Category archives: 2000 ─ 2009

 その夜は小雨が降っていた。私は喘息の咳

が止まらなかった。その明け方、<夢>を見

た。「幸ちゃん立派になったね。」と私の胸

をなでながら母が言った。久しぶりの母の声

だった。

 ふと目を覚ますと、母は舌が喉に落ちこみ

息ができずにもがいていた。慌てて母の体を

揺する。息を吹き返す。体位を変えると母は

気持ちよさそうに息をした。「もうゆっくり

お休みよ」私が母をあやし、さっきの夢の中

の母の声がやがて子守唄のように私を眠らせ、

私の腕の中の母自身も深く深く眠る。

 私と母の魂をつなげて、戸外の雨は風にな

がれ静かに降りそそぎ、夢のつづきではまた

「幸ちゃん私のことはもうよかよ。」と母が言

った。慌てて飛び起き、母のかすかな息を注

意深く確かめる。

 

藤川幸之助

ライスカレーと母と海」所収

2004

行ってきまあす!

朝幼稚園へ行った息子が

夜三十五歳になって帰って来た

やあ遅かったなと声をかけると

懐かしそうに壁の鳩時計を見上げながら

大人の声で息子はうんと答えた

 

今まで何していたのと妻が訊けば

息子は見覚えのある笑顔ではにかんで

結婚して三年子供はなくて仕事は宇宙建築技師

俺もこんな風に自分の人生を要約して語ったっけ

おや、こいつ若しらがだ

 

自分と同い年の息子から酒をつがれるのは照れるもので

俺は思わず「お、どうも」とか云ってしまう

妻がしげしげと息子と俺の顔を見比べている

だがそれから息子が三十年後の地上の様子を話し始めると

俺たち夫婦は驚愕する

 

よくもまあそんな酷い世界で生き延びてきたものだ

環境破壊、人口爆発、核、民族主義にテロリズム

火種は今でもそこいらじゅうに満ち溢れていて

ええっとその今が取り返しのつかぬ過去となった未来が息子たちの今であって

ややっこしいが最悪のシナリオが現実となったことは確かだ

 

あのう、駄目なのかな、これからパパやママが努力しても?

さあて、どうだろう、時間の不可逆性ってものがあるからねえ

妻は狂言の場面みたいに息子の袖を掴んで

ここに残って暮らすよう涙ながらに説得するが

それはやっぱり摂理に反するだろう

 

未来はひとえに俺たちの不徳のなすところなのに

息子は妙に寛大だ

既にその世界から俺が消え去っているからだろうか

聞いてみたい気がしないでもないけど

まあどっちでもいいや

 

「僕らは大丈夫だよ、運が良かったら月面移住の抽選に当たるかも知れないし」

息子はどっこらしょと腰に手をあてて立ち上がり

俺と握手をし妻の頬に外国人のような仕草で口づけをし

それから真夜中の闇を背に玄関で振りかえると

行って来まあすと五歳の声をあげた

 

四元康祐

世界中年会議」所収

2002

ボール 2

ゆきちゃんが

てんこうして

ゆきちゃんのすがたが

みえなくなったら

ますますゆきちゃんのことが

どんどんすきになって

ゆきちゃんは

てんこうしていったけど

ひょっとしたら

まだ ゆきちゃんは

いえにいるかもしれないと

おもったから

がっこうのかえりに

ぼくは

ゆきちゃんのいえにむかって

どんどんはしっていって

ゆきちゃんのおおきないえに

いきはーはーついたけど

ゆきちゃんのいえには

だれもいなくて

ひろいにわをのぞいたら

いぬごやのまえに

ぼくのたいせつな

まついのサインボールが

ころがっていた。

 

ねじめ正一

あーちゃん」所収

2006

ボール 1

ゆきちゃんのことが

こんなにすきなのに

ゆきちゃんは

てんこうしてきたばかりなのに

おとうさんのしごとで

ゆきちゃん

またてんこうしていくから

ぼくはげたばこのところで

ゆきちゃんを

どきどき まっていて

ぼくのいちばんたいせつな

まついのサインボールを

どきどき あげたら

ゆきちゃんは

ありがとうと

ランドセルのなかに

いれてくれた。

 

