霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ
影を落す影を落す
エンタシスある氷の柱
そしてその向ふの滑らかな水は
おれの病気の間の幾つもの夜と昼とを
よくもあんなに光ってながれつゞけてゐたものだ
砂つちと光の雨
けれどもおれはまだこの畑地に到着してから
一つの音をも聞いてゐない
宮沢賢治
「詩ノート」所収
1926
霜と聖さで畑の砂はいっぱいだ
影を落す影を落す
エンタシスある氷の柱
そしてその向ふの滑らかな水は
おれの病気の間の幾つもの夜と昼とを
よくもあんなに光ってながれつゞけてゐたものだ
砂つちと光の雨
けれどもおれはまだこの畑地に到着してから
一つの音をも聞いてゐない
宮沢賢治
「詩ノート」所収
1926
朝幼稚園へ行った息子が
夜三十五歳になって帰って来た
やあ遅かったなと声をかけると
懐かしそうに壁の鳩時計を見上げながら
大人の声で息子はうんと答えた
今まで何していたのと妻が訊けば
息子は見覚えのある笑顔ではにかんで
結婚して三年子供はなくて仕事は宇宙建築技師
俺もこんな風に自分の人生を要約して語ったっけ
おや、こいつ若しらがだ
自分と同い年の息子から酒をつがれるのは照れるもので
俺は思わず「お、どうも」とか云ってしまう
妻がしげしげと息子と俺の顔を見比べている
だがそれから息子が三十年後の地上の様子を話し始めると
俺たち夫婦は驚愕する
よくもまあそんな酷い世界で生き延びてきたものだ
環境破壊、人口爆発、核、民族主義にテロリズム
火種は今でもそこいらじゅうに満ち溢れていて
ええっとその今が取り返しのつかぬ過去となった未来が息子たちの今であって
ややっこしいが最悪のシナリオが現実となったことは確かだ
あのう、駄目なのかな、これからパパやママが努力しても?
さあて、どうだろう、時間の不可逆性ってものがあるからねえ
妻は狂言の場面みたいに息子の袖を掴んで
ここに残って暮らすよう涙ながらに説得するが
それはやっぱり摂理に反するだろう
未来はひとえに俺たちの不徳のなすところなのに
息子は妙に寛大だ
既にその世界から俺が消え去っているからだろうか
聞いてみたい気がしないでもないけど
まあどっちでもいいや
「僕らは大丈夫だよ、運が良かったら月面移住の抽選に当たるかも知れないし」
息子はどっこらしょと腰に手をあてて立ち上がり
俺と握手をし妻の頬に外国人のような仕草で口づけをし
それから真夜中の闇を背に玄関で振りかえると
行って来まあすと五歳の声をあげた
四元康祐
「世界中年会議」所収
2002
月光の
語るらく
わが見しは一の姫
古あをき笛吹いて
夜も深く塔の
階級に白々と
立ちにけり
日光の
語るらく
わが見しは二の姫
香木の髄香る
槽桁や白乳に
浴みして降りかゝる
花姿天人の
喜悦に地どよみ
虹たちぬ
月光の
語るらく
わが見しは一の姫
一葉舟湖にうけて
霧の下まよひては
髪かたちなやましく
乱れけり
日光の
語るらく
わが見しは二の姫
顔映る円柱
驕り鳥尾を触れて
風起り波怒る
霞立つ空殿を
七尺の裾曳いて
黄金の跡印けぬ
月光の
語るらく
わが見しは一の姫
死の島の岩陰に
青白くころび伏し
花もなくむくろのみ
冷えにけり
日光の
語るらく
わが見しは二の姫
城近く草ふみて
妻覓ぐと来し王子は
太刀取の耻見じと
火を散らす駿足に
かきのせて直走に
国領を去りし時
春風は微吹きぬ
伊良子清白
「孔雀舟」所収
1905
(日本経済新聞連載「経済教室」より③)
80年代に入って急速に普及した負債の証券化
所謂「セキュリタイゼイション」は
それまで閉ざされていた債権者⇔債務者の関係を
本来の負債とは無縁の投資家へと解放することにより
全く新しい巨大金融市場を創出した
斯くしてアルゼンチンの首都に群がる失業者たちの未来は
先進諸国の銀行団(syndicate)の手を離れ
シアトル郊外で美しい朝露を光らせる芝生の行方は
日本の個人投資家たちの見定めるところとなった
だが如何に幅広く分散しようと
本来の負債に内在するリスクが消失する訳ではない
国家財政に巨額の損失を与えたS&L危機の問題を持ち出すまでもなく
投資に際してはこの点に充分留意する必要があろう
たとえば路上にたたずむ娼婦の胸に故知らず湧き上がる厭な予感
その感覚は証券化により流通可能に標準化され
