Category archives: 1990 ─ 1999

川のほとりに

どこからか わたしは見ている
体重のない人たちが
この岸からあの岸へ
一度かぎり運ばれていくのを

水は澄み きめこまかくねっとりとして
渡し守が櫂をうごかしてもしぶきが飛ばない
舟のうえの人びとはたぶん《魂》なのだろうに
まるで魂の抜けた人のようだ

深い眠りのなかにあるように
うっすらと口をあけている
忘れ川の水をのむまでもなく
おそらく記憶を失いつくして

あの老女たちはみな母に似ている
とすればわたしもかれらにうそ似ているのであろうか
夢が夢に似るほどの似通いかたで
うっすらと口をひらいて

そしてどちらの岸から
わたしは見ているのであろうか
へさきにとまった蜻蛉が うすい翅で
広大な午後の重みを量っている

多田智満子
川のほとりに」所収
1998

紙ヒコーキ

おまえのいなくなった部屋に

紙ヒコーキがひとつ落ちている

ぼくが催しでもらってきたもの

仕事が一段落したら

公園で飛ばしてやろうと思っていたが

その前に

おまえの方が空高く

いってしまった

 

休日のよく晴れた午後

外に出て

ひとり公園に行く

楽しげに親子連れが遊んでいる

ボールを蹴ったり

バドミントンをしたり

砂遊びをしたり・・・・・・・

 

ぼくは

持ってこなかった紙ヒコーキを手に持って

思いきり

空に向かって飛ばす

それは高く軌跡を描いて飛んでいく

おまえはよろこぶ

ぼくのとなりで

そうしていつまでも

ふたりでその跡を追っている

 

高階杞一

早く家へ帰りたい」所収

1994

答案

なにイ てめエ やる気かア

カッと眼に憤怒をこめて

椅子からヌッと立ち上がった

背丈は六尺以上ある

サッカーで鍛えた両腕の先に

でっかい拳が固まってブルブル震えている

 

おれはやる気だ

お前がその態度を改めない限りはな

 

学期末試験の監督中に 僕は

彼が

これ見よがしに

机の中からノートを取り出しかけたのを

見咎めて 三回ほど警告した

四回目のときだ

彼が

殺気立った声で肩をことさら怒らせて

いきなり僕に向かって咆哮したのは

 

お前はスポーツマンだろう

おれはルール違反を認めない

暴力を振るうなら サッカーと同様罰則を食うぞ

 

拳が矢庭にとんで僕の顔面を張った

と思ったが

彼は

その寸前で腕をとめたのだ

 

よかった

もしあの拳が僕をふっとばしていたら

彼は

もちろん退学処分だ

僕も

間違いなく怪我をしていただろう

 

周囲の生徒たちは みんな

固唾を飲んで

一部始終を見つめていた

彼は

テレ隠しに 一と声 奇声を発して

席に腰を下ろした

ふて腐れて

今度は あられもない歌を

大声でわめき始めた

 

気にするな

あいつは

今はああするほかないんだ

君らも迷惑だろうが

ともかく試験問題に取り組め

 

クラス全体五十余人に向かって言おうと思ったが

それを 僕は口の中で呑み込んだ

 

彼は

わめき放題わめくと 机に顔をくっつけて

狸寝入りを装った

時たま 教壇にいる僕の方を

上目遣いにちらりちらりと見遣りながら

 

そのまま無事に試験は終わった

答案を集めて 枚数を確認していると

彼の答案は白紙だった

 

不正行為を未然に防いだ

という安堵感があった

と共に

彼にひとこと言葉をかけようと

彼の席の方を見たが

彼は

もうとっくに教室をとび出した後だった

 

杉浦鷹男

「答案」所収

1998

負債の証券化について

(日本経済新聞連載「経済教室」より③)

 

80年代に入って急速に普及した負債の証券化

所謂「セキュリタイゼイション」は

それまで閉ざされていた債権者⇔債務者の関係を

本来の負債とは無縁の投資家へと解放することにより

全く新しい巨大金融市場を創出した

斯くしてアルゼンチンの首都に群がる失業者たちの未来は

先進諸国の銀行団(syndicate)の手を離れ

シアトル郊外で美しい朝露を光らせる芝生の行方は

日本の個人投資家たちの見定めるところとなった

だが如何に幅広く分散しようと

本来の負債に内在するリスクが消失する訳ではない

国家財政に巨額の損失を与えたS&L危機の問題を持ち出すまでもなく

投資に際してはこの点に充分留意する必要があろう

たとえば路上にたたずむ娼婦の胸に故知らず湧き上がる厭な予感

その感覚は証券化により流通可能に標準化され

全世界の都市から農村へと忽ちにして伝播される

その波から逃れることは水牛の背に止まる小鳥にも不可能なので

オプションあるいはスワップ等のヘッジング取引を介して

速やかに青空へ飛び去ることが望ましい

 

