Category archives: 1970 ― 1979

渋谷で夜明けまで

夏の一日
ぼくは
渋谷で
ポリネシアの戦士の歌を聞きながら
魂をやすめていた
オルペウス神統記にもあきて
書物はすべて放棄してしまった
ぼくの時計は柔かく変形してゆく
中世の城のような旅館が見えてきた
ああ
素晴らしい徴候だ!
この絶対温度に
乳房をちかづけてくれるな!
貴女にも
きっと
ぼくの姿は見えないだろう
無能だ!という声に
振り返りもしないで
豪華なペルシャ猫のように世界を沈んでゆく
さあ
貴女とキスしよう
ぼくは動詞だけしか信用しない!
なんという
魂の不思議な膨張係数か!
グラマーな地下鉄の通過
新聞活字が陽光をさえぎる!
失業するぜ 失業するぜ
ふっと
まどろむと
欅並木が滑走路をかこむ
懐しい風景がよみがえる
ああ
巨大な横田基地よ!
ぼくの育った武蔵野の雑木林の俤と蜉蝣たつ金属的な滑走路が なんと調和していることだろう
ツルゲーネフ風に夢を素足で歩いてみよう
バッカード・ポニャック・クライスラー
と歌にして覚えた
あの夕暮をだれが忘れようものか
ラッキー・ストライクのように
鮮烈にやってきた
アメリカの青年たちにアイサツしよう
ぼくが愛した
あの兵士たちは
いまごろベトナムで戦っているのか
星条旗のように整列して
アッ
ボクハ日本刀ヲ握ッテイル!
ガム吐き出して
フレディーと一緒に歩いた砂川の風景を激しく憎悪する!
ああ もっと抱いてよ
優しく大きな乳房の輪郭線で、ゴシック体のように眼を見開かないように・・・・
オンリー、スーベニール
オンリー、スーベニール
魂に言葉の圧力がかかってくる
夏のシーツに、素肌に
都市全体が落雷となって集中する
貴女ノ家ニ帰リナサイ!
渋谷のホテルで
ぼくは
激しく乱れて
世界全体をゆるがしはじめる
貴女ノ家ニ帰リナサイ!
ああ純粋数学の復権だ!
ベッドの鉄わくにつかまれ
若駒が幾何学的な風にのって駆けてくる!
ああ心臓の戸口を銀色の手がたたく
全身、海のようなミドリだ!
貴女ハ帰レ!
大時計はとまり、空間がぐらっと傾斜する
うまれるぞ 船をこげ
日本ノ砂漠デ占星術ガ誕生スルノカ!
太極のマークが窓から乱入してくる
天上大風だ!
男根と男根の交叉!
見たこともない紋章が浮びあがってくる
影像人間は分裂して
火山へ!
火山へ!
おお エトナのエンペドクレースよ!
巻きあげられる感覚世界
なにが見えるか!
青い遊星
それとも
胎児の眼の破裂か!
街角を曲る
幸福という文字
美しい鈴ならす廃品回収の人影か!
ああ 魂が破壊される!
よだれたらして
犬のように
ただもう放置されるだけだ
ダレカガ呼ンデイル
扉が激しく叩かれる
魂が破壊の神を呼んでいるのか!
青い青い断片の
天国と地獄からの襲来!
立っていられない
言葉の橋が流出してしまう
しかし
筆は真青になって失速してはならない
昨日の夜
今日の夜
明日の夜
筆は真赤に輝いて進行する
それが
夜空を落下する流星の
筆のさだめだ!

