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空から降りてきた男

空から降りてきた男は、
花束をかかえて
笑っている。

その着陸場は
たちまちに沙漠となる。

そこはかつての激戦地。
爆弾や銃砲弾の破片とともに、
無数の死骸を
ブルドーザーで
地ならししたところ。

その男は
空を
大股に駆け回る、
黒いマントの翼をつけた
メフィストフェレスのように。

その男の
かかえている花束のまわりには、
巨大な蛾が
群り飛んでいる。

乾ききった
沙漠の風の中で、
つねに微笑をたたえて
僕たちにささやく男。

僕たちの
眠っている間に、
突然、
稲妻みたいな閃光が、
暗夜を
ヒステリックに引き裂いた。

そこは
僕たちの手のとどかぬ遠いところだったが、
その男はすでに
そこにいた。

翌朝、
新聞を読んだら、
やたらに
「平和」という活字が眼についた。

壺井繁治
1956

毛布

夜半のねざめ寒ければ
父は毛布を買はんと思へり
おのおのに一枚の白き毛布
父は買はんとおもふなり
幼な児にも買ひあたへん
また兄にもと思ひつつ
年は幾年をへたり
星しろくまた今年も寒くなりて
父は白き毛布を買はん
おのおのに一枚づつの白き毛布を
かひあたへんと思ふなり。

中川一政
「見なれざる人」所収
1921

時間

広野の上に日は遠く歩いてゆき、
水は私を押し流す、
私のからだの上、心の上に過ぎてゆく月、日、
その軽やかな親しい足取り。

私は土を耕し、
吹き過ぎる風に種を播き、
ほうぼうと芽生えが伸び、
雑草がはびこり、徒らに露がしげく。

五月、六月、空に渦巻く光の渦、
草むらにとんぼ返りを打つ蜻蛉、
五月、六月、目にも見えず栗の花が散り、
ひそかに無花果が葉のかげに熟し、やがて地に落ち。

それ等虫けらと葉つ葉のなかに
鮮かに生長する神話、
うつりゆく季節、
子どもの心を押しひろげてゆく時間。

樹々の枝を吹き過ぎる朝の風は
鋭い指に日々の暦を繰りひろげ、
夕、古い木の葉を吹き散らして
日めくりの紙片を一枚一枚引きちぎる。

私は私の上に歴史の歩みを感じる、
私は私の心を、からだを耕し、
私自身の上に種を播き、
草々がはびこり、花が咲き、日がたける。

私は時間に押し流されながら、
私のうちらに神そのものの軽やかな足取りがあり、
一枚、一枚、頁を数へながら、
楽しく繰りひろげてゆく日々の絵暦。

竹内勝太郎
1935

接吻

臭のふかき女きて
身體も熱くすりよりぬ。
そのときそばの車百合
赤く逆上せて、きらきらと
蜻蛉動かず、風吹かず。
後退ざりつつ恐るれば
汗ばみし手はまた強く
つと抱き上げて接吻けぬ。
くるしさ、つらさ、なつかしさ、
草は萎れて、きりぎりす
暑き夕日にはねかへる。

北原白秋
思ひ出」所収
1911

平和

峠の上から
人々の働いてゐるのを見ると
平和そのものゝやうだ
麦をかつてゐる者
田植をしてゐる者
馬で田畑を耕してゐる者
仔馬は母親の廻りをとびはねてゐる。
それを太陽は慈悲深く
しかし厳かに照らしてゐる。
平和そのものゝやうだ。
平和の神は太陽と共に
この世を照してゐるのだが
人々はまだそれを受け入れることが
出来ないのではないか。
神は人々と共に働いてゐるのだが
人々はそれに気がつかないのではないか。

武者小路実篤
無車詩集」所収
1941

穀物の種子

と或る町の
街角で
戸板の上に穀物の種子をならべて賣つてゐる老嫗さんをみてきた
その晩、自分はゆめをみた
細い雨がしつとりふりだし
種子は一齊に青青と
芽をふき
ばあさんは蹙め面づらをして
その路端に死んでゐた

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

炭屋に僕は炭を買ひに行つた
炭屋のおやぢは炭がないと言ふ
少しでいゝからゆづつてほしいと言ふと
あればとにかく少しもないと言ふ
ところが実はたつたいま炭の中から出て来たばつかりの
くろい手足と
くろい顔だ
それでも無ければそれはとにかくだが
なんとかならないもんかと試みても
どうにもしやうがないと言ふ
どうにもしやうのないおやぢだ
まるで冬を邪魔するやうに
ないないばかりを繰り返しては
時勢のまんなかに立ちはだかつて来た
くろい手足と
くろい顔だ。

山之口貘
1963

帰郷

                昭和四年の冬、妻と離別し二兒を抱へて故郷に歸る

わが故郷に歸れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
鳴呼また都を逃れ來て
何所の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇氣おとろへ
暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に獨り歸り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒を烈しくせり。

萩原朔太郎
氷島」所収
1934

皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿
 倦怠
  額に蚯蚓が這ふ情熱
 白米色のエプロンで
 皿を拭くな
鼻の巣の黒い女
 其処にも諧謔が燻つてゐる
  人生を水に溶かせ
  冷めたシチューの鍋に
 退屈が浮く
  皿を割れ
  皿を割れば
倦怠の響がでる

高橋新吉
ダダイスト新吉の詩」所収
1923