Category archives: Chronology

銭湯で

東京では
公衆浴場が十九円に値上げしたので
番台で二十円払うと
一円おつりがくる。

一円はいらない、
と言えるほど
女たちは暮しにゆとりがなかつたので
たしかにつりを受け取るものの
一円のやり場に困つて
洗面道具のなかに落としたりする。

おかげで
たつぷりお湯につかり
石鹸のとばつちりなどかぶつて
ごきげんなアルミ貨。

一円は将棋なら歩のような位で
お湯のなかで
今にも浮き上がりそうな値打ちのなさ。

お金に
値打ちのないことのしあわせ。

一円玉は
千円札ほど人に苦労もかけず
一万円札ほど罪深くもなく
はだかで健康な女たちと一緒に
お風呂などにはいつている。

石垣りん
表札など」所収
1968

ある孤独ー後退

結論のまだはっきりしないうちに
わあっと立ちあがって
すばやい勢いで殺到してゆくのをみた。
ひとびとはくろく一団となって
地平線の彼方に視野から没した。
その移動がいっせいだったので
自分ひとりが後退しているのだとわたしは錯覚した。
ひとたび後退しはじめるときりがないものだと悔みながら、自分がますますしりぞいているのだとばかり思っていた。
わたしが自分のまわりをおずおずと見まわしたとき
いぜんとしてわたしがその森のなかにいることにおどろいた。
あまりにすばやくみんながどこかへいってしまったのだ。
ここは老木ばかりの森だと誰かがいっていたその森のなかだ。
みんなが捨てていった理由をわたしはそんな風に納得した。
陽がさしてきてわたしはあらためてその森を発見した。
老木たちの梢々は
萌え出たばかりのうすみどりのわか葉が
小びとの群が手まねきでもするようにやさしく陽にむかってゆれていた。
なにかしゃべくって、たのしくにぎやかに、わか葉たちは急速に成長していた。
自分の場を捨ててしりぞいてゆくのだと錯覚した自分がおかしかった。
わたしのなかのあわてものよ、自信喪失よ。
そうではないのか、まわりには焦げつくように南国の陽がさし
森のうえにふりそそぎ
木の間を通して地面につきささっていた。
台風のあと、今年二度目の秋のわか葉がもえ出たことを祝福しているのだ。
シイ、クス、ニクケイ、ヤマモモ、タブ、カシの類。そこにまじるモミ、トガ、カヤの針葉樹類。
亜熱帯常緑樹のしげった森が
つよい秋の陽にむかってそよいでいた。

秋山清
「ある孤独」所収
1959

かなしい真珠採りの歌

浮きあがる力とあらそつて
僕はくぐる。
ぎらつく水の底を。

涙が珠になるといふ
うつくしい貝を
僕は、さがしにゆく。

僕のまはりの海は
硝子球のやうにまはる。
上と下をとまどひながら、僕は
泡で沸騰した南太平洋を
もとの位置に戻さうともがく。

潮流のずれ目を
寒暖のくひちがひで
僕は、歪みながら
いのちがけでとどく。

水のそこの岩かげで
ほそぼそと泉が咽び、
うつくしい貝殻が
化粧をしにあつまるところ、

ちろちろする笠子や
縞鯛の子が
つながった影とともに
あそびにやつてくるところ。

秘密警察のスパイ然と
遠くからちろりと横目をくれて
人喰ひ鮫が
うろうろとみはつているところ。

かみそりのやうに水を引き裂きながら
指先から
沸立つた汐をふきながら
僕は、泣いている貝をさがす。

いちばんうつくしい珠。
夜も照りわたるその珠を
僕は、手わたすのだ。
煙草をくはえて
算盤をはじく商人に。

品物をねぶみして
買ひてにわたすだけで
べらぼうにまうける商人に。

いのちがけな
「真実」の顆を
ねだつて手に入れた
心つめたい女たちは、

石のやうに
振動のきこえない胸に
つらねてかざる。
むなしい詩のために。

金子光晴
人間の悲劇」所収
1952

足跡

ずつと昔のこと
一匹の狐が河岸の粘土層を走つていつた
それから
何万年かたつたあとに
その粘土層が化石となつて足跡が残つた
その足跡を見ると、むかし狐が何を考えて
 走つていつたのかがわかる

(口述)

蔵原伸二郎
岩魚」所収
1955

ある家庭

またしても女房が言ったのだ
ラジオもなければテレビもない
電気ストーブも電話もない
ミキサーもなければ電気冷蔵庫もない
電気掃除機も電気洗濯機もない
こんな家なんていまどきどこにも
あるもんじゃないやと女房が言ったのだ
亭主はそこで口をつぐみ
あたりを見廻したりしているのだが
こんな家でも女房が文化的なので
ないものにかわって
なにかと間に合っているのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1962

一個の人間

自分は一個の人間でありたい。
誰にも利用されない
誰にも頭をさげない
一個の人間でありたい。
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかわり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい。

自分の最も深い泉から
最も新鮮な
生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい。

誰もが見て
これでこそ人間だと思う
一個の人間でありたい。
一個の人間は
一個の人間でいいのではないか
一個の人間

武者小路実篤
武者小路実篤詩集」所収
1953

智慧

死が
僕の傍に近寄って来たら
僕はじッと 死んだ振りをしていよう

そうして死を だまして
やりすごしてやろう
このかなぶんぶんのように

小さなかなぶんぶんよ
その哀しい智慧よ
はかないいのちの智慧よ

虫の智慧に教えられた
死んだ真似を 死も
人間のように 見抜くであろうか

早く飛び立て はかない虫よ
小さくても病んでないかなぶんぶんよ
思いきり大空へ 飛べる間に飛んでおくがいい

高見順
樹木派」所収
1950

あじさい

また季節はめぐりきて うすむらさきのほほえみはよみがえる あなたは思い出 いつみても懐かしい いつまでもあなたのそばにいると あなたの色が沁みこんでくるようだ かけがえのない愛の色よ あなたの繁みの奥に こころのゆりかごを静かにゆり動かす手がある あなたの蔭に「時」のない影がある だがもう あなたの芯から名前は生まれではしても むかしのあなたではない あの日のいのちとともにうすれて いつか消えてしまった ただひとたびの美しさよ いまあなたにくまどられながら じっとあなたをみつめていると 眼が痛くなり 眼を閉じると 急にまわりが広くなる 遠いものは近くなり 近いものは遠くなる あなたの中に私が在るのか 私の中にあなたが在るのか わからなくなる そして 人というものが哀しくなってくる

金井直
「飢渇」所収
1956

味噌汁

朝は味噌汁をすゝるんだとよ
くらいうちの門さきを過ぎる豆腐屋をよびとめて
朝はどの家でも味噌汁をすするんだとよ

──どの家でも
鍛冶屋のやうに火を閃めかして
くらがりのなかで味噌汁をすゝるんだとよ

百田宗治
「何もない庭」所収
1926

風鈴

かすかな風に
風鈴が鳴つてゐる

目をつむると
神様 あなたが
汗した人のために
氷の浮かんだコップの
匙をうごかしてをられるのが
きこえます

杉山平一
声をかぎりに」所収
1967