全世界の都市から農村へと忽ちにして伝播される
その波から逃れることは水牛の背に止まる小鳥にも不可能なので
オプションあるいはスワップ等のヘッジング取引を介して
速やかに青空へ飛び去ることが望ましい
四元康祐
「笑うバグ」所収
1991
白──
明るい海のにほひ、
濁った雲の静かさ、
白──灰──重苦しい痙攣・・・・・・・
腹立たしいような、
掻き毟しつたやうな空。
藻──流木──
磯草のにほひ。
白──
岸と波とのしづかさ。
──忘却──夢──
苦悶の影──
白──
波の遠くに遠くにひびく
夢の如うな音──狂ひ──嘆き──
──白
──濁り──風
風──
しづかな音
風──
白──
川路柳虹
「路傍の花」所収
1910
The little river twittering in the twilight,
The wan, wondering look of the pale sky,
This is almost bliss.
And everything shut up and gone to sleep,
All the troubles and anxieties and pain
Gone under the twilight.
Only the twilight now, and the soft “Sh!” of the river
That will last forever.
And at last I know my love for you is here,
I can see it all, it is whole like the twilight,
It is large, so large, I could not see it before
Because of the little lights and flickers and interruptions,
Troubles, anxieties, and pains.
You are the call and I am the answer,
You are the wish, and I the fulfillment,
You are the night, and I the day.
What else—it is perfect enough,
It is perfectly complete,
You and I.
Strange, how we suffer in spite of this!
D. H. Lawrence
From “Love Poems and Others”
1913
ヘネフにて
小さな川が薄明の中、ささやいている
青白く、おぼろな空は素晴らしい眺めだ
何という無上の喜び
万物が静まり返り、眠ろうとしている
全ての苦悩、懊悩、痛みは
行ってしまったのだ。薄明の中へと。
今は薄明と、そして川の優しくささやく音だけがある
それは永遠に続くだろう
そしてついに、私はあなたへの愛を今ここに感じ取る
私はそれを全て掴み取ることが出来る、この目の前の薄明のように
それは大きい。大きすぎて、だから気づかなかったのだ。
光が少なすぎたのだ、それにちかちかと瞬き、邪魔が入ってしまう
苦悩、懊悩、そして痛み。
あなたは「呼ぶ声」そして私は「答える声」
あなたは「希望」そして私は「満たすもの」
あなたは「夜」そして私は「昼」
何と言うことだ。完璧ではないか。
そう正に完璧。
あなたとそして私。
何と奇妙なことだ!それなのに、私たちは傷ついている!
きつと可愛いかたい歯で、
草のみどりをかみしめる女よ、
女よ、
このうす青い草のいんきで、
まんべんなくお前の顔をいろどつて、
おまへの情慾をたかぶらしめ、
しげる草むらでこつそりあそばう、
みたまへ、
ここにはつりがね草がくびをふり、
あそこではりんだうの手がしなしなと動いてゐる、
ああわたしはしつかりとお前の乳房を抱きしめる、
お前はお前で力いつぱいに私のからだを押へつける、
さうしてこの人気のない野原の中で、
わたしたちは蛇のやうなあそびをしよう、
ああ私は私できりきりとお前を可愛がつてやり、
おまへの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。
萩原朔太郎
「月に吠える」所収
1917