四元康祐

笑うバグ」所収

1991

無力の夏

コップは割れて鳥子の喉に流れ込むはずだったアプリコットジュースが床にこぼれてしまう《モウ一度ヤリ直サクチャ》振り向きざま鳥子に手渡そうとしたコップは割れて鳥子の喉に流れ込むはずだったアプリコットジュースが床にこぼれてしまう《モウ一度ヤリ直サクチャ》なみなみと注いだアプリコットジュースの冷たさが硝子越しに指を凍えさせるから振り向きざま鳥子に手渡そうとしたコップは割れて鳥子の喉に流れ込むはずだったアプリコットジュースが床にこぼれてしまう《モウ一度ヤリ直サクチャ》美しく透んだ氷を選んでいくつも入れなみなみと注いだアプリコットジュースの冷たさが硝子越しに指を凍えさせるから振り向きざま鳥子に手渡そうとしたコップは割れて鳥子の喉に流れ込むはずだったアプリコットジュースが床にこぼれてしまう《モウ一度ヤリ直サクチャ》開け放したままの冷蔵庫から漏れる淡いオレンジ色の光を浴びながら美しく透んだ氷を選んでいくつも入れなみなみと注いだアプリコットジュースの冷たさが硝子越しに指を凍えさせるから振り向きざま鳥子に手渡そうとしたコップは割れて鳥子の喉に流れ込むはずだったアプリコットジュースが床にこぼれてしまう《モウ一度・・・・・

 

修復 できない

幾度繰り返しても(いいえ たったいちどだけ)コップが割れて

飛び散る無数の硝子片がマーブルの床に突き刺さる

 

「リピート・プレイをぬけだすには」

遠くから鳥子の声が聞こえる

そう リピート・プレイをぬけだすには わたしはそれが知りたいの

教えて 鳥子

「リピート・プレイをぬけだすには」

アプリコットジュースの洪水に押し流されてゆく鳥子の声がゆらゆら揺れる

「リピート・プレイをぬけだすには すばやく時間を飛び移ること

ターンテーブルはまわり続けているのだから

擦過音を解く針のようにすばやく

絶望が長く引き伸ばされるような落下に耐えて

死んだばかりの魚時間

非ユークリッド幾何学における球面三角形の声時間

それから アフリカ時間」

 

《飛ビ移ル》!

 

アプリコットジュースがわたしの血を滲ませて マーブルの床をゆっくりと流れてゆく 鳥子に手渡そうとしたコップは割れ 飛び散った硝子の破片がわたしの指を傷つけていた 氷のかけらをいくつも入れてからなみなみと注いだアプリコットジュースが 急速に冷えてわたしの指をしびれさせたのだ アプリコットジュースを注ぎ入れたとき 氷たちは触れ合って ピシ、ピシ、と音がしたから わたしはわざとゆっくり長々とジュースの瓶を傾けた 開け放したままの冷蔵庫から淡いオレンジ色の光が漏れてコップの中のアプリコットジュースの中の氷のひとつひとつに影ができるのをぼんやり数えた 冷蔵庫を開けてその瓶を見つけた瞬間 アプリコットジュースに決めたのだった かすかな電気音をたてている冷蔵庫の中にアプリコットジュースが冷やされていることなどすっかり忘れていたのに 床に転がっていた硝子のコップを拾い上げたときは ただ喉が乾いたということばかり思いつめていたのだ
喉が乾いた、と。落雷のように激しく、喉が、乾いた、と・・・・・

 

喉が 乾いたのは 《誰》

 

アプリコットジュースが広がる床に浮島のように光る硝子片を飛び渡って

鳥子が 駆け寄ってくる

素足から流れ出した鳥子の血が アプリコットジュースに混じって

わたしと鳥子のマーブル模様を描いている

 

川口晴美

デルタ」所収

1991

住んでる人しか知らない道

多分、住んでる人しか知らないだろう、

その道、

詩を書こうと思って、その道を選んだ。

 

その辺りに住んでいて、そこを歩いている人には、

説明するまでもないが、

知らない人には、説明の仕様もない、

ありふれた道。

東大阪の

近大から上小阪、中小阪、下小阪へ通じている

家々の間を緩やかに蛇行した細い道。

多分、昔からある道。

 

