どこへいつても、石よ。
君がころがつてない所はない。
青い扁豆、丸い砂礫。
どれも、初対面ではなささうな。
土ぼこりで白い雑草の根方、
電柱や、道標の周りに、垣添ひに、
車輛にふまれ、荷馬の蹄にはじかれ、
靴底にふまれ、下駄にかつとばされ、
だが、誰もこころに止めないのだ。
君を邪険にあつかつたこと、君がゐることさへも。
たまさか、君を拾ひあげるものがあつても、
それは、気まぐれに遠くへ投げるためだ。
君のやうなもののことを、支那では、
黎民とよび、黔首と名づけた。
石よ。君は、黙々として、
世紀から世紀へ、なにを待つてゐる?
君がみてゐるのは、どつちの方角だ?
石は答へない。だが、私は知つてゐる。
この地上からがらくたいつさいが亡びた一番あとまで、
のこつてゐるのが君だといふことを。
金子光晴
「大腐爛頌」所収
1960