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母の言葉

「豆腐が五銭に、油揚が三銭に、
 味噌も、紙も。魚も魚河岸の争議から。
 何もかも高うなった。
 何で物が上がるやら。みんな、高うなった、高うなった、とこぼしているに。」

「となりは巡査一人のはたらきに
 六人の子ども。
 おかみさんもやりきれまい。」

「シュギシャみたいなことしとったんじゃ
 仕事などあるまい。
 憲兵が来る、刑事が来る、
 近所じゃなんと思うか。
 仕事のない者が、なんでそんなに夜がおそいか。
 諸式が高うなったら、どうするか。」

「座布団の上に小便しとった。
 四匹もおる、どれだか解りゃせん。
 もうままも食うし、魚も食う。
 この家に来てから生れたが、早いものじゃ。
 猫も冬は寒かろうから、陽のあたる家に
 早よう越したい。」

「向うの家から貰うたんじゃ。
 これは隣からもろうた。
 やったり、とったり、ここは長屋だけに
 田舎にいた時と同じじゃ。
 うまくもないが、よそから貰うたんじゃから、みんな食うてしまえ。」

秋山清
豚と鶏」所収
1933

悲歌

大空まで
翅をいためた紋白蝶は舞って行くでしょう

妹は
雪柳の下に
立っています
あなたは
走ってくるでしょう

五月雨は
指の先で
雪柳をゆすっています

私は
白い着物で
この窓から
大空を見上げているのです
もう
美しい声で
話さないで下さい

吉行理恵
吉行理恵詩集」所収
1970

ふたたび細い線について

ぼくの夢のなかでは
太陽は
たえず頭上にあって
暗黒の円環をひろげつづける
三十年まえの
夏の日の
正午から
ぼくの不可解な夢
暗黒と太陽の
奇妙な円環運動の夢がつづいている

そして
夢の終末には
きまって垂直の細い線が
円環を分割する
夢からさめると
その細い線は
昭和二十年八月十五日の
正午の
若狭の
小さな禅寺から
稲村ヶ崎五ノ三八ノ一八の
ぼくの家の
小さな庭までつづいていて

ぼくの足は
その細い線を
越えたのか
越えなかったのか

越えなかったのか
越えたのか

田村隆一
死語」所収
1976

苦しい

お手紙出したこといけない
汽車に乗ったこといけない
私のしたことみないけない

苦しい時には
外へ出てはいけません
立派な御本をおよみなさい
立派な御本をおよみなさい
けれど私は疲れはてて
いつも眠ってしまうのです

山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947

退屈

十年前、バスを降りて
橋のたもとの坂をのぼり
教会の角を右に曲つて
赤いポストを左に折れて三軒目
その格子戸をあけると
長谷川君がいた

きょう、バスを降りて
橋のたもとの坂をのぼり
教会の角を右に曲つて
赤いポストを左に折れて三軒目
その格子戸をあけると
やつぱり長谷川君がいた

杉山平一
声を限りに」所収
1967

長いつき指

放尿という言葉は
体温のあたたかみをもって
わたしの心を油断させる

あれは
記憶のはじまりに ちかい頃
男の人が
立ったまま用を足すのを見て
わたしにも できる気がした
想像していたようには上手くいかず
こっぴどく叱られた

あのとき わたしが持っていた
猿の手足のような柔軟性
内股をつたう温度は
いつ進化したのか

入院して検査を受けた時
トイレへ行くことを制限された
看護師は慣れたようすで
寝たまま、してくださいね
と言って
尿瓶をおいていった
ただひとつの事に
あんなにも心をしぼられたことはなかった
白くなり黒くなり
暑くなり寒くなった

タオルを絞ると思いだす
ジャムを開けると思いだす
なおらない右手の中指のつき指

してしまったことと
できなかったこととが
入らない指輪のように
時々 わたしの胸をかすめる

あんずの花の色が
月に滲んで沁みだすように
わたしの人間と性が
言うことを聞かずに
ちょっと めくれるのかもしれない

くつずり ゆう
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2017

紙飛行機

たくさんの屋根から
自分の屋根をみつけるのは
飛んでいるものたちにとっては
容易なことらしかった
いま母親の魂が夜の空を
自在に飛んできて
自分の屋根を探しはじめた
自分の屋根は高い屋根と
高い屋根とにはさまれた
低い屋根であったが
またたくまに母親は
自分の屋根をみつけて
まっしぐらにおりてきた
屋根にはなんのしるしもなく
雨樋に紙飛行機が
ひっかかっているだけだ

広部英一
「邂逅」所収
1977

テーブルの上の胡椒入れ

それはいつでもきみの目の前にある。
ベーコン・エンド・エッグスとトーストの
きみの朝食のテーブルの上にある。
ちがう、新聞の見出しのなかにじゃない。
混みあう駅の階段をのぼって
きみが急ぐ時間のなかにじゃない。
きみのとりかえしようもない一日のあとの
街角のレストランのテーブルの上にある。
ちがう、思い出やお喋りのなかにじゃない。
ここではないどこかへの
旅のきれいなパンフレットのなかにじゃない。
それは冷えた缶ビールとポテト・サラダと
音楽と灰皿のあるテーブルの上に、
ひとと一緒にいることをたのしむ
きみの何でもない時間のなかにある。
手をのばせばきみはそれを摑めただろう。
幸福とはとんでもないものじゃない。
それはいつでもきみの目のまえにある。
なにげなくて、ごくありふれたもの。
誰にもみえていて誰もがみていないもの。
たとえば、
テーブルの上の胡椒入れのように。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

ほんのしばらくと思つて
錨を下ろしたのに
錨には太いカギがあつた
カギは見えない泥にくひこみ
もう 離れようとしない

風が出てゐる
帆が鳴つてゐる

杉山平一
杉山平一詩集」所収
1952

新年の手紙(1)

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない

材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい

田村隆一
「新年の手紙」所収
1973