原始への浪費

私はこのむづがゆさに耐えられない。

羽虫の群れる太陽の下で、

暖かい牧場を眺めてゐる。

牛は尻尾を振りながら、

しきりに虫を追つてゐる。

 

宮中に楽しく揺すれはねかえる

尾はなんと不思議な機能であらう。

世紀の昔に失くしてしまつた長い尾を、

弾力ある紐のやうなものを、

この日向で一心に振りたい、振りたい。

あの尾を私に恵んで下さい。

 

私は臀部に力を入れて、

肉塊の神経のむづかゆい

背部を歪め、感覚を散らし、

尾閭骨に私は焦心する。

こんな明るい日中にゐて、

官能の秘密に耐えられない。

 

古化草原よ。

旧世界。

退化の感覚を抱く母は、

この感情の帰る郷土は、

どこの地平にあるのだらう。

過去は尾を奪ひ毛皮を奪ひ、

石器を、神話を、奪つてしまつた。

精胚のやうに衝動する

名づけやうもない遺伝の影を、

胸に悲しく感ずるばかりだ。

 

地峡の明るい風を浴び、

懶怠も日光に乾いてしまひ、

私の夢は昇天する。

 

獣のやうに草に腹匍ひ、

はかない獣の感情を入れて、

野生の、本能の匂ひをかぐ。

あの空に遠く高く、

荒誕祖先の楽園を呼ぶ。

歴史のむかうに沈んでしまつた

朧ろな原始へ帰らう、帰らう。

 

私はこのむづかゆさに耐えられない。

 

石川善助

亜寒帯」所収

1936

 

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