Category archives: 1930 ─ 1939

帆が歌つた

帆が歌つた

暗い海の空で羽博いてゐる鴎の羽根は、肩を回せば肩に触れさうだ。
暗い海の空に啼いてゐる鴎の声は、手を伸ばせば掌に掴めさうだ。
掴めさうで、だが姿の見えないのは、首に吊したランプの瞬いてゐるせゐだらう。
私はランプを吹き消さう。
そして消されたランプの燃殻のうへに鴎が来てとまるのを待たう。

ランプが歌つた

私の眼のとどかない闇深く海面に消えてゐる錨鎖。
私の眼のとどかない闇高くマストに逃げてゐる帆索。
私の光は乏しい。盲目の私の顔を照らしてゐるばかりだ。
私に見えない闇の遠くで私を瞶めてゐる鴎が啼いた。

鴎が歌つた

私の姿は私自身にすら見えない。
ましてランプや、ランプに反射してゐる帆に見えようか?
だが私からランプと帆ははつきり見える。
凍えて遠く、私は闇を回るばかりだ。

丸山薫
「帆・ランプ・鴎」所収
1932

孤独の日の真昼

濡れた草場にかくれて
僕の くりかへした
さまざまの 窮屈な姿勢は
何とみじめにこころよかつたことか

誰からも見られてゐない確信と
やがて 悔ゐへの誘ひと─
その時 真昼が
匂ふやうであつた

太陽は甘く媚び
戦ぎはいつしか絶え…
小鳥の唄だけ 遠く囁いてゐた

ああ 聖らかな
逃れ去り行く 繋がれてあるこの一刻
この欲情のただしさを

立原道造
萱草に寄す」所収
1937

大儀

躓いたら轉んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また、
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに、
さよならを先に言ふて置きたいのである
あるひは、
食べたその後は、口も拭かないでぼんやりとしてゐたいのである
すべて、
おもうだけですませて、頭からふとんを被つて沈澱してゐたいのである
言いかへると、
空でも被つて、側には海でもひろげて置いて、人生か何かを尻に敷いて、膝頭を抱いてその上に顎をのせて背中をまるめてゐたいのである。

山之口貘
定本山之口貘詩集」所収
1936

詩の俳優

ああ、私をして
この有頂天から突き落せよ、
私は詩の俳優なんだ
演技がまづけりや笑つてくれ給へ。
私はこれから気取るのだ、
私は女のやうに半襟を選むんだ、
私は自分の部屋での
苦しみで不足して
のこのこ舞台の上にまで呻きにゆくんだ。
この恥さらしのために
誰がカッサイをしてくれるか、
私は誰をひきつけることができるか、
君は立派だ、
君は男らしいわが友よ、
貴方は美しい、
貴方は女らしい、わが恋人よ、
私の俳優にとつて
なんと豊富な観客の数だらう、
私にかつさいをするもののために
私は狂気になりさうだ。
私に焼けた鉄の棒を呑ましてくれよ、
民衆よ、わが馭者よ、
私をブッ倒らせるほど
つかひまくれ、
私のグループは
すでに手順が揃つた、
彼は幕引き
慎重なる態度で
私が真実に
涙をながした瞬間に幕をひいてくれる、
某は銅鑼たたき、
なんと情熱的なる狂ひタタキよ、
某々は衣裳掛り、
私に紗のウスモノを着せたり
鉄のヨロヒを着せたり忙がしい、
猛る観客のために
舞台には奔馬をひきだす、
血を欲する観客のために
私はほんとうに血を流してみせねばならぬ、
観客よ、
私にほんとうに死ねといふのか、
――あいつは変な存在だし
  足手まといな三文役者だ、
  とつとと血を流せ
と君は言ふのか、
まてしばし
わが友よ、民衆よ、
私の詩人にいま暫らく
生き永らへさせよ、
私をして焔のセリフを
舞台から吐かせろ――。
いまや私は決闘の時間だ、
私に悠々閑々たる
たたかひの時間を与へよ、
いまや私は食事の時間だ、
舞台の上のレストランだ、
ビールはほんものだし、
ブクブク泡の立つた奴だ、
私はこいつをグイとひつかけて
幾分酔ふ、
滑稽なコロッケに
憂鬱なソースをかけて喰ふ
私の演技の
こまかいところを買つてくれよ。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935

二月の雪

陣痛三十三時間をこえしとき
かのよき看護婦は腕まくりして入り来たり
そのくくり顎の一ふりもてわれを室外に追いだせり
何が起るものなりや
ドアの握りをうしろ手にしめつつ
われは祈りのごとくうすき泪の湧くを感ず

廊下は長からず
つきあたりの窓より見おろせば
小学校校庭の雪は煤煙によごれたり
ここらあたりにてまわれ右をするは許されむ
思いきりてふりむけば
金属の道具を入れし容器をささげて
──そは消毒の湯気のひまに
うろこのごとくきらめきつつ──
べつの看護婦廊下を横ぎるところなり