ねじめ正一

あーちゃん」所収

2006

豆をひく男

手動のコーヒーミルで

がりがりとコーヒー豆をひくとき

男はいつも幸福になるのだった

それは男自身が

気がつかぬほどの微量の幸福であり

手ではらえばあとかたもなくなってしまう

こぼれたひきかすのようなものだったが

この感情をどう名づけてよいか

男自身にはわからなかった

長い年月

男は

自分が幸福であるとは

ついに一度もかんがえたことはなかったし

そもそも

不幸とか幸福という言葉は

じぶんがじぶんじしんに対して使う言葉ではなく

常に

他人が使う言葉であると

かんがえてきた

そしてこの朝のささやかな仕事が

自分に与えるささやかなものを

幸福などと呼んだことは一度もなかったし

ましてや

自分をささえる小さな力であることに

気付きようもなかった

 

コーヒーを飲んだあと

男は路上の仕事に出かけるのだ

看板を持ち

一日中、裏道の中央に立ち続ける仕事

看板の種類にはいろいろあって

大人のおもちゃ、極上新製品あり、このウラ

とか

CDショップ新規開店、一千枚大放出

などと書かれている

同じ場所・同じ位置に立ち続けること

それは簡単なようでいて難しい修行だった

生きている人間にはそれができない

彼らは始終、移動している

なぜ、一つの場所にとどまれないのか

なぜ、石のように在ることができないのか

男は板の棒を持って立っていると

いつも自分が棒に持たれているような気持ちになったものだ

「生きている棒」

そう自分につぶやくと

眼の奥が次第にどんよりとしてくるのだった

そんなとき、男はすでに

モノの一部に成り始めているのかもしれない

 

いつか勤務帰りの深夜

男は

駐車場の片隅で

黒い荷物が突然動き出したことに

驚いたことがあった

浮浪者の女だった

そのとき

一瞬でも、人をモノとして感じた自分に

はじめて衝撃を受けたのだったが

いまはその自分が

容赦もなく物自体になりかけている

しかし

きょう、始まりのとき

男はいまだ全体である

一日は

コーヒーを飲まなければ始まらないのだから

だから、こうして豆をひくことは

男の生の「栓」を開けることなのだった

男は

いつからかそんな風に感じている自分に少し驚く

豆をひき、コーヒーをつくる時間など、五分くらいのものだが

その五分が

自分にもたらす、ある働き

その五分に

自分が傾ける、ある激しさ

そして

この作業を

小さな儀式のように愛し

誰にもじゃまされたくないといつからか思った

もっとも、じゃまをする人間など、ひとりもいなかった

男はいつも一人だったのだ

 

がりがりと

最初は重かったてごたえが

やがてあるとき

不意に軽くなる

この軽さは

いつも突然もたらされる軽さである

 

 まるで死のように

 死のように

 

そのとき、ハンドルは

からからと

骨のように空疎な音をたてて空回りする

ようやく豆がひけたのだ

 

着手と過程と完成のある

この朝の仕事

きょうも重く始まった男のこころが

コーヒー豆をがりがりとひくとき

こなごなになり

なにかが終る

きょうが始まる

容赦のない日常がどっとなだれこむ

コーヒー豆はひけた

そして男は

「豆がひけた」と

口に出してつぶやく

 

小池昌代

雨男、山男、豆をひく男」所収

2001

深い青色についての箱崎

深い青色をした花ほど、箱崎一郎の心を捕らえるものはなかった

 

ある日のこと

駅前で友人を待っているときに

ふと目が近くの花壇にいったのだ

そこに偶然

小さな青い花が群生していた

自分の視線が

掃除機にかけられたようにそこへ吸い込まれ

箱崎はなにごとが起こったのかわからなかった

 

青は

箱崎の粘膜を突き破り

氾濫した川のように箱崎の内へ及ぶ

言葉という言葉はことごとく溺死した

深い沈黙ののちに釣り上げられたのは

小魚のような感嘆符だけだった

 

