二月の雪

陣痛三十三時間をこえしとき
かのよき看護婦は腕まくりして入り来たり
そのくくり顎の一ふりもてわれを室外に追いだせり
何が起るものなりや
ドアの握りをうしろ手にしめつつ
われは祈りのごとくうすき泪の湧くを感ず

廊下は長からず
つきあたりの窓より見おろせば
小学校校庭の雪は煤煙によごれたり
ここらあたりにてまわれ右をするは許されむ
思いきりてふりむけば
金属の道具を入れし容器をささげて
──そは消毒の湯気のひまに
うろこのごとくきらめきつつ──
べつの看護婦廊下を横ぎるところなり

何が起るものなりや

やがてして丈高き瀬戸教授はあらわれたり
彼は昇汞にて手をあらい
特徴ある耳たぶのうしろを見せてドアのなかにかくる

かくて──われは思う──すべての手はずはととのえられたるなり
あとはただ汝の力による
問題はただ汝なり
何ごとが起るとも
汝一人してそれを通り行かねばならず
そははたの者のまつたく手出しできざる
大いなる隔絶せられたる仕事なり
汝を激励するいかなる言葉もなく
汝のすがりうるいかなる柱もなしとわれは知る
われは
息子を法廷に送れる父のごとく
時が秒の目盛りもて過ぎ行くを感じつつ廊下を動く

中野重治
中野重治詩集」所収
1931

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