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ゆめ(三)

”とぶゆめ”をしばらくみない
といふはなしをしたら その夜
久しぶりに ”とぶゆめ”をみた

いつものやうに
高度は十五メートル位
塔の屋根から屋根へとんで
誰もゐない部屋をのぞきこんだり
電線をくぐったり
樹の枝にやすんだり
ヘリコプターを追ひかけたり

泳ぐゆめならみたわ
でもとぶゆめなんて一度もーー
とあのひとが言ったとき
わたしはふと胸をつかれた
(日常が そんなに重くて?)

反対かもしれない
日常が重いからこそ
わたしたちはゆめでとぶのかもしれない
それに とぶゆめといふものは
蝶のやうにいい気持とは限らない
むしろ たいていは怖いゆめだ

それでも
あのひとに 一度ぐらゐは
ゆめのなかでとばせてあげたい
蝶のやうにかるく
鳥のやうにするどく

ああゆめのなかでは
愛も 憎しみも
恐怖さへも かがやいてゐる
ぴすとるをしっかりと握って とべ
墜落のやうに烈しく

吉原幸子
「夢 あるひは…」所収
1976

五月の雉

風の旅びとがこっそり尾根道を通る
ここはしずかな山の斜面
一匹の雌きじが 卵を抱いている
青いハンカチのように
夕明かりの中を よぎる蝶
谷間をくだる せせらぎの音
ふきやもぐさの匂いが
天に匂う
(どこからも鉄砲の音などきこえはしない)

一番高い山の端に陽がおちる
乳いろのもやが谷々からのぼつてくる
やがて、うす化粧した娘のような新月が
もやの中からゆっくりと顔を出す
ーー今晩は、きじのおばさんーー
平和な時間がすぎてゆく
きじの腹の下で最初の卵がかえる
月かげにぬれてひよこがよろめく
親きじがやさしくそれをひきよせる
(どこからも鉄砲の音などきこえはしない)

蔵原伸二郎
岩魚」所収
1955

深夜

これをたのむと言いながら
風呂敷包にくるんで来たものを
そこにころがせてみると
質屋はかぶりを横に振ったのだ
なんとかならぬかとたのんでみるのだが
質屋はかぶりをまた振って
おあずかりいたしかねるとのことなのだ
なんとなからぬものかと更にたのんでみると
質屋はかぶりを振り振りして
いきものなんてのはどうにも
おあずかりいたしかねると言うのだ
死んではこまるので
お願いに来たのだと言うと
質屋はまたまたかぶりを振って
いきものなんぞおあずかりしたのでは
餌代にかかって
商売にならぬと来たのだ
そこでどうやらぼくの眼がさめた
明りをつけると
いましがたそこに
風呂敷包からころがり出たばかり
娘に女房が
寝ころんでいるのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1940

骨片の歌

ーそれよりもいつそ自分が自分を片づけた方がましだ。少くともいつ、どんな風に死ぬかといふことがわかるし、それに、どこに穴をあけるか自分で場所をえらぶ自由もある。
ツルゲーネフ「処女地」

灰で固めた骨片は、
すつても火がでない。

骨よ。おぬしが人間の
最後の抗議といふものか。
なにを叩く。誰をよびさます。
その撥で
骨は、骨のうへで軽業しながら
骨になつた自由をたのしんで、
へうきんに踊りながら答へた。
ーみそこなふなよ。俺さまを。
とつくりそばへよつて嗅いでみな。

かびくさいのは二束三文の
張三の骨、呂四の骨。
薬の毒のしみこんだ紫の骨、
いんばいの骨、のんだくれの骨。
あかがねくさい政治家の骨。
きちがひ茄子のにほふのは、あれは
戦にひつぱり出されたものの骨。
だが飛切上等の骨。
こいつを一つ嗅ぎわけてくれ。
気にいらぬ人生に楯ついて
おのれでおのれを処分したものの骨には
伽羅がにほふ。伽羅がにほふ。

金子光晴
鬼の児の唄」所収
1949

幻の花

庭に
今年の菊が咲いた。

子供のとき、
季節は目の前に
ひとつしか展開しなかった。

今は見える
去年の菊。
おととしの菊。
十年前の菊。

遠くから
まぼろしの花たちがあらわれ
今年の花を
連れ去ろうとしているのが見える。
ああこの菊も!