何が起るものなりや

やがてして丈高き瀬戸教授はあらわれたり
彼は昇汞にて手をあらい
特徴ある耳たぶのうしろを見せてドアのなかにかくる

かくて──われは思う──すべての手はずはととのえられたるなり
あとはただ汝の力による
問題はただ汝なり
何ごとが起るとも
汝一人してそれを通り行かねばならず
そははたの者のまつたく手出しできざる
大いなる隔絶せられたる仕事なり
汝を激励するいかなる言葉もなく
汝のすがりうるいかなる柱もなしとわれは知る
われは
息子を法廷に送れる父のごとく
時が秒の目盛りもて過ぎ行くを感じつつ廊下を動く

中野重治
中野重治詩集」所収
1931

わたしは月をながめ

わたしは月をながめ
おまえのことを考える
わたしはおまえに逢いたい
月は中ぞらにあんなに光つている
そしてわたしは思い出す
わたしの足の下を掘つてゆくならばおまえの国へ出るということを
わたしの足の下におまえはさかしまになつて歩いている
おまえとわたしとはおなじ月を眺めることができない
雲のない満月も赤い月蝕もひとつも見られない
月の光もおまえとわたしをいつしよに照らすことはようしない
対蹠のくに
なんという遠方だろう
わたしは月をながめ
わたしはおまえに逢いたいのである

中野重治
中野重治詩集」所収
1931

さよなら

降りる子は海に、
乗る子は山に。

船はさんばしに、
さんばしは船に。

鐘の音は鐘に、
けむりは町に。

町は昼間に、
夕日は空に。

私もしましょ、
さよならしましょ。

きょうの私に
さよならしましょ。

金子みすゞ
金子みすゞ全集」所収
1930

雲雀

ひねもす空で鳴りますは
あゝ 電線だ、電線だ
ひねもす空で啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

碧い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜りこみ
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下

眠つてゐるのは、菜の花畑に
菜の花畑に、眠つてゐるのは
菜の花畑で風に吹かれて
眠つてゐるのは赤ン坊だ?

中原中也
在りし日の歌」所収
1936

春の美しい一日

 春の美しい一日はたしかにある。暗い暗い人世に於いてすら、たしかにそんなものはあつた。
 不思議なことに、それを憶ひ出すのは一つの纏つた絵としてである。私について云へば、額縁に嵌められた、春の野山の風景がある。霞んだ空と紫色の山と緑の道路とが、中学生の頭に一つの苦悩にまで訴へて、過ぎ去つた瞬間を追求させた。するとたしかに窓枠が浮んで来た。その窓のほとりで子供の私が悲んでゐた。四月の美しい空を眺めて、その日が過ぎて行かうとするのを恍惚としてゐた。何が一体恍惚に価したかと云へば、その日は桃の節句で、小さな玩具の鍋と七輪で姉が牛肉のきれつぱしを焚いて、焚けると云つて喜んでゐた。しかし、私の頭にはもつと何か美しいものが一杯とその日には満ちてゐた。美しいものとは何か、それは結局何でもないことにちがひない。
 今にして、私は昼寝して、空が真青だ、あんな真青な空に化したいと号泣する夢をみる。荒涼とした浮世に於ける、つらい暗い生活が私にもある。しかし、人生のこと何がはたして夢以上に切実であるか。春の美しい一日はたしかにある。

原民喜
原民喜全詩集」所収
1936

ウラルの狼の直系として─自由詩型否定論者に与ふ─

お前詩人よ
己れの才能に就いての
おもひあがり共よ
天才主義者よ
腹いつぱい糞尿のつまつて立つた胴体よ、
君等の詩は立派すぎる
おゝ、りつぱとは下手な詩を書くことだ、
私は才能などといふものを
君たちのやうに盲信しないから
君たちのやうな立派な下手さで詩をかゝない
真実を語るといふことに
技術がいるなどとは
なんといふ首をくくつてしまふに
値する程の不自由な悲しさだらう、
すばらしいことは近来
人間たちがどうやら
苦しみと喜びの実感を歌ひだしたことだ、
悪魔は腹を抱へて笑つてゐる
日本の詩人もどうやら
地獄に墜ちる資格ができた――と
フレー、フレー日本の詩人、
醜態をいち早く現はしたものが
詩人としての勝だ
私は醜態を
真先にさらけ出してそして勝つた、
気取り屋と、嘘吐きと、こけおどかしと、
頭も尻尾もない散文詩型から
足をちよつと出してみたり
手を一寸だしてみたり
そのうごき廻る格好は
アミーバそつくり
そもそもこれらの
蟻地獄の詩型の苦しみは
散文へのナガシメから出発した、
私のやうに極度に
馬鹿な頭で
単純な苦痛の訴へ手は
智識の複雑な方々には
到底お気に召すまい
おゝ、才能あるもろもろの詩人よ、
醜態と過失を
永久に犯すことを怖れてゐる神よりも
王よりも立派な人たちよ、
すべてこれらの人々の言はれることは立派である
配列よく、位置よく、
おどろくべきは
動乱と激動の渦中にあつて
自由詩を軽蔑なさる、
そして新律格、新韻律の詩型とやらを
つくると宣言する、
私は諸君のやうに
詩と散文の雑種ではない、
私は自由詩の純粋種だ
つまりウラルの狼の直系さ
詩型の秩序と韻の反覆は
当分あなたにおまかせしよう。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935