骸骨が歩く 宙づりになって
空洞の目にはスクリーン
映りはするが感じはしない
骸骨に恋をしかけ 未来を語る
そのおかしさに
骸骨は誰にも見えない涙を流す
血はもう流した 好きなだけ
骨はからから乾いていく
埋められるのも もう諦めた
粉々に崩れゆくのを 待つばかり
その気楽さに
骸骨は痙攣して笑う
廣津里香
「廣津里香詩集」所収
1967
骸骨が歩く 宙づりになって
空洞の目にはスクリーン
映りはするが感じはしない
骸骨に恋をしかけ 未来を語る
そのおかしさに
骸骨は誰にも見えない涙を流す
血はもう流した 好きなだけ
骨はからから乾いていく
埋められるのも もう諦めた
粉々に崩れゆくのを 待つばかり
その気楽さに
骸骨は痙攣して笑う
廣津里香
「廣津里香詩集」所収
1967
a
からむからだふれあふひとふとひふはだにはえる毛
なめる舌すふくちびる噛む歯つまる唾のみこむのど のどにのびる毛
くらいくだびつしり おびただしい毛毛毛毛毛毛毛毛
b
けだものの毛くだものの毛ももの毛ものの毛
けものの毛
けばだつ毛
けばけばしい毛
けむたい毛
けだるい毛倦怠の毛
けつたいな毛奇つ怪な毛經快な毛
けいはくな經毛驗の毛敬虔な形而上の毛警視廳の警守長の
毛けむりの毛むっりな毛むだな毛
けちんぼの毛
げびた毛? カビた毛
おこりつぽいをとこの毛?
ほこりつぽいほとけの毛
ほとけの毛?
のほとりの毛
c
ガ毛ギ毛グ毛ゲ毛ゴ
餓鬼 劇 後家 崖 玩具 ギヤング 銀紙 ギンガム
の毛
d
ゆらゆりゆるゆれゆれる藻
ぬらぬりぬるぬれぬれる藻
もえるもだえるとだえるとぎれるちぎれるちぢれるよぢれるみだれる
みだらなみづの藻のもだえの毛のそよぎ
e
目目しい目
耳つ血い耳
鼻鼻しい鼻
性性洞洞
すてきなステツキ
すて毛なステツ毛
那珂太郎
「音楽」所収
1966
炭屋に僕は炭を買ひに行つた
炭屋のおやぢは炭がないと言ふ
少しでいゝからゆづつてほしいと言ふと
あればとにかく少しもないと言ふ
ところが実はたつたいま炭の中から出て来たばつかりの
くろい手足と
くろい顔だ
それでも無ければそれはとにかくだが
なんとかならないもんかと試みても
どうにもしやうがないと言ふ
どうにもしやうのないおやぢだ
まるで冬を邪魔するやうに
ないないばかりを繰り返しては
時勢のまんなかに立ちはだかつて来た
くろい手足と
くろい顔だ。
山之口貘
1963
電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日さし楽しくさえずりながら
飛び交うスズメの群
光る風
喜ぶ川面
微笑のようなそのさざなみ
かなたの京浜工業地帯の
高い煙突から勢いよく立ちのぼるけむり
電車の窓から見えるこれらすべては
生命あるもののごとくに
生きている
力にみち
生命にかがやいて見える
線路脇の道を
足ばやに行く出勤の人たちよ
おはよう諸君
みんな元気で働いている
安心だ 君たちがいれば大丈夫だ
さようならあとを頼むぜ
じゃ元気で──
高見順
「死の淵より」所収
1966
草かげの
鳴く虫たちの宝石工場
どの音もみんなあんなに冴えているから
虫たちはきっといっしんになって
それぞれちがったいろの宝石を磨いているのだろう
宝石のひかりがうつり
いいようのない色まであって
方々の草かげがほんのりあかるい
高橋元吉
1965
祖母は
わらぞうりをあんでいた。
足の間に
ぼんぐりとよばれる
小さなあんかをはさみこみ
黒いカクマキで
それをおおい
ぎっちり ぎっちり
指さきをかたくして
わらぞうりをあんでいた。
そのころ、
きのうも
きょうも
雪はだまって
降りつづいていた。
きのうも
きょうも
祖母はだまって
わらぞうりをあみつづけていた。
祖母がだまって
あみつづけるかぎり
ぼくは
三日にいっぺんずつ
わらをうたねばならなかった。
祖母は
二枚のむしろと一わのわらを
ひきずるようにして土間にはこんでくる。
ぼくは木づちをもってきて
そこにすわる。
大きな声で
でたらめな歌をうたいながら
トントンとわらをうつ。
ときには
祖母もわきにすわって古い歌をうたったりした。
ぼくの木づちは
とぼとぼとした
祖母の歌の調子に
トントンとよく合った。
しなしなとして
やわらかくなった
わらをおさえて
祖母は
もういい
という。
そのわらをかかえて立ちあがりながら
ことしのわらは いいわらだ
という。
そして さらに
わらのできのいいときゃ
もみのできゃわるいしのう
といったりする。
祖母は
わらぞうりの一足一足に
みんなおなじ
くすんだ赤いはなおをつけた。
ときおり
指をおっては
むねでなにかをかぞえていた。
そしてまた
だまってあみつづけた。
ある日、
祖母は
ぼくをよんだ。
物おきいっぱいに
赤いはなおのわらぞうりが
ならんでいた。
みんなで九十八足あるといい
たのむでのう、村じゅう一けん一足ずつ
くばってきておくれやのう
という。
おら おばばが あんだで
春になったら はいておくれやのう
そういって くばっておくれやのう
という。
それから
幾日かの間。
ぼくは赤いわらぞうりを
しまのふろしきにつつんで
くばり歩いた。
雪のもかもか
ふる中を
しなしなとした
わらぞうりのつつみをせおって歩くと
ほかほかと
からだじゅうがあったまって
祖母を
小さな祖母を
せおっているような気がした。
近いしんるいへは
その家族の数だけ
くばるようになっていた。
遠く家をはなれた
むすこや孫たちには
荷ふだをつけて
小包にして送った。
家の者には
祖母がじぶんで
一足ずつ
くばってくれた。
父は、
おばばのぞうりは はきぐあいええで
こてらんねえぞ
シンもシノも
おばばのぞうりはえて
でっかくなったで
いまごろ ぞうりだいて
子どものころのこと
おもいだしておるにな
といった。
祖母は
さいごの一足を
カクマキにつつみ
じぶんのために
のこしておいた。
春。
祖母は死んだ。
むすこや孫や
村の人たちが
いそいでかけつけてきた。
なかには
赤いはなおのわらぞうりを
つっかけてきた者もいた。
野辺おくりの日。
この村では
わらぞうりをはくのが
ならわしであった。
じゃんぽん
じゃんぽん
そろいの赤いわらぞうりをはいた
九十七人の行列がつづいた。
火葬場にきて
人びとはみな
赤いわらぞうりをぬいだ。
わらぞうりは
棺のまわりにつまれた。
はだしになった人びとは
ただいつまでも
もえあがる火を
その赤い火を
じっとみつめて立っていた。
高橋忠治
「かんじきの歌」所収
1962