太陽など問題外だ!
狂気を彫る精神の労働が、さまざまの記号の暗示を受けて決潰しただけだ!
おお 魂のリアリズム
三文判は会計係に返上しよう
菊の花を刺し通せ!
望みはなんだ
よし おれを陵辱するがよい!
B・Gよ
冒険家よ
欲望ははてしない霊魂の卑猥な一側面に
自らの肉を焼いて
祭壇に登る、神秘的な一筋を刻め!
食料を与えるって
なにお
風の末裔となって、桃色の五本の指を自ら食って生きのびてやろう
ああ 法華子よ!
焼身自殺とは、太極に存在する虹の絢爛たる同心円だ!
オ時間デス オ時間デス
去れ! ひからびた女よ!
ボクハ日本刀ヲ握ッテイル!
肉体の花弁をひらく、素肌のあらゆる陰唇をぼくは自分でひらく
海のむこうから
<ルイジアナで檞の木が茂っている>
という偉大な歌声が聞えてくる
ホテルでも
夢の中でも
世界全体を感情のもっとも鋭敏な個所に集中して
シンバルを叩け
もう朝だ
初発電車が動き出した
しかしまだ
まるでオデッサの階段のように説明のつかない熱病がおれの首を巻いて荒れ狂っている
外界へ出る
だった一人で
全身にワイパーをつけて透視する
アレワ人間カ
自動車だ!
機械的な冷気が頬をかすめて
やがて
太陽が東の空に昇ってくるころ
魂の熱気はさめはじめる
廃人のように
没落貴族のように
新しい朝の狂気へ姿を消してゆく
カッカッと
ハイヒールの音が鳴り
一人通りすぎてゆく
ああ
ぼくは
朝鮮人みたいに泣きたいなあ
振り返ってはいけない
曲れ! 直角に、鋭く、覚悟をきめて

新しいイメージの狩人よ
沈黙の歌人よ
風よ
風よ
ある夏の一日
これらは
渋谷で真実おこった事なのだ

吉増剛造
頭脳の塔」所収
1971

昼顔順列

昼顔は女だ
わたしは女だ
女は昼顔だ
昼顔はあなただ
あなたは女だ
わたしは昼顔だ
女はあなただ
あなたは昼顔だ
女はわたしだ
昼顔はわたしだ
わたしはあなただ
あなたはわたしだ

吉原幸子
「昼顔」所収
1973

山中饒舌

僕の胸の中にはもう一人の僕がゐます
木の葉のあひだから僕の横顔が見えます
見てゐると その人の胸の中にも
別の僕がゐるのがわかるのです
その彼はふみしめた足の下の方の谷川の流れを眺めてゐます
山腹の紅葉しはじめてゐる木を見つけたやうです
はるか彼方に小さいいくつかの滝を見つけたやうです
ああ 山全体がゆれはじめました
はげしい風が吹きはじめました
不安を感じたのか 彼は空を見上げるそぶりをしてゐます
未来は不安なものであるのか
滝の音がとめどなくとどろくやうにひびいて来ます
その彼は歩きはじめました
木の葉のあひだをもう一人の僕も歩きはじめました
僕は 最後に さうした自分たちを胸の中に抱きながら
青い岩石の乱れてゐる道を登つて行きます

小山正孝
「山の奥」所収
1971

かわいそうな私の身体

かわいそうな私の身体
お前をみていると涙がこぼれてくる

やわらかい乳房と若さに輝いた肌はどこにいったのか
切りさかれ ぬわれ やかれたお前の無残な傷痕

ああ でも どうか私を許してほしい
お前の奥深く 今も痛みにふるえ
赤い血潮をふき出しながら
それでも もえようとしている
私の心がひそんでいるのだから

ブッシュ孝子
「白い木馬」所収
1974

矢を射る者

俺の放つ矢を見よ。
第一のはしくぢつた、
第二の矢もしくぢつた、
第三の矢もまたしくじつた。
第四、第五の矢もしくじつた
だが笑ふな。
いつまでもしくぢつて許りはゐない。
今度こそ、
今度こそと
十年余り
毎日、毎日
矢を射つた。
まだ本物ではないにしろ
たまにはあたりだした
見よ
今度の大きな矢こそ
人類の心の真たゞなかを
射あてゝみせる
そしてぬけない矢を
俺の放つ矢を見よ。

武者小路実篤
武者小路実篤全集第11巻「詩千八百」所収
1976

乾いた眼

あれは
不気味に靄が立ちこめている
キナ臭い昨日の戦場から
突然湧き起り
流れてくるミサの声だ──
左手に聖書を持ち
天に祈る黒衣の牧師
その前にひざまずき
十字を切っている兵士の群れ
見知らぬ土地に
戦友の死体を埋め
やっとここまでたどりついた若い生命たち
その乾いた両眼から
少しずつ悲しみの涙が滲み落ちる
一枚の額縁にはめこまれたこの情景が
返ってきた手紙のように
いつも私の前の壁に架かっている

