Category archives: 1930 ─ 1939

頑是無い歌

思えば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気は今いずこ

 

雲の間に月はいて

それな汽笛を耳にすると

竦然として身をすくめ

月はその時空にいた

 

それから何年経ったことか

汽笛の湯気を茫然と

眼で追いかなしくなっていた

あの頃の俺はいまいずこ

 

今では女房子供持ち

思えば遠く来たもんだ

此の先まだまだ何時までか

生きてゆくのであろうけど

 

生きてゆくのであろうけど

遠く経て来た日や夜の

あんまりこんなにこいしゅうては

なんだか自信が持てないよ

 

さりとて生きてゆく限り

結局我ン張る僕の性質

と思えばなんだか我ながら

いたわしいよなものですよ

 

考えてみればそれはまあ

結局我ン張るのだとして

昔恋しい時もあり そして

どうにかやってはゆくのでしょう

 

考えてみれば簡単だ

畢竟意志の問題だ

なんとかやるより仕方もない

やりさえすればよいのだと

 

思うけれどもそれもそれ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気や今いずこ

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1938

それでは計算いたしませう

それでは計算いたしませう

場所は湯口の上根子ですな

そこのところの

総反別はどれだけですか

五反八畝と

それは台帳面ですか

それとも百刈勘定ですか

いつでも乾田ですか湿田ですか

すると川から何段上になりますか

つまりあすこの栗の木のある観音堂と

同じ並びになりますか

あゝさうですか、あの下ですか

そしてやっぱり川からは

一段上になるでせう

畦やそこらに

しろつめくさは生えますか

上の方にはないでせう

そんならスカンコは生えますか

マルコやヽヽはどうですか

土はどういうふうですか

くろぼくのある砂がゝり

はあさうでせう

けれども砂といったって

指でかうしてサラサラするほどでもないでせう

掘り返すとき崖下の田と

どっちの方が楽ですか

上をあるくとはねあげるやうな気がしますか

水を二寸も掛けておいて、あとをとめても

半日ぐらゐはもちますか

げんげを播いてよくできますか

槍たて草が生えますか

村の中では上田ですか

はやく茂ってあとですがれる気味でせう

そこでこんどは苗代ですな

苗代はうちのそば 高台ですな

一日いっぱい日のあたるとこですか

北にはひばの垣ですな

西にも林がありますか

それはまばらなものですか

生籾でどれだけ播きますか

燐酸を使ったことがありますか

苗は大体とってから

その日のうちに植えますか

これで苗代もすみ まづ ご一服してください

そのうち勘定しますから

さてと今年はどういふ稲を植えますか

この種子は何年前の原種ですか

肥料はそこで反当いくらかけますか

安全に八分目の収穫を望みますかそれともまたは

三十年に一度のやうな悪天候の来たときは

藁だけとるといふ覚悟で大やまをかけて見ますか

 

宮沢賢治

「補遺詩篇」所収

1933

 

湖水

この湖水で人が死んだのだ

それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ

 

葦と藻草の どこに死骸はかくれてしまつたのか

それを見出した合図の笛はまだ鳴らない

 

風が吹いて 水を切る艪の音櫂の音

風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする

 

ああ誰かがそれを知つてゐるのか

この湖水で夜明けに人が死んだのだと

 

誰かがほんとに知つてゐるのか

もうこんなに夜が来てしまつたのに

 

三好達治

測量船」所収

1930

コップに一ぱいの海がある

コップに一ぱいの海がある

娘さんたちが 泳いでゐる

潮風だの 雲だの 扇子

驚くことは止ることである

 

立原道造

1932

烏百態

雪のたんぼのあぜみちを

ぞろぞろあるく烏なり

 

雪のたんぼに身を折りて

二声鳴けるからすなり

 

雪のたんぼに首を垂れ

雪をついばむ烏なり

 

雪のたんぼに首をあげ

あたり見まはす烏なり

 

雪のたんぼの雪の上

よちよちあるくからすなり

 

雪のたんぼを行きつくし

雪をついばむからすなり

 

たんぼの雪の高みにて

口をひらきしからすなり

 

たんぼの雪にくちばしを

じつとうづめしからすなり

 

雪のたんぼのかれ畦に

ぴよんと飛びたるからすなり

 

雪のたんぼをかぢとりて

ゆるやかに飛ぶからすなり

 

雪のたんぼをつぎつぎに

西へ飛びたつ烏なり

 

雪のたんぼに残されて

脚をひらきしからすなり

 

西にとび行くからすらは

あたかもごまのごとくなり

 

宮沢賢治

文語詩未定稿」所収

1933

天の誘ひ

 死んだ人なんかゐないんだ。

 どこかへ行けば、きつといいことはある。

 

 夏になつたら、それは花が咲いたらといふことだ、高原を林深く行かう。もう母もなく、おまへもなく。つつじや石榴の花びらを踏んで。ちようどついこの間、落葉を踏んだやうにして。

 林の奥には、そこで世界がなくなるところがあるものだ。そこまで歩かう。それは麓をめぐつて山をこえた向うかも知れない。誰にも見えない。

 僕はいろいろな笑い声や泣き声をもう一度思い出すだらう。それからほんとうに叱られたことのなかつたことを。僕はそのあと大きなまちがひをするだろう。今までのまちがひがそのためにすつかり消える。

 

