Category archives: Chronology

「あそこの電線にあれ燕がドレミハソラシドよ」

 ――毎日こんなにいいお天気だけれど、もうそろそろ私たちの出発も近づいた。午後の風は胸に冷めたいし、この頃の日ぐれの早さは、まるで空の遠くから切ない網を撒かれるやうだ。夕暮の林から蜩が、あの鋭い唱歌でかなかなかなかなと歌ふのを聞いてゐると、私は自分の居る場所が解らなくなつてなぜか泪が湧いてくる。
 ――それは毎年誰かの言ひだすことだ。風もなかつたのに、私は昨夜柿の実の落ちる音を聞いた。あんなに大きく見えた入道雲も、もうこの頃では日に日に小さくなつて、ちよつと山の上から覗いたかと思ふと、すぐまたどこかへ急いで消えてしまふ。
 ――私は昨夜稲妻を見ましたわ。稲妻を見たことがある? あれが風や野原をしらぬ間にこんなにつめたくするのでせう。これもそのとき見たのだけれど、夜でも空にはやはり雲があるのね。
 ――あんなちつちやな卵だつたのに、お前も大変もの知りになりましたね。
 ――さあみんな夜は早くから夢を見ないで深くお眠り、そして朝の楽しい心で、一日勇気を喪はずに風を切つて遊び廻らう。帰るのにまた旅は長いのだから。
 ――帰るといふのかしら、去年頃から、私はどうも解らなくなつてしまつた。幾度も海を渡つてゐるうちに、どちらの国で私が生れたのか、記憶がなくなつてしまつたから。
 ――どうか今年の海は、不意に空模様が変つて荒れたりなどしなければいいが。
 ――海つてどんなに大きいの、でも川の方が長いでせう?
 ――もし海の上で疲れてしまつたらどうすればいいのかしら。海は水ばかりなんでせう。そして空と同じやうに、どこにも休むところがないのでせう、横や前から強い風が吹いてきても。
 ――疲れてみんなからだんだん後に遅れて、ひとりぼつちになつてしまつたらどんなに悲しく淋しいだらうな。
 ――いや、心配しなくていいのだ。何も心配するには当らない。海をまだ知らないものは訳もなくそれを飛び越えてしまふのだ。その海がほんとに大きく思へるのは、それはまだお前たちではない。海の上でひとりぼつちになるのは、それはお前たちではないだらう……。けれども何も心配するには当らない。私たちは毎日こんなに楽しく暮してゐるのに、私たちの過ちからでなく起つてくることが、何でそんなに悲しいものか。今までも自然がさうすることは、さうなつてみれば、いつも予め怖れた心配とは随分様子の違つたものだつた。ああ、たとへ海の上でひとりぼつちになるにしても……。

三好達治
測量船」所収
1930

別離

できるなら
ぼくはそこでその全部を暗誦したかつた
(生きた日のかぎりを)
それからプールの縁に桜草をいつぱいに植えて行きたかつた
わらべ唄をうたい
遠い日の子供になつて

嵯峨信之
嵯峨信之詩集」所収
1989

春の庭

明るい昼の陽射しの中に
なにかとんでるものがある。
時々芝生を黒い影が掠める。
庭にはチューリップやぶらんこや
喜々として遊びたわむれる子供や美しい母親の笑い。お菓子の匂い。
しかしまだなにか足りないものがある。
この緑の風景にやがて其処へおちてくる。
飛んでるものは疲れて落ちる。
いつも不幸はこのような仕方で
突然あらわれる。

岡崎清一郎
「銀彩炎上」所収
1974

両の手で掩いかくしても眼は見てはならぬものをみつめようとし
口は不埒なことをわめこうとするので
私は顏を草原にふり棄てた
ひきはがれた顏の下から従順な家畜の顏が生えた

