朝です
ふすまひとつへだてた、一軒の家の中で
唯、身を横たえて生きている父と、隣り合っている
親子、という堅密な
しかも世代をわかつ二人の人間の間隔が
わずか二、三メートルの差であることを見せられるのは
何という気味の悪さでしょう。
おおいやだ
あの声、タカコオシッコ、という泣き声
あの残された甘やかなもの
幼児の愛らしさと同居しているあの言葉
あの言葉のどこに
六十年の歳月があろう?
どれだけの成長があろう?
老いつかれた父の唇にのぼる
あまりに稚拙な生理の表白。
おおその言葉のように
私も父と同居だ
私は今、かろうじて若く
手も足も自分の自由になり
半身不随の父の苦しみを知るよしもない
そのへだりが僅か二、三メートルであることを
私は見るのだ
私の一生かけた成長のあとが
あの稚拙さで終る日がふすまをへだててありありと見えるのだ。
石垣りん
「レモンとねずみ」所収
2008
見も蓋もない本当で、詩にならないものなんか、ない、と勇気づけられるところがあります。
重たい詩ですよね。忘れられない冒頭です。これは、岩波文庫の『石垣りん詩集』に入っていました。
おれももうすぐ還暦だし、他人事ではないな、と少し思う。