Category archives: 1930 ─ 1939

風にのる智恵子

狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴の風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ

高村光太郎
智恵子抄」所収
1935

夏の死

夏は慌しく遠く立ち去つた
また新しい旅に

私らはのこりすくない日数をかぞへ
火の山にかかる雲・霧を眺め
うすら寒い宿の部屋にゐた それも多くは
何気ない草花の物語や町の人たちの噂に時をすごして

或る霧雨の日に私は停車場にその人を見送つた

村の入口では つめたい風に細かい落葉松が落葉してゐた
しきりなしに・・・部屋数のあまつた宿に 私ひとりが
所在ないあかりの下に その夜から いつも便りを書いてゐた

立原道造
「拾遺詩編」所収
1939

弔歌

柩に花びらを撒かう。
花びらを砂の蓋でかくさう。
蓋に泪の針を打たう。

丸山薫
「帆・ランプ・鴎」所収
1932

花火

きれい好きな掃除女のぬれ雑巾のやうに、『時』は、すぐさま
僕らのしたあとを拭ひとる。皿をなめとる野良犬の舌のやうに、

うまいあと味をのこす暇がない。すばやくこころにしまひそこなつたら、
それこそしまひまで、僕らの人生は無一物だ。仕掛花火のやうにみてゐるひまに

僕らの目の前で蕩尽される人生よ。花火を浴びて柘榴のやうに割れた笑はふたたび闇に沈み、
今夜のできごとは、一まとめにして、投込み墓地に

葬られる。歪れた手足も、くひしばつた歯も、ぬれた陰部も、
決してうかびあがらないのだ。痕跡すらも、世界に、おぼえてゐるものはないのだ。

金子光晴
」所収
1937

亡き人に

雀はあなたのやうに夜明けにおきて窓を叩く
枕頭のグロキシニヤはあなたのやうに黙つて咲く

朝風は人のやうに私の五体をめざまし
あなたの香りは午前五時の寝部屋に涼しい

私は白いシイツをはねて腕をのばし
夏の朝日にあなたのほほゑみを迎へる

今日が何であるかをあなたはささやく
権威あるもののやうにあなたは立つ

私はあなたの子供となり
あなたは私のうら若い母となる

あなたはまだゐる其処にゐる
あなたは万物となつて私に満ちる

私はあなたの愛に値しないと思ふけれど
あなたの愛は一切を無視して私をつつむ

高村光太郎
智恵子抄」所収
1939

睡魔

ランプの中の噴水、噴水の中の仔牛、仔牛の中の蝋燭、蝋燭の中の噴水、噴水の中のランプ
私は寝床の中で奇妙な昆虫の軌跡を追っていた
そして瞼の近くで深い記憶の淵に落ちこんだ
忘れ難い顔のような
真珠母の地獄の中へ
私は手をかざしさえすればいい
小鳥は歌い出しさえすればいい
地下には澄んだ水が流れている

卵形の車輪は
遠い森の紫の小筐に眠っていた
夢は小石の中に隠れた

瀧口修造
「妖精の距離」所収
1937

死の髯

料理人が青空を握る。四本の指跡がついて、
──次第に鶏が血をながす。ここでも太陽はつぶれてゐる。
たづねてくる青服の空の看守。
日光が駈け脚でゆくのを聞く。
彼らは生命よりながい夢を牢獄の中で守つてゐる。
刺繍の裏のやうな外の世界に触れるために一匹の蛾となつて窓に突きあたる
死の長い巻鬚が一日だけしめつけるのをやめるならば私らは奇跡の上で跳びあがる。

死は私の殻を脱ぐ。

左川ちか
「左川ちか全詩集」所収
1936

砂塵を浴びながら

松毬で作られた
雌鳥と雛のコレクションを置いて
その男は、去つて了つた。

女性とは、雌鳥に過ぎない
卵を孵化し、ひなを育てる
矮鶏のめすに過ぎない! と。

君よ、立止まれ
実に、松毬は母を想ふまい
だが、あなたは、あなたの母を念はないか。

私は、
さう! 雌鳥ほどにうつけ者だつた
男らの言ふことを、いつも本気で聞いてゐた
だが、信じる者と、偽る者と
何れが、真の不幸者であるかは宿題だ。

祈りを識る、めんどり
切な希ひを有つ、めんどり
いつも青空を凝視する
太陽を思ふ
恥を知る雌鳥は
砂塵を浴びながら、ものを念ふ。

英美子
「美子恋愛詩集」所収
1932

牝鶏

この庭の叔母さんたち 牝鶏の艦隊は樹の間を来て
私の窓の下で 彼女らは砂を浴びる
やがてその黄塵が 私の額に流れてくる なるほど・・・・と私はうなづく
ははあん 今年の春は この辺から始まるな

三好達治
「閒花集」所収
1934

コブラの踊

年とつた男が、草の上で、
瓢箪の笛を吹きはじめた。

蓋をとつた平つたい籠のなかから
コブラがたゝきつぶされたやうな首を出して
なにか、ものでも探すやうに
からだを上へおし伸してきた。

だんだん籠から外へ出て草の上へ這ひ出して、
笛の音にあはせてからだを揺つてゐる。
あの笛の音に古い沼沢の唄がひそんでゐるのか。
瓢箪の音色は悲しみにみち、
哀史を読むやうに縷々と
口ごもりながら訴える。

コブラの悲しい性が誘はれて、
故郷の調をきく老媼か、
酒に逃れる失意の人のやうに。
首をふる。

森三千代
「東方の詩」所収
1934