そうして別れる
私もまた何かの手にひかれて。

石垣りん
表札など」所収
1968

初聖体

或る朝のこと私は病室の窓から
見馴れない少女達の波のような一群れを
遠いい庭の芝草の上に見た。
だが、私がやがて御堂の入り口に立ったとき、私は今一人の少女が
その初聖体を受けようとしていることを知った
そうして波のようなあの少女達の一群れは、
その病んだ一人の少女の初聖体を祝う
多くの友であったことを。
私はいつからか見知っていた。
その少女の祈る様を、編まれた髪を、
又病んだその頬の色を。
だが今初めて真っ白なベールに飾られたその少女の姿は、
祭壇のマリアの御像のようにさえ美しく思われた。
そうして私はいつか思い出していた
街中桜の花びらが散っていて
乳母車を押してゆく若い母親達が、
誰もみんな天使のようにさえ美しく思われた
あの御復活祭の日の私の初聖体のことを。

野村英夫
「野村英夫詩集」所収
1953

約束もしないのに

冬がやってきた
だが木炭がない練炭がないで
市民はみんな寒がっている
でもあきらめよう
とにかくこうして
季節がくると冬がやってきてくれたのだから、
僕の郷里ではもっと寒い
冬には雄鶏のトサカが寒さで
こごえて無くなってしまうこともあるのだ
それでも奴は春がやってくると
大きな声で歌うことを忘れないのだから
勇気を出せよ、
雄鶏よ、私の可愛いインキ壺よ、
ひねくれた隣の女中よ
そこいら辺りのすべての人間よ、
約束しないのに
すべてがやって来るということもあるのだから
なんてすばらしいことだ
約束しないのに
思いがけないことが
やってくるということがあると
いうことを信じよう。

小熊秀雄
流民詩集」所収
1940

強くなつてね

寂しい顔を見せちや厭
なるようにしかならないわ
それより太いその腕で
あたしを抱いて笑つてよ
 強くなつてね ねえ あなた

さらりと添える縁なんか
ロマンチックぢやないことよ
くるしい棘を我慢して
折るのが愛の薔薇なのよ
 強くなつてね ねえ あなた

くよくよしてもつまらない
お止しなさいよ もの案じ
かなしく落ちる夕日でも
明日になれば上るわよ
 強くなつてね ねえ あなた

ひとりで生きる世ではなし
二人で分ける苦労なら
苦労も恋の味の素
涙の味も乙だわよ
 強くなつてね ねえ あなた

西條八十
西條八十歌謡集」所収
1970

ただ過ぎ去るために

     1.
 
給料日を過ぎて
十日もすると
貧しい給料生活者の考えのことごとくは
次の給料日に集中してゆく
カレンダーの小ぎれいな紙を乱暴にめくりとる
あと十九日 あと十八日と
それを
ただめくりさえすれば
すべてがよくなるかのように
 
あれからもう十年になる!
引揚船の油塗れの甲板に
はだしで立ち
あかず水平線の雲をながめながら
僕は考えたものだった
「あと二週間もすれば
子どもの頃歩いた故郷の道を
もう一度歩くことができる」と
 
あれからもう一年になる!
雑木林の梢が青い芽をふく頃
左の肺を半分切り取られた僕は
病院のベッドの上で考えたものだった
「あと二ヶ月もすれば
草いきれにむせかえる裏山の小道を
もう一度自由に歩くことができる」と
 
歳月は
ただ
過ぎ去るために
あるかのように
 
     2.
 
お前は思い出さないか
あの五分間を
五分かっきりの
最後の
面会時間
言わなければならぬことは何ひとつ言えず
ポケットに手をつっ込んでは
また手を出し
取り返しのつかなくなるのを
ただ
そのことだけを
総身に感じながら
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間を
粗末な板壁のさむざむとした木理
半ば開かれた小さなガラス窓
葉のないポプラの梢
その上に美しく
無意味に浮かんでいる白い雲
すべてが
平然と
無慈悲に
落着きはらっているなかで
そのとき
生暖かい風のように
時間がお前のなかを流れた
 
     3.
 
