Category archives: 1960 ─ 1969

 どこへいつても、石よ。
君がころがつてない所はない。
青い扁豆、丸い砂礫。
どれも、初対面ではなささうな。

土ぼこりで白い雑草の根方、
電柱や、道標の周りに、垣添ひに、
車輛にふまれ、荷馬の蹄にはじかれ、
靴底にふまれ、下駄にかつとばされ、
だが、誰もこころに止めないのだ。
君を邪険にあつかつたこと、君がゐることさへも。
たまさか、君を拾ひあげるものがあつても、
それは、気まぐれに遠くへ投げるためだ。

君のやうなもののことを、支那では、
黎民とよび、黔首と名づけた。
石よ。君は、黙々として、
世紀から世紀へ、なにを待つてゐる?

君がみてゐるのは、どつちの方角だ?
石は答へない。だが、私は知つてゐる。
この地上からがらくたいつさいが亡びた一番あとまで、
のこつてゐるのが君だといふことを。

金子光晴
大腐爛頌」所収
1960

貧しい町

一日働いて帰ってくる。
家の近くのお総菜屋の店先は
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上に まばらに残っている。

そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。

お総菜屋の家族は
今日も店の売れ残りで
夕食の膳をかこむ。
私もくたぶれた時間を食べて
自分の糧にする。

それにしても
私の売り渡した
一日のうち最も良い部分、
生きのいい時間、
それらを買って行った昼間の客は
今頃どうしているだろう。
町はすっかり夜である。

石垣りん
表札など」所収
1968

魂よ

魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分った
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
第一 魂のほうがこの世間では高く売れる
食道はこっちから金をつけて人手に渡した
魂よ
生は爆発する火山の熔岩のごとくであれ
おまえはかねて私にそう言っていた
感動した私はおまえのその言葉にしたがった
おまえの言葉を今でも私は間違いだとは思わないが
あるときほんとの熔岩の噴出にぶつかったら
おまえはすでに冷たく凝固した熔岩の
安全なすきまにその身を隠して
私がいくら呼んでも出てこなかった
私はひどい火傷(やけど)を負った
おまえは私を助けに来てはくれなかった
幾度かそうした眼に私は会ったものだ
魂よ
わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった
私の言うことに黙ってしたがってきた
おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった
卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ
それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は
言うことがすなわち行為なのであって
矛盾は元来ないのだとうまいことを言う
そう言うおまえは食道がガンになっても
ガンからも元来まぬかれている
魂とは全く結構な身分だ
食道は私を忠実に養ってくれたが
おまえは口さきで生命を云々するだけだった
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう

高見順
死の淵より」所収
1964

あれは海猫

あれは海猫
あれはかもめ
なき声を聞きわけて教えてくれた人

これは巻貝
これは二枚貝
てのひらにのせて 教えてくれた人

海と母
思い出は波の匂いのようにわきあがる

サトウハチロー
おかあさん」所収
1961

握手

手をさし出されて
握りかえす
しまったかな?と思う いつも
相手の顔に困惑のいろ ちらと走って

どうも強すぎるらしいのである
手をさし出されたら
女は楚々と手を与え
ただ委ねるだけが作法なのかもしれない

ああ しかし そんなことがなんじゃらべえ
わたしは わたしの流儀でやります

すなわち
親愛の情ゆうぜんと溢れるときは
握力計でも握るように
ぐ ぐ ぐっと 力を籠める
痛かったって知らないのだ
ブルガリヤの詩人は大きな手でこちらの方が痛かった
老舎の手はやわらかで私の手の中で痛そうだった

茨木のり子
「茨木のり子詩集」所収
1969

きさらぎ

子供が野遊びからかえってきた
日が暮れて寒かったと言う
手や足に野焼の匂いがまだのこっている
枯草や芒や茨の燃える匂いがのこっている

さて僕は
夜ふけの机によりかかって
おもむろに自分の火を放つのだ
このこころに
このこころの枯草に

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

田沢温泉

機織虫が夜どほしないてゐました
青い蚊帳の上を 銀河がしらじらとながれてゐました
こぼれ湯が石に冷え
燈火に女の髪の毛のやうに
ほつそりと秋がゐました

田中冬二
「晩春の日に」所収
1961

秋の日の象皮色の滑らかな道を
ころころと生首などを(おまえの首だ)
ひきずりながら歩いているおまえの気持はどんな気持か
首がおまえを見ている(おまえの首だ)
ひきずられながら 皮肉な目で
おまえの生のひろがりを測っている
そのひろがりの彼方には どこまでも
秋の日の象皮色の滑らかな道
ただもう秋の日の象皮色の滑らかな道

渋沢孝輔
「漆あるいは水晶狂い」所収
1969

あなたに

わたしたちは ついぞ
抱き合うことはなかった
お互いが お互いの迷路であったから
わたしは あなたのそばで途方に暮れ
あなたもまた わたしの横で迷子になっていた
行くことも
帰ることもできなくて
ただ しくしくとあなたは泣き出し
そしてわたしは
ますます すねてゆくのだった

あれから十年
夢や 時や 憤り
過ぎ去るものを じっとこらえて
わたしはまだ 同じ場所にいる
あの時の迷子のままで

高野喜久雄
「存在」所収
1961

つけもののおもし

つけものの おもしは
あれは なに してるんだ

あそんでるようで
はたらいてるようで

おこってるようで
わらってるようで

すわってるようで
ねころんでいるようで

ねぼけてるようで
りきんでるようで

こっちむきのようで
あっちむきのようで

おじいのようで
おばあのようで

つけものの おもしは
あれは なんだ

まどみちお
てんぷらぴりぴり」所収
1968