Category archives: 1950 ─ 1959

夜の停留所

室内楽はピタリとやんだ
終曲のつよい熱情とやさしみの残響
いつのまにか
おれは聴き入っていたらしい
だいぶして
楽器を取りかたづけるかすかな物音
なにかに絃のふれる音
そして少女の影が三四大きくゆれて
ゆっくり一つ一つ窓をおろし
それらのすがたは窓のうちに
しばらくは動いているのが見える
と不意に燈がいちどに消える
あとは身にしみるように静かな
ただくらい学園の一角
ああ無邪気な浄福よ
目には消えていまはいっそうあかるくなった
窓の影絵に
そっとおれは呼びかける
おやすみ

伊東静雄
反響以後」所収
1953

ひばりのす

ひばりのす
みつけた
まだたれも知らない
あそこだ
水車小屋のわき
しんりょうしょの赤い屋根のみえる
あのむぎばたけだ
小さいたまごが
五つならんでる
まだたれにもいわない

木下夕爾
児童詩集」所収
1955

反逆

数丈になほあまる
監獄の赤い煉瓦の壁をまつすぐにのぼるとかげよ
お前の恐ろしい凄い眼よ
お前の白刃と光らす鱗よ
誰を呪ひ、誰を恨んで、このまつぴるまにお前は何処へのぼつて行くのか
數丈になほあまる
監獄の赤い煉瓦の壁をまつすぐにのぼるとかげよ。

松本淳三
1950

再生

野菊があたりまへに咲いてゐる
原つぱだが牛もゐない
寝ころんでみる
風が少しあるので
野菊がふるへてゐる
背中が冷めたい
どくどくと地球の脈がする
嘘のないお陽さまが
僕を溶かしてしまひさうだ
なにもかもが僕の心をきいてゐる
野菊は咲いてゐるし
ここにこのまま埋まつてしまひ
来年の野菊には
僕がひいらいたひらいた

淵上毛錢
1950

詩について語らず

 詩の講座のために詩について書いてくれというかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないような心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なおも固辞したものの、結局その書けないといういわれを書くようにといわれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういわれを書こうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはっきり分るくらいなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいわれ知らずに書けないのだという外はないのでしょう。
 詩は書いていながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでしょう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却って何も分らなくなってしまった状態です。今頃になってますます暗中摸索という有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいう詩と同じものであるかどうかさえ今では自己に向って確言出来ないとも思える時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念というものを私は殆と踏みにじって来たといえます。従って、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、という系列とは別個の道を私は歩いています。詩という言葉から味われるあの一種の特別な気圧層を私は無視しています。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によって放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違った方向の本質を持っていて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だろうと考えますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしていないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけている次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になって、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思うのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考えるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によって放電作用を行うというわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なおいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語という特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考え方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いわゆる刀刃上をゆく者の境地にいて自分だけの詩を体当り的に書いていますが、その方式については全く暗中摸索という外ありません。いつになったらはっきりした所謂詩学が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。
 私は以上のような者であり、又以上のような場に居ます。これで今私が詩について書けないといういわれを書いたことになるでしょうか。ともかくもこの通りです。

高村光太郎
「昭和文学全集第四巻」所収

卵のかげ

みんなのこえが天にのぼるのだが
みんなのかなしみが雲になるのだが
みんなの夢は風になるのだが───
 
天は光がまぶしくて
かんがえることもできはしない
どこまでふかれてゆけばよいのかしら
いつまで待っても
返事がこないのだよ どこからも
 
みしらぬ砂漠に小さな花が咲いていて
どこかの海辺にくらげたちが遊んでいるばかり
 
時間の中で月が小さくなってゆくのだ
空間の奥で太陽も消えてなくなるのだ
 
卵のかげみたいに うす青く
地球のかげが
虚無にうつっているのは美しいな

蔵原伸二郎
詩誌「雑草」初出
1951

露骨な生活の間を

毎日夕方になると東のほうの村から
三人の親子のかつぎ屋が
驛に向つてこの部落をとおる
母親と十二、三歳の女の子と
まだ十になつたとも思われぬ男の子だ
めいめい精いつぱいに背負い
からだをたわませて行くかれら
ずん/\暮れるたんぼ道を
かれらはよく小聲をあわせてうたつていく
そのやさしくあかるい子供うたは
いちばん小さい男の子をいたわり
またみんなをはげまして
小聲の一心な合唱が
うず高い荷物の一かたまりからきこえる

それは露骨な生活の間を縫う
ほそい清らかな銀絲のように
ひと筋私の心を縫う

(いまどんなお正月がかれらにきているか)

伊東静雄
「「反響」以後」所収
1953

四千の日と夜

一篇の詩が生れるためには、
われわれは殺さなければならない
多くのものを殺さなければならない
多くの愛するものを射殺し、暗殺し、毒殺するのだ

見よ、
四千の日と夜の空から
一羽の小鳥のふるえる舌がほしいばかりに、
四千の夜の沈黙と四千の日の逆光線を
われわれは射殺した

聴け、
雨のふるあらゆる都市、溶鉱炉、
真夏の波止場と炭坑から
たったひとりの飢えた子供の涙がいるばかりに、
四千の日の愛と四千の夜の憐みを
われわれは暗殺した

記憶せよ、
われわれの眼に見えざるものを見、
われわれの耳に聴えざるものを聴く
一匹の野良犬の恐怖がほしいばかりに、
四千の夜の想像力と四千の日のつめたい記憶を
われわれは毒殺した

一篇の詩が生むためには、
われわれはいとしいものを殺さなければならない
これは死者を甦らせるただひとつの道であり、
われわれはその道を行かなければならない

田村隆一
四千の日と夜」所収
1956

遠い友よ

風のなか
まひるの山の峠で出あつた
あなたよ

こかげの岩かげで
二人はしばらく 蝉の声に
耳をかたむけ
遠い雲をみていたつけ

あなたはのぼり道 私は下り
あのひとときの出会い
みじかい対話
あかるい イメージ

風のなか「さようなら」
桔梗が一本ゆれていたつけ
あなたは やがて

白い夏帽子に真昼の陽をうけ
蝶のように
すすきのかげに消えていつた

蔵原伸二郎
「岩魚」所収
1955

一度だけの人生

目をさますと虫がないている

もう秋だと夜明けの暗さのなかで僕は思う

 

誰にもくりかえされる感慨

くりかえされる事実

 

僕にとっては四十二回くりかえされる秋

ああ くりかえされる人生

 

僕の人生は僕にとっては一度だけの人生だが

人生というものは秋に虫の声というようなくりかえしではないか

 

それでもいい

くりかえされる感慨は軽くても事実は軽くない

 

くりかえしの人生を自分だけの人生にすること

するようにと無理に努めることなく自ずとそうなっているようにすること

 

自分に言いきかす言葉の しかし 軽いことよ

陳腐とはいえ不変の感慨の方がまだ重い

 

その重さを胸の上に感じながら僕は呟く

くりかえされる人生のなかの一度だけの人生

 

薄暗い空がだんだん明るくなる

物音とともに虫の声が聞こえなくなる

 

虫の声が消えると

くりかえされる人生のくりかえされる一日がはじまる

 

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1950