Category archives: 1990 ─ 1999

昼の駅

あれは夏の電車 記憶のかなたから陽炎のゆ
らめきをつっ切って 昼のホームに入ってく
る わたくしは乗れない 乗るには疲れすぎ
ている 電車の扉があき しまる でていく
電車の窓から 少女のわたくしが手をふって
いる 行ってしまった 逝ってしまった過去
に再会するために ひと茎の水草の想像力を
もった人が また一人 昼の駅に集まってく
る 水辺を失った水草の中を黒アゲハがゆっ
くりと羽ばたくけれど キミが卵を生みつけ
られる想像力などここにはないんだよ 補虫
網を持つには この駅に立ちつくす人は疲れ
て重すぎる 水草どうし手を広げると 夏の
電車の蜃気楼 誰も乗れない電車が音もなく
ホームに入ってくる 誰もが乗りたいのに 
切符は水草の汁でビトビトに溶けていく わ
たくしも溶けた切符を手にぼんやり電車を見
送っている 窓から少女だった頃のわたくし
が かろやかに笑いながらやはり手をふって
いた ホームの外の街は反射光で何も見えな
い 街があったのか どの道をたどってここ
に行き着いたのか わからずに ここにいる
この昼の駅でホームのはしっこにつったった
まま どこにも行けずに ここにいる

こいけけいこ
「月と呼ばれていたとき」所収
1991

童話

眼が見えなくなる
ゆっくりだけれど 見えなくなる日がくると白衣の先生が言った

眼の見えなくなったときひとつのことを言おう
〈あなたが好きでした〉
好きなひとの見えなくなったとき
ひまわりを見上げている少女のように明るく
〈あなたが好きでした〉

見えていたときには言えなかった言葉を
一度だけ言う それから忘れてしまおう

見えなくなった眼に咲くひまわりは
闇にいつまでも寂しいだろう

大倉昭美
「あなたへの言伝」所収
1990

治癒

深い傷の淵から
ゆっくりと癒されていくとき
傷口のさらにおくから
すこしずつ湧きあがってくる
この世でもっともすみ切った水にあらわれて
傷口はやがて新しい目になるだろう
もはやなんのためらいもなく
まっすぐ天にむかってひらかれたレンズの
焦点は深く視界は広く
ついに新しいおのれの星を発見するそのとき
あれほどいたかった傷口は
しずかに満々と水をたたえて
天にもっとも近い湖
新しい星一つうかべて
なおはげしくのぞみつづけるだろう
さらにあたらしい目差しだけを

征矢泰子
花の行方」所収
1993

夏の物語─野球─

     摑む。
    滑る。
砂煙があがる。
 倒す。倒れる。
   どよめく。
  沸く。
 燃える。
ギュッとくちびるを噛む。
 苦しむ。焦る。つぶされる。
   どこまでもくいさがる。
  どこまでも追いあげる。
 どこまでも向かってゆく。
波に乗る。拳を握る。
襲いかかる。陥れる。
踏みこむ。真っ二ツにする。
盗む。奪う。
 刺す。
振りかぶる。構える。
  投げおろす。打ちかえす。
叫ぶ。叫ぶ。
跳びつく。駈ける。
     駈けぬける。
深く息を吸う。引き締める。
  かぶりを振る。うなずく。
 狙う。睨む。脅かす。
浴びせる。崩す。切りくずす。
むきだしにする。引きつる。
踏ンばる。
顔をあげる。腰を割る。
粘る。与える。ねじふせる。
         投げる。
        打つ。
       飛ぶ。
      走る。
見事に殺す。
なお生きる。生かしてしまう。
     付けいる。
    追いこむ。
     突きはなす。
    手をだす。
     見逃す。
読む。選ぶ。
黙る。
黙らせる。目に物みせる。
意気地をみせる。思い切る。
叩く。突っこむ。死ぬ。
 (動詞だ、
  野球は。
  すべて
  動詞で書く
  物語だ)
あらゆる動詞が息づいてくる。
  一コの白いボールを追って
 誰もが一人の少年になる
夏。

長田弘
心の中にもっている問題」所収
1990

むじゅん

 とほいゆきやまがゆふひにあかくそまる
きよいかはぎしのどのいしにもののとりがぢつととまつて
をさなごがふたりすんだそぷらのでうたつてゐる
わたしはまもなくしんでゆくのに
せかいがこんなにうつくしくては こまる

とほいよぞらにしゆうまつのはなびがさく
やはらかいこどもののどにいしのはへんがつきささる
くろいうみにくろいゆきがふる
わたしはまもなくしんでゆくのに
みらいがうつくしくなくては こまる!

吉原幸子
「発光」所収
1995

夢一夜

昨夜は夢をみて
小鳥の籠があったかしら 火は爆ぜていたかしら

それであのひとはよそにおんながいるのです
わたしのところに十日ほど するとこんどはおんなのところに
行く夕方がきます
行っていらっしゃい
おんなは半分裸で いえ 肩から着物がすべて落ちるとかいなも細くて
背も薄いのです

ああ 夢に火がついて
それでやっと わたしの洞はあんなだったのよ
ながい間わたしをさびしがらせていたのがあの大きさだったのよ と分かる
不可思議の脛舐めている火の舌が這いまわり
くくっと わたし
こそばゆいので

あかい月がぼうっと上る夜道にむかって
いってらっしゃぁい
さびしくないわぁ と手を振っています

このおそろしさ
離れているのはおそろしいことよ とわたしはいつもあのひとに言ったのに
空けてあればいつのまにかおぼろに充ちる
夢一夜。

三井葉子
草のような文字」所収
1998

地下水

チーズと発音すれば 笑い顔をつくる事
ができます でも ほほえみはつくれま
せん ほほえみは気持の奥から自然に湧
いてくる泉ですから その地下水の水脈
を持っているかどうか なのですから

めったに笑わない顔があります でも
澄んだきれいな眼をしています いつも
遠くをみつめていて なんだか怒ってい
るような表情です しかし彼は怒ってい
るのではありません 地下水の水脈に水
を溜めている最中なのです

水が満たされて 彼がほほえむのはいつ
の事? 誰に対して?
たぶん そのために 明日があります

川崎洋
ほほえみにはほほえみ」所収
1998

何故 生まれねばならなかったか。

子供が それを父に問うことをせず
ひとり耐えつづけている間
父は きびしく無視されるだろう。
そうして 父は
耐えねばならないだろう。

子供が 彼の生を引受けようと
決意するときも なお
父は やさしく避けられているだろう。
父は そうして
やさしさにも耐えねばならないだろう。

吉野弘
吉野弘詩集」所収
1999

遠い花火

唇には歌でもいいが
こころには そうだな
爆弾の一個くらいはもっていたいな
ぼくが呟くと
(ばくだんって
あのばくだん?)
おばさんが首を傾げて質問する
そうですよ ほかにどんなばくだんがあるのですか
こころに
爆弾があって
信管が奥歯のあいだにあって
それをしみじみ噛みしめると
BANG!
ぼくがいなくなってしまうんだ
(いいわね そのときはわたしも
吹きとんでしまうんでしょ?
遠い花火のように)

おばさんとぼく
ぼくが少年のときの海と空を
同時に思い出す
荒れ騒ぐ波のうえを
鷗が数羽とんでいる
はやくあのこのところへ行かなくちゃと
息はずませてボートを漕いでいる
若いおばさんもいる
おばさんには
村の道にぼつんと立っている
たよりない子供の影も見えていて
その子がやがて
<ボートを漕ぐおばさんの肖像>という
いくつかの詩を書くのである

辻征夫
ボートを漕ぐおばさんの肖像」所収
1992