夏も終わる夕方、近大前で濱田君と別れた後、自転車を押す池田君と

わたしは話をしながら、並んで歩いた。

二人が並んで歩くと、

擦れ違う人はいくらか身を避ける格好になる。

こちらも、そうする。

 

おばあさんが

家の前に吊り下げ並べた幾つもの鉢植えの花に如雨露で水をやっていた。

少年が

戸口で犬の頭をごしごし撫で、犬は尾を振り切るほどに振っていた。

おばあさんの唐草模様のワンピースが、いいなあ。

少年のやさしく力を入れた手元が、いいなあ。

犬の尾っぽ。

そんな感じ。

 

それにしても、地べたにしゃがんだ少女は、

道ばたの石の間の雑草の茂みに、手を入れて何を探していたのだろう。

池田君は、古いパソコンを使っていて、それに合う

「5インチのフロッピーは、もう、売ってませんよ」

といい、わたしの頭には「発語」という単語が引っかかっていた。

先ほど、授業で、

「詩の本質は、発語の共有だ」といった。

何に接して、言葉が生まれてくるか。

「問題は、その発語の主体にある」と。

心を向けているもの、心が受け止めるイメージ。

それで、

「発語は決まる」が、

その「発語」を読者と共有できるかできないか。

「もう、売ってませんよ」と、池田君は言うけど。

 

詩集は売ってない。

生活者は現代詩を読まない。

現代詩は大学で講義されて、

見たこともないその言葉の姿に学生たちは驚く。

で、

詩を書く人は結構な数だが、余り読まない。

多くは詩に無知だから。

詩に無知だからと言って、どうってこともない。

現代詩は日常を地割れさせる。

大衆から遠ざけられる。

その言葉が言葉の在処の深みにあるから、

深く潜れる者にしか知られない。

 

この「わたし」が「発語」を求めて接しているところは、

発生してくる言葉が秘めた深み。

その辺りに住んでいる人しか歩かない道を、

住んでいるのではないわたしは歩いている。

おばあさんの夕日に透けたワンピース。

住んでいる人には見えないワンピース。

花が枯れてはいけないと、おばあさん、

如雨露から迸り光る水。

犬の頭をごしごし擦る少年の手元。

犬は嬉しがり、少年は更に撫でる。

彼だって、明日になれば、そのしたことを忘れてしまうだろう。

小さなことだが、

わたしは、その彼らの姿を大切に記憶する。

当人も他人も忘れてしまう姿を留めたいとは思いながら、

でも、わたしもいつかは忘れてしまう。

小さなことだ。

でも、生きてる。

そこで、言葉。

言葉になり変わる。

わたしは言葉になり変わる。

万感を込めて、言葉になり変わる。

道ばたの草のような言葉になり変わる。

いつか少女が、そこに素手を差し入れて探し出してくれる。

 

書かれた言葉が読まれないのは辛い。

言葉に、

求めに応じる力がないからか。

言葉に、

求めて行く心がないからか。

 

辛いからと、早まった結論をしてはいけない。

人は、心に生きている人を失えば悲しむ。

人は存在の消失を悲しむ。

悲しむ心は無くならない。

しかし、先ずは、何事でも、心の中に存在しなければ、

失われたことにも気がつかない。

気がつかなければ、悲しむこともない。

ここだ。

存在への対し方、それが問題。

如雨露で水を掛けるおばあさんの姿は、

通りすがりの人には、見えない。

犬の頭を撫でる少年の手元は、目を引かない。

不透明性が覆っている。

都市生活者の意識の不透明性。

人の死よりも、葬式が幅を利かす不透明性。

住んでいる人しか知らない道を、

顔を見知っていなければ、互いの姿を見ないで行き交う。

 

不透明性の中で存在を明示する語法を工夫しなければ。

一つは、不快で過激な曖昧を実現する語法。

また一つは、不透明を透徹する語法。

語法というのは、物事の関係を改める言葉遣いのことです。

でも、これはかなり厄介。

先ずは、人との関係を改めなければならないから。

いろいろな先達が、そんな風にやってきた。

「そんな風」の風を、この道で感じた。

住んでいる人しか知らない道を、

そこに住んでいないわたしは、

若い池田君のコンピュータの話に耳傾けながら、

歩いた。

確かに、歩いた。

右足をちょっとびっこ引いて。

 

道の終わりの駅近くの不定に広がった区画に来て、

京間六畳一間のアパートに帰るという池田君に、

手を振って分かれた。

池田君は、角からいきなり出てきた自動車を身軽に避けて、

腰を上げ、ペダルを踏み下して走り去った。

 

鈴木志郎康

詩の電子図書室」所収

1998