いきれぬ月経帯
三人がかりでしぼりだす
気球の大きさのシーツ
死んだ一人がかついで干しにゆく
雨のなかの塔の上に

四人の僧侶
一人は寺院の由来と四人の来歴を書く
一人は世界の花の女王達の生活を書く
一人は猿と斧と戦車の歴史を書く
一人は死んでいるので
他の者にかくれて
三人の記録をつぎつぎに焚く

四人の僧侶
一人は枯木の地に千人のかくし児を産んだ
一人は塩と月のない海に千人のかくし児を死なせた
一人は蛇とぶどうの絡まる秤の上で
死せる者千人の足生ける者千人の眼の衡量の等しいのに驚く
一人は死んでいてなお病気
石塀の向うで咳をする

四人の僧侶
固い胸当のとりでを出る
生涯収穫がないので
世界より一段高い所で
首をつり共に嗤う
されば
四人の骨は冬の木の太さのまま
縄のきれる時代まで死んでいる

吉岡実
「僧侶」所収
1958

黙っていても

黙っていても
考えているのだ
俺が物言わぬからといって
壁と間違えるな

壺井繁治
「果実」
1946

パンク

狂い坊主が歩いて行きます
うちわのような太鼓をたたき
荒々しく狂い坊主が歩いて行きます
けれどパンクしたバスはなおりません

トラックが通ります
白色の標識が目にしみます
馬があばれます
女学生が悲鳴をあげます
赤色の筆箱が転りおちます
けれどパンクしたバスはなおりません

着かざった女の人がかん高く笑います
女学生が歌をうたいます
ハイヒールをはいた人がつまづきます
男の人がキングの本をよんでいます
けれどパンクしたバスはなおりません

江島寛
「江島寛詩集」所収
1954

枯木と私

私もお前のやうに
時には天を刺したい。
サクレツする事の出来ない
老いたる者の怒りのやうな。
動物園の鷹のやうな。

松木千鶴
「松木千鶴詩集」所収
1949

さんたんたる鮟鱇

――へんな運命が私を見つめている  リルケ
 
顎を むざんに引っかけられ
逆さに吊りさげられた
うすい膜の中の
くったりした死
これは いかなるもののなれの果だ

見なれない手が寄ってきて
切りさいなみ 削りとり
だんだん稀薄になっていく この実在
しまいには うすい膜も切りさられ
惨劇は終っている

なんにも残らない廂から
まだ ぶら下っているのは
大きく曲った鉄の鉤だけだ

村野四郎
抽象の城」所収
1954

夜明け

私は遅刻する。世の中の鐘がなってしまったあとで、私は到着する。私は既に負傷している‥‥

菱山修三
「懸崖」所収
1931

「あそこの電線にあれ燕がドレミハソラシドよ」

 ――毎日こんなにいいお天気だけれど、もうそろそろ私たちの出発も近づいた。午後の風は胸に冷めたいし、この頃の日ぐれの早さは、まるで空の遠くから切ない網を撒かれるやうだ。夕暮の林から蜩が、あの鋭い唱歌でかなかなかなかなと歌ふのを聞いてゐると、私は自分の居る場所が解らなくなつてなぜか泪が湧いてくる。
 ――それは毎年誰かの言ひだすことだ。風もなかつたのに、私は昨夜柿の実の落ちる音を聞いた。あんなに大きく見えた入道雲も、もうこの頃では日に日に小さくなつて、ちよつと山の上から覗いたかと思ふと、すぐまたどこかへ急いで消えてしまふ。
 ――私は昨夜稲妻を見ましたわ。稲妻を見たことがある? あれが風や野原をしらぬ間にこんなにつめたくするのでせう。これもそのとき見たのだけれど、夜でも空にはやはり雲があるのね。
 ――あんなちつちやな卵だつたのに、お前も大変もの知りになりましたね。
 ――さあみんな夜は早くから夢を見ないで深くお眠り、そして朝の楽しい心で、一日勇気を喪はずに風を切つて遊び廻らう。帰るのにまた旅は長いのだから。
 ――帰るといふのかしら、去年頃から、私はどうも解らなくなつてしまつた。幾度も海を渡つてゐるうちに、どちらの国で私が生れたのか、記憶がなくなつてしまつたから。
 ――どうか今年の海は、不意に空模様が変つて荒れたりなどしなければいいが。
 ――海つてどんなに大きいの、でも川の方が長いでせう?
 ――もし海の上で疲れてしまつたらどうすればいいのかしら。海は水ばかりなんでせう。そして空と同じやうに、どこにも休むところがないのでせう、横や前から強い風が吹いてきても。
 ――疲れてみんなからだんだん後に遅れて、ひとりぼつちになつてしまつたらどんなに悲しく淋しいだらうな。
 ――いや、心配しなくていいのだ。何も心配するには当らない。海をまだ知らないものは訳もなくそれを飛び越えてしまふのだ。その海がほんとに大きく思へるのは、それはまだお前たちではない。海の上でひとりぼつちになるのは、それはお前たちではないだらう……。けれども何も心配するには当らない。私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過ちからでなく起つてくることが、何でそんなに悲しいものか。今までも自然がさうすることは、さうなつてみれば、いつも予め怖れた心配とは随分様子の違つたものだつた。ああ、たとへ海の上でひとりぼつちになるにしても……。

三好達治
測量船」所収
1930