巨大な地球儀がのろのろ廻り
きまぐれな一本の針が刺した地点で
また戦争が起った
しばらくして
顔をかくした神が腐爛した死体の間を
こちらに向って歩いてこられると
街の暗闇で
チュウインガムのように
無造作に吐き捨てられた若い命が
あちらの谷間から 水田の中から
いくつもいくつも起き上がり
ぼろぼろの魂を引きずって
少しずつ海の方へ
故郷の方へ歩き出す

その時分
西でも 東でも
広い株式市場では
欲望でひん曲ってしまった
両の手を突き出して
戦争が狂気のように取引されている
私はいま新聞紙をひろげて
積み上げられた白い貝殻の山が
無惨に崩れ落ちる
その静かな静かな音を聞いた
いくつも嚥み下した新薬で
間違ってしまった現代の人々よ
地中深く埋没した
平和という名の埴輪を掘り出せ!
墓堀り人夫のスコップを持った
その汚れた手で

上林猷夫
「遠い行列」所収
1970

ハーフ・アンド・ハーフ

ねむることによって毎日死を経験しているのに
不眠症にかかるなんて
なんと非人間的な苦しみだろう
毎日死を経験しないために
ほんとうに死にたいと思うのは
ごく自然ななりゆきだが
でも
死なないでくれきみがひとつかみの骨になるなんて

よくそんな勝手なことがいえるわね
よけいなお世話よ死ぬって
眠りだけど永遠のおやすみなの
わたしの目を吊り上がらせ
わたしのまんなかに鉛を入れたのは
あなたじゃない
わたしの暖かい骨は
きっと鉛まぶしよ

鉛まぶしで
永遠にやすめるならさめた白湯だって
おいしくなるよ
永遠なんて信じてないくせに
木の葉みたいにことばをつかうな
たしかに自殺ってこのうえなく論理的な死だけど
論理なんてたたみ鰯で
すきまだらけなんだ

こんどはお説教ね
あなたはわたしが死ぬのが恐ろしいのね
しんしんと降りつづく雪って
一瞬ごとに表情が変わっている
だからあなたが
われは昔のわれならずって顔をしても
わたしちっとも驚きはしないただ
あなたのロマンチシズムってとってもいや

きらうなら好きなだけきらうがいいでも
死ぬな
きみが死んだってちっともこわくないけど
永遠を信じていない者の死に
意味をつけるのがとてもつらいのだ
ぼくは少なくとも「半分の永遠」を信じてる
死は死んだのかと冬の林に
大声で叫びたい

叫べるの
ほんとうは叫びたくないのでしょう偽善者め
あなたが取り乱すの初めて見たわ
あなたは
狡猾で残忍で冷酷よ
さんざわたしを楽しんだりして
わたしがわたしの生をどう始末しても
あなたの知ったことじゃないでしょう

光り
夕方の海に見たひとすじの光りが
雨戸をあけた朝
同じところにあった
ぼくは失神しそうになって
「半分の永遠」を信じたというわけだ
きみはぼくを理解しているらしい
「半分の死」の地点から

わたしはくたびれてるのに
からだじゅうの毛がみんな立ってるの
もう口をききたくない
ことばを覚えてよかったのは
ただ悪罵を自由にいえるからなんて
気がくるいそう
勝手に海の光りを大事になさい
わたしは一晩じゅう降る雪を見てるわ

 *
**

死は死んだのか死なないのか
死なない死って何だろう
鳥たちゃ鳥のなかで死ぬ
猫たちゃ猫のなかで死ぬ
ひとはいつでもひとのそと
生まれるときも死ぬときも
だからいのちをたいせつに?
だから死ぬのもたいせつに?

北村太郎
「あかつき闇」所収
1978

夕焼け

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて—–。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

吉野弘
吉野弘詩集」所収
1971

少女

 かおをつぶされて死んだ少女に化粧してやると みょうに茫大な原っぱになってしまって おやたちもめがくらんでしまったのか ガランとつったったまま哭くのをやめてしまったのでそこだけつぼみのようにひらいたくちびるをのこして火をつけてみなといってやったのだ

岡安恒武
「湿原 岡安恒武詩集」所収
1971

リンゴ

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ

まど・みちお
まめつぶうた」所収
1973