ああ、

なんと深い青、

と箱崎はおもった

 

声をあげて泣いてしまいたいほどの

するどい悲しみに襲われたのはそのときである

悲しむ理由などひとつもなかったし

こんな駅前で

突然泣くわけにはいかないと

箱崎はぐっとこらえたものの

自分がいま

生まれたばかりの赤ん坊になったような気持ちがした

 

この世に出てきて初めて見た青い花

 

それは一瞬の

衝動とも言える感情のうごきであり

パッションというものからほど遠い箱崎が

そのときほど自分におどろいたことはない

 

たかが色

たかが青色

 

しかし箱崎は取り乱していた

心臓が

しめつけられ

花のなかへすぐさま飛び込んでしまいたいと思った

それはまったく

花との恋愛、そのものだった

 

「箱崎、待たせたな」

そう言って肩をたたいた、あとからやってきた友人によれば

箱崎はそのとき

どことなくゆがんだ顔をしていて

青い花がどうのこうの言っていたらしい

それは実際のところ

物凄く頼りない

赤ん坊のようなふるまいであったということだ

 

後日談──

 

① その後の箱崎についてはなにも知らない。

② アジア人は、新生児のとき、尻付近に蒙古斑が現れる。水彩絵具を水で梳いたような、極めて薄い青のしるし。身体のうちに、我々は、そもそも、青を持っている。

 足の付け根のリンパ腺のところに、子供のころの私は、アーモンド型の蒙古斑を持っていた。風呂場では、自分のそれと、妹のそれとを見比べたものだ。かたちも色も、妹の蒙古斑は、自分のとは少し違っていた。いまでは、身体のどこにも、見あたらないが、いつ、どこでどんなふうに消えていってしまったのか。

 

③ ある日私は、庭の青い昼顔をねっしんにのぞきこみながら、ふと、自分が、人間のまたぐらをのぞきこんでいるような気がした。植物のいのちはスクリューのように回転しながら、見るもののいのちの深部に触れてくる。

 私もまた、箱崎のように、青い昼顔に夢中になった。この西洋昼顔は、芯にあたたかな黄色を持っている。そしてそのまわりには、あの悲しいほどの青色が幽玄とひろがり、じっと見ていると私もまた、昼顔のなかへ飛び込んでしまいたいと思いつめた。花のなかへの投身自殺、青への思慕、それは、昔から、たくさんの若者たちをして旅へと赴かせた感情の原形ではなかったか。

 

④ 男の子は青、女の子は桃色、学校では先生がそのように言う。振り分けられるっていやな気分。裁縫箱も、お習字の道具も、見渡せばみんながそんなふう。でも私はピンクが好きじゃない。そう思ったとたん、心が決まる。気がつけば、クラスの女の子のなかで、私の裁縫箱だけがブルーだった。

 青─おまえは女の子であった私の、いっとう始めのささやかな抵抗の色であり、自由というものの匂いを暗示した、誠に気高い色だった。

⑤ 私は箱崎ではないだろうか。箱崎は私ではないだろうか。私たちは青に恋をする人間。

 昨日出会った短歌を詠む少年は、玉の汗を鼻頭にかき、和泉式部について語った。

「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞ見る」

しろめの部分が、薄く青みがかった少年だった。

 

小池昌代

雨男、山男、豆をひく男」所収

2001

波かぞえ

砂浜に坐って波を数えた

まぶしい光の子供たちがたくさん

海の上で手をつないで踊っている

真夏だった

 

シャラシャラシャラと寄せて返す波を

いくつもいくつも数えた

 

夜になっても数えつづけた

月が出て 星がたくさん出てきて

やがて日が昇った

 

二十万まで数えた時、月が欠けた

四十万まで数えた時、月が満ちた

 

三億を超えたところで眠くなった

目が覚めたら、何千年かが過ぎて

ぼくは石になっていた

そこは今は海の中で

波の音は聞こえない

光の子供はずっと上の方で踊っている

 

