客あらん時をおもひて
母はわれらが日常の茶碗には
かけたるをいだす
我はかけたる茶碗もて
麦飯をくらふ。
母よ今日は何かありや
けふはひるに誰も居らざれば
何もつくらねど
ここに紫蘇の煮たるあれば
それにてすませよ
母は庭にありて答ふ。
画を描き来りて
ひるすぎ
われはかけたる茶碗もて
麦飯をくらふ
秋なれや
日の光うらうら
木のかげはまどろむ
母よ
わが麦めしはとりわけて今日うまし。
中川一政
「見なれざる人」所収
1921
客あらん時をおもひて
母はわれらが日常の茶碗には
かけたるをいだす
我はかけたる茶碗もて
麦飯をくらふ。
母よ今日は何かありや
けふはひるに誰も居らざれば
何もつくらねど
ここに紫蘇の煮たるあれば
それにてすませよ
母は庭にありて答ふ。
画を描き来りて
ひるすぎ
われはかけたる茶碗もて
麦飯をくらふ
秋なれや
日の光うらうら
木のかげはまどろむ
母よ
わが麦めしはとりわけて今日うまし。
中川一政
「見なれざる人」所収
1921
頭蓋骨の割れ目を馬車は走つた
馬の顔には大きな眼孔がぽつかり開いてゐる
闇の中へ馬は足を上げてゐる
馬車の中には女の死体があつた
お腹には赤んぼの大きな瞳が見開かれてゐた
小さな手足はしつかり握られてゐた
私の寝台からは毎朝黒リボンの馬車が走り出す
私の食事からは朝毎に墓場のオルガンが鳴らされる
彼の女は父を忘れてゐる子供を生む
彼の女の蒼い顔は血管の中へ銀貨を流し込む
生活は飯にコロロホルムをかけてゐる
如何に月末を苦しまふと銀貨一枚鼠がくはえて来て呉れはせぬ
消費された女のお湯銭代と私の食費代を
誰に借りに行つたらいゝのか
天井がぬけて落ちさうな部屋に何物も期待するもの無く
広げられた新聞の広告欄には
「近来類似品や模倣品が沢山現れてをりますからお注意下さい。」
新聞紙をめくり向ふへやつて
この埃つぽい部屋に骸骨のやうに寝てゐる
ザク————ザク————ザク————ザク
また借金取りの足音が近づいて来る
萩原恭次郎
「死刑宣告」所収
1925
ぐりまは子供に釣られてたたきつけられて死んだ。
取りのこされたるりだは。
菫の花をとつて。
ぐりまの口にさした。
半日もそばにいたので苦しくなつて水にはいつた。
顔を泥にうづめていると。
くわんらくの声々が腹にしびれる。
泪が噴上のやうに喉にこたへる。
菫をくはへたまんま。
菫もぐりまも。
カンカン夏の陽にひからびていつた。
草野心平
「第百階級」所収
1928
手の掌にのせても
ひっくりかへしても
黙ってゐる蝉
強かった羽根の力も今は失せたが
苦しくても
さびしくても
じっとこらへてゐるやうに
何事も語らない
強い引きしまった鋼鉄色の
ぐわんけんな身体も今は弱ったが
時々なにをか思ふ羽ばたきして
黙って
短い一生を送らんとする
中川一政
「見なれざる人」所収
1921
おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢 弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管とをとった
けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
(ひとさへひとにとゞまらぬ)
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏のそれらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ
宮沢賢治
「春と修羅第二集」所収
1925
あをむけに
はらっぱへねたら
心ぞうのこどうが
土のこどうだとおもわれてきた
どきん、どっきん、とやってくる
八木重吉
詩稿「赤つちの土手」所収
1927
改札口で
指が 切符と一緒に切られた
北川冬彦
「検温器と花」所収
1926