私は風のなびくままに歩いた

街は祭日のように賑わっていたが
人々の眼はやはり家畜だった

線路をいくつ越えたか覚えていない

子供達が電線に凧がひっかかっていると騒いでいた

ふと見上げたらさっき草原に棄てて來たはずの私の顏がはりついていた

閉じた眼から涙ぼうだと垂れ 折からの入日にきらきらと輝き
口はにんまりと笑みを含んでいた

町田志津子
「幽界通信」所収
1954

野外

カタバミの花 咲いた
カタバミの花 咲いたの

きみのいない庭のアマリリスの鉢から

咲いた
咲いたの

カタバミの花

咲いたの

細い茎の先の
先に

むらさき色の花のひらいて

むらさき色の小さな花をひらいて
ひとつふたつみっつ

ひらいて

きみの庭のアマリリスの鉢から
いないきみの庭の片隅のアマリリスの鉢から

モコが庭で吠えてる
モコが庭の片隅で吠えてる

ウォン
ウォン

ウォンウォーーン

モコが吠えてる

いないきみの庭の隅の片隅の

モコが吠えてる
モコがウォンウォーーン

吠えてる

いないの

きみはもういないの
きみはもう遠くへ行ってしまったの

カタバミの花は咲いたの

カタバミの花は咲いたの
カタバミの花は咲いたの
カタバミの花は咲いたの

むらさき色の小さな花ひらいて
消えていったの

消えていくものは

細い茎の先のむらさき色の花ひらいて
細い茎の先の先に小さなむらさき色の花ひらいて

先なるものと
より先なるものと

なってきみは消えていったの

消えていくきみがいたの

いくつも消えていくきみがいたの
いくつもいくつも消えていくきみがいたの

消えていくきみをしずかにささえていたの
消えていくきみをしずかにささえていたかったの

消えていくものは消えていったの

消えていくものは消えていったの

野外に消えていったの

さとう三千魚
詩集 はなとゆめ」所収
2014

花もわたしを知らない

春はやいある日
父母はそわそわと客を迎える仕度をした
わたしの見合いのためとわかった

わたしは土蔵へかくれてうずくまった
父と母はかおを青くしてわたしをひっぱり出し
戸をあけて押し出した ひとりの男の前へ

まもなくかわるがわる町の商人が押しかけてきた
そして運ばれてきた
箪笥 長持ち いく重ねもの紋つき
わたしはうすぐらい土蔵の中に寝ていた
目ははれてトラホームになり
夜はねむれずに 何も食べずに
わたしはひとつのことを思っていた
古い村を抜け出て
何かあるにちがいない新しい生き甲斐を知りたかった
価値あるもの 美しいものを知りたかった
わたしは知ろうとしていた

父は大きな掌ではりとばしののしった
父は言った
この嫁入りは絶対にやめられないと

とりまいている村のしきたり
厚い大きな父の手

私は死なねばならなかった
わたしはおきあがって土蔵を出た
外はあかるかった
やわらかい陽ざし
咲き揃った花ばな

わたしは花の枝によりかかり
泣きながらよりかかった
花は咲いている

花は咲いている
花もわたしを知らない
誰もわたしを知らない
わたしは死ななければならない
誰もわたしを知らない
花も知らないと思いながら

中野鈴子
「花もわたしを知らない」所収
1955

日光浴室

日光浴室(さんるうむ)
  蔦がここまでのびました
  らるらる光がもつれます

日光浴室
  鳩が影してとびました
  ガラスの外のあをい空

日光浴室
  母さん毛糸をほぐします
  冬が近くにきてませう

日光浴室
  ぼくはベッドで手をのばす
  おひるのドンがなりました

日光浴室
  いちにち白いお部屋です
  いちにち白いお部屋です

桜間中庸
日光浴室 櫻間中庸遺稿集」所収
1934

花咲ける大空に

それはすべて人の眼である。
白くひびく言葉ではないか。
私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。
空と海が無数の花弁をかくしてゐるやうに。
やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。
失つたものは再びかへつてこないだらう。

左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1936

朝のバルコンから波のやうにおしよせ
そこらぢゆうあふれてしまふ
私は山のみちで溺れさうになり
息がつまつていく度もまへのめりになるのを支へる
視力のなかの街は夢がまはるやうに開いたり閉ぢたりする
それらをめぐつて彼らはおそろしい勢で崩れかかる
私は人に捨てられた

左川ちか
「左川ちか詩集」所収
1936

閑雅な食慾

松林の中を歩いて
あかるい氣分の珈琲店をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の 夢の中の珈琲店である
をとめは戀戀の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である。

萩原朔太郎
定本青猫」所収
1934