パチンコ屋の人混みのなかから
汚れた手をして
しずかな夜の町に出るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる
薄い給料袋と空の弁当箱をかばんにいれて
駅前の広場を大またに横切るとき
その生暖かい風が僕のなかを流れる
 
「過ぎ去ってしまってからでないと
それが何であるかわからない何か
それが何であったかわかったときには
もはや失われてしまった何か」
 
いや そうではない それだけではない
「それが何であるかわかっていても
みすみす過ぎ去るに任せる外はない何か」
 
     4.
 
小さな不安
指先にささったバラのトゲのように小さな
小さな不安
夜遅く自分の部屋に帰って来て
お前はつぶやく
「何ひとつ変わっていない
何ひとつ」
 
畳の上には
朝、でがけに脱ぎ捨てたシャツが
脱ぎ捨てたままの形で
食卓の上には
朝、食べ残したパンが
食べ残したままの形で
壁には
汚れた寝衣が醜くぶら下がっている
 
妻と子に
晴着を着せ
ささやかな土産をもたせ
何年ぶりかで故郷へ遊びにやって
三日目
 
     5.
 
お前には不意に明日が見える
明後日が・・・・・
十年先が
脱ぎ捨てられたシャツの形で
食べ残されたパンの形で
 
お前のささやかな家はまだ建たない
お前の妻の手は荒れたままだ
お前の娘の学資は乏しいまま
小さな夢は小さな夢のままで
お前のなかに
 
そのままの形で
醜くぶら下がっている
色あせながら
半ばくずれかけながら・・・・・
 
     6.
 
今日も
もっともらしい顔をしてお前は
通勤電車の座席に坐り
朝の新聞をひらく
「死の灰におののく日本国民」
お前もそのひとり
「政治的暴力に支配される民衆」
お前もそのひとり
 
「明日のことは誰にもわかりはしない」
お前を不安と恐怖のどん底につき落す
危険のまっただなかにいて
それでもお前は
何食わぬ顔をして新聞をとじる
名も知らぬ右や左の乗客と同じように
叫び声をあげる者はひとりもいない
他人に足をふまれるか
財布をスリにすられるか
しないかぎり たれも
もっともらしい顔をして
座席に坐っている
つり皮にぶら下がっている
新聞をひらく 新聞をよむ 新聞をとじる
 
     7
 
生暖かい風のように流れるもの!
 
閉ざされた心の空き部屋のなかで
それは限りなくひろがってゆく
 
言わねばならぬことは何ひとつ言えず
みすみす過ぎ去るに任せた
あの五分間!
 
五分は一時間となり
一日となりひと月となり
一年となり
限りなくそれはひろがってゆく
 
みすみす過ぎ去るに任せられている
途方もなく重大な何か
何か
 
僕の眼に大映しになってせまってくる
汚れた寝衣
壁に醜くぶら下がっているもの
僕が脱ぎ 僕がまた身にまとうもの
 
黒田三郎
「渇いた心」所収
1957

詩人

ひとりの人間が石の国に誕まれていた。
山も河も樹も草もみな石ばかりであった
なんというさびしいつめたい生活しかないのであろう
ひとりの たったひとりの生きている人間は
毎日 樹や人や草や塀や石塊に至るまで
眼につくものすべてをその手でたたき
自分の言葉だけでかれらの石になにかをつたえようとつとめていた
百年も 或いはそれ以上もつづけてきたのだろう
石の国に住むひとりの人間が
石と区別されていることといえば
それは彼がすべての石に対し同じ愛情と真実とをもって
その胸を叩き叩き哭けることであった
泪はずいぶん深く豊かなものだ
その泪が石を濡らし石を蘇えらすか
それとも遂には彼の泪も涸れたときに
またひとつの石の像がふえるか
どちらかだ そのどちらかだ
石ばかりの国に夕陽の残照がみなぎり
哭き哭き石をたたいている彼の
石に映る影もまた彼と同じに哭きながら
やっぱり石の影をたたいているのであった

伊藤桂一
定本 竹の思想」所収
1968