Category archives: 1960 ─ 1969

母という字を書いてごらんなさい

母という字を書いてごらんなさい
やさしいように見えて むずかしい字です
格好のとれない字です
やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
泣きくずれたり…笑ってしまったり
お母さんにはないしょですが
ほんとうです

サトウハチロー
おかあさん」所収
1961

お団子のうた ─母とは何故こうもあわれが残るものなのか─

病弱な小さい娘が育つように と
後家になりたての若い女は
笠森稲荷へ生涯のお団子を断った

神仏を信じるには
神仏にそむかれすぎた母が
その故に迷信を一切きらった母が
「断ちもの」をしたということに
娘はいつも重い愛情の負い目を感じてきた
串がなくとも丸いアンコの菓子に
「××団子」とうたってあれば
老いても女はかたくなにそれを拒んだ
「約束は守るためにするもの」
せっぱつまった愚かな母の愛を
賢い人間の信条が芋刺しにして
女の幸うすい一生は閉じられた

毎月十七日
娘は母の命日に必らずお団子を供えるのだ
 義理固かったお母さん
 あなたはいろいろな約束を守りすぎて
 身動きの出来ない人生を送りましたね
 でも もう みんなおしまい
 あなたを苦しめぬいた人間の約束事は
 人間でなくなったあなたには無用のもの
 さあ 一生涯分お団子を食べて!

明治の女の律気なあわれさ
娘は片はしからお団子をほほばっては
親のカタキ 親のカタキ と
とめどのない涙をながしつづけた

山下千江
「山下千江詩集」所収
1967

西武園所感 ─ ある日ぼくは多摩湖の遊園地に行った

詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
みみっちく淋しい日本の資本主義
ぼくらに倒すべきグラン・ブルジョアがないものか
そうだとも ぼくらが戦うべきものは 独占である
生産手段の独占 私有生産手段である
独占には大も小もない すでに
西武は独占されているのだ

君がもし
詩を書きたいなら ペンキ塗りの西武園をたたきつぶしてから
書きたまえ

詩で 家を建てようと思うな 子供に玩具を買ってやろうと
思うな 血統書づきのライカ犬を飼おうと思うな 諸国の人心にやすらぎをあたえようと思うな 詩で人間造りができると思うな

詩で 独占と戦おうと思うな
詩が防衛の手段であると思うな
詩が攻撃の武器であると思うな
なぜなら
詩は万人の私有
詩は万人の血と汗のもの 個人の血のリズム
万人が個人の労働で実現しようとしているもの
詩は十月の午後
詩は一本の草 一つの石
詩は家
詩は子供の玩具
詩は 表現を変えるなら 人間の魂 名づけがたい物質
必敗の歴史なのだ

いかなる条件
いかなる時と場合といえども
詩は手段とはならぬ
君 間違えるな

田村隆一
「言葉のない世界」所収
1962

晩夏

停車場のプラットホームに
南瓜の蔓が葡いのぼる
閉ざれた花の扉のすきまから
てんとう虫が外を見ている
軽便車が来た
誰も乗らない
誰も下りない
柵のそばの黍の葉つぱに
若い切符きりがちょっと鋏を入れる

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

遠景

草原の上に腰を下して
幼い少女が
髪の毛を風になびかせながら
むしんに絵を描いていた。
私はそっと近よって
のぞいて見たが
やたらに青いものをぬりつけているばかりで
何をかいているのか皆目わからなかった。
そこで私はたずねて見た。
──どこを描いているの?
少女はにっこりと微笑して答えてくれた。
──ずっと向こうの山と空よ。
だがやっぱり
私にはとてもわからない
ただやたらに青いばかりの絵であった。

木山捷平
木山捷平全詩集」所収
1968

青春の健在

電車が川崎駅にとまる
さわやかな朝の光のふりそそぐホームに
電車からどっと客が降りる
十月の
朝のラッシュアワー
ほかのホームも
ここで降りて学校へ行く中学生や
職場へ出勤する人々でいっぱいだ
むんむんと活気にあふれている
私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ
ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように
昔ながらのかばんを肩からかけている
私の中学時代を見るおもいだ
私はこの川崎のコロムビア工場に
学校を出たてに一時つとめたことがある
私の若い日の姿がなつかしくよみがえる
ホームを行く眠そうな青年たちよ
君らはかつての私だ
私の青春そのままの若者たちよ
私の青春がいまホームにあふれているのだ
私は君らに手をさしのべて握手したくなった
なつかしさだけではない
遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く
若い労働者たちよ
さようなら
君たちともう二度と会えないだろう
私は病院へガンの手術を受けに行くのだ
こうした朝 君たちに会えたことはうれしい
見知らぬ君たちだが
君たちが元気なのがとてもうれしい
青春はいつも健在なのだ
さようなら
もう発車だ 死へともう出発だ
さようなら
青春よ
青春はいつも元気だ
さようなら
私の青春よ

高見順
死の淵より」所収
1964

航海を祈る

それだけ言えば分ってくる
船について知っているひとつの言葉
安全なる航海を祈る

その言葉で分ってくる
その船が何処から来たのか分らなくても
何処へ行くのか分ってくる

寄辺のない不安な大洋の中に
誰もが去り果てた暗いくらがりの中に
船と船とが交しあうひとつの言葉
安全なる航海を祈る

それを呪文のように唱えていると
するとあなたが分ってくる
あなたが何処から来たのか分らなくても
何処へ行くのか分ってくる
あなたを醜く憎んでいた人は分らなくても
あなたを朝焼けのくれないの極みのように愛している
ひとりの人が分ってくる

あるいは荒れた茨の茂みの中の
一羽のつぐみが分ってくる
削られたこげ茶色の山肌の
巨熊のかなしみが分ってくる

白い一抹の航跡を残して
船と船とが消えてゆく時
遠くひとすじに知らせ合う
たったひとつの言葉
安全なる航海を祈る

村上昭夫
動物哀歌」所収
1967

シジミ

夜中に目をさました。
ゆうべ買つたシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。

「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクツテヤル」

鬼ババの笑いを
私は笑つた。
それから先は
うつすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかつた。

石垣りん
表札など」所収
1968

竹売りが竹売りに来る
妻が竹売りと大声で話している
まけろ、まけぬの問答がつづく
やがて竹売りが去り
新しい青竹が軒ばたにたてかかる
青竹がからりとした新緑の空に映える
私は青竹をつたって天にのぼる
じつに毎日天にのぼる
じつに毎日天からはきおとされる
ああ、病癒えず いまは毎日はきおとされているのである
はきおとされては
またかけのぼる日のことを考え
またはきおとされているのである
私は竹のような痩せ腕をさする
妻はせわしいせわしいと 新しい
青い生きものをふるように物干し顔をふりまわし
陽あたりのいい場所をみつけている

遠地輝武
「遠地輝武詩集」所収
1961

山鴫

谷間は暮れかかり
燐寸を擦ると その小さい焔は光の輪をゑがいた

やうやく獲た一羽の山鴫
まだぬくもりのある その山鴫の重量に
私はまた別の重いものを感じた

雑木林を とびたった二羽の山鴫
褪せかけた夕映が銃口にあった

田中冬二
「晩春の日に」所収
1961