ぼくは今度は何も数えず

また眠った

 

池澤夏樹

この世界のぜんぶ」所収

2001

今わたしはなにかを忘れてゆく

なにを考えていたのだろう

今わたしはなにかを忘れてゆく

そして忘れてゆくことも忘れてゆくだろう

四月二十七日午後五時五十一分

液晶は 時刻のこわれやすさ

そこに一分とどまり

わずかに無へと滲んでゆくもの

目をあげれば光は

より薄いままに四囲をあかるく満ちている

建物の稜線はふくらみ

電線に曇り空の量感はまし 雪をさえ思わせる

 

わたしはみているのだろうか

それともみえない というかなしみなのか

みたい というよろこびか

空にむかいときおり不思議な穴のようになる視野

かすかに藻のようにうごく

こころのうごめきの感触だけがわかる

なにを考えていたのだろう

言葉はなにも思わないうつろないきものとして

また色づかないまま沈んでゆく

いおう としていたのか

いいえない とあきらめてゆくのか

水のように点りはじめた外灯

それらがなににともなくあるために いきづく空のパールグレー

 

気がつけば

より青みをました空気に

白くこまかなものがただよっている

雪でもなく 灰でもなく 残像の淡さで

記憶がかすかに藻のようにうごく

鳥が電線から旅だったのか

わたしは鳥をみていたのだろうか

それはどんなふうに飛びたち

一瞬空を不思議な色にして また翳らせたか

光をなくしたガラスに樹木の影はすでに夜のようにほどかれている

曇り空 電線 トランス 繁り葉

ふれたこともないそうした端から

光のニュアンスは変わっている

わたしはなにかを忘れたことに気づく

忘れたことも忘れてゆくことに

鳥の羽毛だと思う

飛ぶことにかかわったなにかであると思う

そのように思わせるなにかが

空にのこされている

立ち騒いだあとの空白が わたしにのこされている

手にとろうとすれば

ただようものは風圧でふいとそれてゆく

ひとつひとつに思いがけない意志があるのか

わたしはいくどもそれをくりかえす

忘れたことも忘れてゆきながら そしてそのことに気づきながら

みえないひとの襟をなおすように指をのべてゆく

なにを考えていたのだろう

鳥について?

光と影について?

なぜ意味もなく携帯をみてしまったかについて?

わたしのものでありすぎてやわらかでくずれやすいもの

鳩のくぐもる声でかんがえていたこと

(I feel so good, It’s automatic) *

コンビニの隙間から歌声がきこえる

藻のように揺れる美しいサビの部分は

なにもかもオートマチックだといっている気がする

きこえるたびに なにかを忘れてゆく

そして忘れてゆくことも 忘れてゆく

信号の青は青よりもあおく

梔子の白は白よりもしろく

曇り空のパールグレーは水のように光る外灯あたりをうずまき

不動の世界は

色と質感をオートマチックに深めてゆく

鳥の声はきこえない

デモ言葉ヲ失ッタ瞬間ガ一番幸セ、

輝きだしたコンビニはセイレーンのように歌いつづけている

飛び去ったものはあの歌声のなかに消えたのかもしれない

 

羽毛は仄光り 空気は昏くなる

空はなにかがいなくなったブルーグレーの画面

そこにうっすら忘却の軌跡があり

去ったものの匂いがのこっている

いくばくかまえの胸のやわらかさと鼓動のはやさ

思いだしもしないのに忘れることのないものの消滅

また曇り空はのこされて

時間はかすかにこわれ

電線とトランスと繁り葉とともに世界は濃くなっている

夜ではなく

忘れてゆくことも忘れてゆくことの果て を想う

 

* 宇多田ヒカル「Automatics」

 

河津聖恵

アリア、この夜の裸体のために」所収

2002

美しい穂先

雨があがりました

薄日が

拡散する午後です

お母様、

ちょっとそこまで

散歩に行きましょうか

公園の手前の

美術館で

絵を眺めましょうか

それから

お喋りしましょうか

アスファルトに揺らぐ

わたしたちの影

どうみても

親子なのですから

ちょっとそこまで

散歩に行きましょうか

 