 人は誰でもがいつもよい大人になるとは限らないのだ。美しかつたすべてを花びらに埋めつくして、霧に溶けて。

 

 さようなら。

 

立原道造

1939

 

貝殻調

一つ二つと唄つてゐる

幼童のかぞへ歌、そのなかに

静かに雨は降り、

日は輝く。

朝まだき

仄暗い森のなかの

声のつぶれた一羽の梟、

煙つてゐる雨と霧。

朝は青磁色に

森をぬけて出てゆく、天の貝殻、

露な心臓の慄ふ睡蓮。

ああ、ぬれしとる七月、嶺の高根薄雪草。

幼童の歌のなかに

空は色変へ、

萎んではまた開く花のかげ、

頬白の声が晴々しい。

啄木鳥は空しく、

森の扉を叩き、

永生の寂しさに

人は白昼の山を昇る。

細い谷合の

剣のやうに鋭く澄んだ

かなたの空を飛び過ぎる鷹、

静かに燃え切る無色の焔。

粉屋の軒に雨は降り、

平和な咽喉をならしてゐる鳩の巣、

小鳥たちは音もなく

空に散らばる、黄昏れ時。

幼童のかぞへ歌のなかに

世界は崩れ、移る、美しい貝殻、

この永遠の子守唄、

木々の空洞の玉虫、こがね、甲虫。

森の空気は練絹の如く皺もなく

空を貫く真白の噴水、

池の表に浮く緋鯉、

ここでは時間がとまつて居る。

10

キリキリと駒鳥は日時計を巻き

昼と夜の時刻を分けて、

窓硝子を鳴らす蝿の翅、

鶏達は疲れを知らない。

11

分をわけ、秒をかぞへ、

光を変へる蜻蛉の目玉、

虚空をうつすむなしい貝殻、

月が出た、教会堂の屋根の上。

12

十二月の月をかぞへて

幼童は歌ひつつ編む花輪、花束、

静かに額づいてゐる蜜蜂の 呟は

泡立つ蜜に酔へ、酔へ、酔へ・・・・・・・・

 

竹内勝太郎

1935

原始への浪費

私はこのむづがゆさに耐えられない。

羽虫の群れる太陽の下で、

暖かい牧場を眺めてゐる。

牛は尻尾を振りながら、

しきりに虫を追つてゐる。

 

宮中に楽しく揺すれはねかえる

尾はなんと不思議な機能であらう。

世紀の昔に失くしてしまつた長い尾を、

弾力ある紐のやうなものを、

この日向で一心に振りたい、振りたい。

あの尾を私に恵んで下さい。

 

私は臀部に力を入れて、

肉塊の神経のむづかゆい

背部を歪め、感覚を散らし、

尾閭骨に私は焦心する。

こんな明るい日中にゐて、

官能の秘密に耐えられない。

 

古化草原よ。

旧世界。

退化の感覚を抱く母は、

この感情の帰る郷土は、

どこの地平にあるのだらう。

過去は尾を奪ひ毛皮を奪ひ、

石器を、神話を、奪つてしまつた。

精胚のやうに衝動する

名づけやうもない遺伝の影を、

胸に悲しく感ずるばかりだ。

 

地峡の明るい風を浴び、

懶怠も日光に乾いてしまひ、

私の夢は昇天する。

 

獣のやうに草に腹匍ひ、

はかない獣の感情を入れて、

野生の、本能の匂ひをかぐ。

あの空に遠く高く、

荒誕祖先の楽園を呼ぶ。

歴史のむかうに沈んでしまつた

朧ろな原始へ帰らう、帰らう。

 

私はこのむづかゆさに耐えられない。

 

石川善助

亜寒帯」所収

1936

 

マンネリズムの原因

子の親らが

産むならちやんと産むつもりで

産むぞ、といふやうに一言の意思を伝へる仕掛の機械

親の子らが生まれるのが嫌なら

嫌です、といふやうに一言の意見を伝える仕掛の機械

そんな機械が地球の上には欠けてゐる

うちみたところ

飛行機やマルキシズムの配置のあるあたり

 たしかに華やかではあるんだが

人類くさい文化なのである

遠慮のないところ

交接が、親子の間にものを言はせる仕掛になつてはゐないんだから

地球の上ではマンネリズムがもんどりうつてゐる

それみろ

生まれるんだから生きたり

生きるんだから産んだり

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

無題

むろん理由はあるにはあつたがそれはとにかくとして

人々が僕を嫌ひ出したやうなので僕は温しく嫌はれてやるのである

嫌はれてやりながらもいくぶんははづかしいので

つい、僕は生きようかと思ひたつたのである

暖房屋になつたのである

万力台がある鐡管がある

吹鼓もあるチェントンもあるネヂ切り機械もある

重量ばかりの重なり合つた仕事場である

いよいよ僕は生きるのであらうか!

鐡管をかつぐと僕の中にはぷちぷち鳴る背骨がある

力を絞ると涙が出るのである

ヴィバーで鐡管にネヂを切るからであらうか

僕の心理のなかには慣性の法則がひそんでゐるかのやうに

なにもかもにネヂを切つてやりたくなるのである

目につく物はなんでも一度はかついでみたくなるのである

ついに僕は僕の軆重までもかついでしまつたのであらうか

夜を摑んで引つ張り寄せたいのである

そのねむりのなかへ軆重を放り出したいのである。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938