美しい穂先のように

凛、としている

あなたと

笑いながら

生きていきたいのです

次の秋には

おそらで魚が泳ぐのです

それを

一緒に

仰ぎましょうね

少しの甘いお菓子と

お茶を用意して

ちょっとそこまで

散歩に行きましょうね

 

雨があがりました

しゃんしゃんと水滴をはじく

美しい穂先

あなたがいるかぎり

わたしはいつまでも

ここに居たいと思うのです

それは

お母様が

美しい穂先という

名前のとおり

凛、としているから

泣きたくなるほど

好きになっていくのです

 

三角みづ紀

カナシヤル」所収

2006

八尾の萩原朔太郎、一九三六年夏

 昭和十一年八月二十一日。あなたは従兄の病気見舞いのため大阪八尾の萩原家を訪れたところだ。栄次さんは重篤。少 年期から青年期にかけて心の支えであり文学上の師でもあったこの従兄がいなければ今の自分はなかった、とあなたは思う。医学の道を断念し、熊本、岡山、大 阪、東京での六年もの浪人生活の末、失意のうちに帰郷した青春時の残像が次々と脳裏を走る(竹、竹、竹……)。あの頃、ドストエフスキーを教えてくれたの も栄次さんだった(一粒の麦もし死なずば……)。詩作の苦悩を訴えたのも、成功の予感を告げたのも、処女詩集の献辞を捧げたのも、すべて栄次さんに対して だった。彼は今もあなたを「朔ちゃん」と呼ぶ。

 

 この時あなたは、すでに七冊の詩集をもつ堂々たる詩壇の人物。一昨年に出した詩集は、自他ともに一番弟子と認める 詩人から手厳しい批評を受けたが、一方では新しい理解者をもたらした。昨年は初の小説を、この春には念願の定本詩集も出した。若い詩人たちに敬われ大手雑 誌の「詩壇時評」の担当者でもある。最近、ある詩人があなたの「抒情精神」の脆さ危うさを批判する辛辣な評論を発表したが、なんら反論もせず見過ごすくら いの余裕はすでに生れている(数年後その詩人の不安は的中することになるのだが)。

 

 先ほどあいさつに出た小学生は栄次さんの長男で八尾萩原医院の後継者。この少年が六十年以上も後に、あなたのマン ドリン演奏のことや、親族皆でくり出した温泉旅行のことを書くことになる(*)とは、あなたは夢にも思わない。「たいそう情感を籠めた弾きかた」と、少年 が感じた楽曲は何? 酒が入ると時折弾いた古賀メロディの一節?(まぼろしの影を慕いて……)少年が目撃しそこねたという宴席で、あなたは従兄の病をしば し忘れることができたでしょうか。著名人としての自意識が少しは働いたのでしょうか。色紙などしたためて(広瀬川白く流れたり……)。つい先日、父の墓を 訪れて「過失を父も許せかし」と歌ったあなたは、たしかに半世紀を生きてきた。「父よ わが不幸を許せかし」とは「不孝」の誤り? それとも本気で「わが 不幸」を悔いていた? 「父は永遠に悲壮である」と書いたあなたは、亡父に自らを重ねていたのでしょうか。

 

 朔太郎さん。あなたが従兄を亡くし「文学界賞」を受け「詩歌懇話会」の役員となり「日本浪漫派」同人となるこの年 のことを、ぼくはいずれ詳しく書きたいと思っています。残り少ない歳月の中であなたが最後にたどり着いた詩境(それは昭和十四年刊行の詩集『宿命』に示さ れることになるのですが)の出発点が、大阪八尾のこの夏にあるのではという、さして根拠のない直感にこだわってみたいと思うのです。この頃のあなたに特別 な興味を抱くのはぼくだけではない、と思われてしかたがないのです。五十路のあなたはすでに(栄次さんと共に)冥府をさまよっていたのかもしれません。

 

 (*)萩原隆『朔太郎の背中』深夜叢書社

 

山田兼士

微光と煙」所収

2009