Category archives: 1950 ─ 1959

駱駝の瘤にまたがつて

えたいのしれない駱駝の背中にゆさぶられて
おれは地球のむかふからやつてきた旅人だ
病気あがりの三日月が砂丘の上に落ちかかる
そんな天幕の間からおれはふらふらやつてきた仲間の一人だ
何といふ目あてもなしに
ふらふらそこらをうろついてきた育ちのわるい身なし児だ
ててなし児だ
合鍵つくりをふり出しに
抜き取り騙り掻払ひ樽ころがしまでやつてきた
おれの素姓はいつてみれば
幕あひなしのいつぽん道 影絵芝居のやうだつた
もとよりおれはそれだからこんな年まで行先なしの宿なしで
国籍不明の札つきだ
けれどもおれの思想なら
時には朝の雄鳥だ 時には正午の日まはりだ
また笛の音だ 噴水だ
おれの思想はにぎやかな祭のやうに華やかで派手で陽気で無鉄砲で
断っておく 哲学はかいもく無学だ
その代り駆引もある 曲もある 種も仕掛けも
覆面も 麻薬も 鑢も 匕首も 七つ道具はそろつてゐる
しんばり棒はない方で
いづれカルタの城だから 築くに早く崩れるに早い
月夜の晩の縄梯子
朝は手錠といふわけだ
いづこも楽な棲みかぢやない
東西南北 世界は一つさ
ああいやだ いやになつた
それがまたざまを見ろ 何を望みで吹くことか
からつ風の寒ぞらに無邪気ならつばを吹きながらおれはどこまでゆくのだらう
駱駝の瘤にまたがつて 貧しい毛布にくるまつて
かうしてはるばるやつてきた遠い地方の国々で
いつたいおれは何を見てきたことだらう
ああそのじぶんおれは元気な働き手で
いつもどこかの場末から顔を洗つて駆けつけて乗合馬車にとび乗つた
工場街ぢや幅ききで ハンマーだつて軽かつた
こざつぱりした菜つ葉服 眉間の疵も刺青もいつぱし伊達で通つたものだ
財布は骰ころ酒場のマノン・・・・
いきな小唄でかよつたが
ぞつこんおれは首つたけ惚れこむたちの性分だから
魔法使ひが灰にする水晶の煙のやうな 薔薇のやうなキッスもしたさ
それでも世間は寒かつた
何しろそこらの四辻は不景気風の吹きつさらし
石炭がらのごろごろする酸つぱいいんきな界隈だつた
あらうことか抜目のない 奴らは奴らではしつこい根曲り竹の臍曲り
そんな下界の天上で
星のとぶ 束の間は
無理もない若かつた
あとの祭はとにもあれ
間抜けな驢馬が夢を見た
ああいやだ いやにもなるさ
──それからずつと稼業は落ち目だ
煙突くぐり棟渡り 空巣狙ひも籠抜けも牛泥棒も腕がなまつた
気象がくじけた
かうなると不覚な話だ
思ふに無学のせゐだらう
今ぢやもうここらの国の大臣ほどの能もない
いつさいがつさいこんな始末だ
──さて諸君 まだ早い この人物を憐れむな
諸君の前でまたしてもかうして捕縄はうたれたが
幕は下りてもあとはある 毎度のへまだ騒ぐまい
喜劇は七幕 七転び 七面鳥にも主体性--けふ日のはやりでかう申す
おれにしたつてなんのまだ 料簡もある 覚えもある
とつくの昔その昔 すてた残りの誇りもある
今晩星のふるじぶん
諸君にだけはいつておかう
やくざな毛布にくるまつて
この人物はまたしても
世間の奴らがあてにする顰めつつらの掟づら 鉄の格子の間から
牢屋の窓からふらふらと
あばよさばよさよならよ
駱駝の瘤にまたがつて抜け出すくらゐの智慧はある
──さて新らしい朝がきて 第七幕の幕があく
さらばまたどこかで会はう・・・・

三好達治
駱駝の瘤にまたがつて」所収
1952

くらげの唄

ゆられ、ゆられ
もまれもまれて
そのうちに、僕は
こんなに透きとほってきた。

だが、ゆられるのは、らくなことではないよ。

外からも透いてみえるだろ。ほら。
僕の消化器のなかには
毛の禿びた歯刷子が一本、
それに、黄ろい水が少量。

心なんてきたならしいものは
あるもんかい。いまごろまで。
はらわたもろとも
波がさらっていった。

僕? 僕とはね、
からっぽのことさ。
からっぽが波にゆられ
また、波にゆりかへされ。

しをれたのかとおもふと、
ふぢむらさきにひらき、
夜は、夜で
ランプをともし。

いや、ゆられてゐるのは、ほんたうは
からだを失くしたこころだけなんだ。
こころをつつんでゐた
うすいオブラートなのだ。

いやいや、こんなにからっぽになるまで
ゆられ、ゆられ
もまれ、もまれた苦しさの
疲れの影にすぎないのだ!

金子光晴
「人間の悲劇」所収
1952

ゆき

しんしんしんしん
しんしんしんしん

しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる
しんしんしんしんゆきふりつもる

しんしんしんしん
しんしんしんしん

草野心平
草野心平詩集」所収
1951

或る筆記通話

おほかみのお──レントゲンのれ──はやぶさのは──まむしのま──駝鳥のだ──うしうまのう──ゴリラのご──河童のか──ヌルミのぬ──うしうまのう──ゴリラのご──くじらのく──とかげのと──きりんのき──はやぶさのは──獅子のし──ヌルミのぬ──とかげのと──きりんのき──をはり

高村光太郎
高村光太郎詩集」所収
1950

山の上の空が
まつ青だ
雲が一つ浮んで
まつ青だ

原民喜
原民喜詩集」所収
1951

意味

いかなる言葉にも どんな内容でも持たせることが出来る
一般と通用しない反対の意味を持たせることも詩人の勝手だ
そして一人でホクソ笑んでゐる事も詩人には出来る     

高橋新吉
「高橋新吉詩集」所収
1952

真夜中の洗濯

闇と寒さと夜ふけの寂寞とにつつまれた風呂場にそっと下りて
ていねいに戸をたてきって
桃いろの湯気にきものを脱ぎすて
わたしが果てしない洗濯をするのはその時です。

すり硝子の窓の外は窒息した痺れたやうな大気に満ち
ものの凍てる極寒が万物に麻酔をかけてゐます。
その中でこの一坪の風呂場だけが
人知れぬ小さな心臓のやうに起きてゐます。

湯気のうづまきに溺れて肉体は溶け果てます。
その時わたしの魂は遠い心の地平を見つめながら
盥の中の洗濯がひとりでに出来るのです。
氷らうとして氷よりも冷たい水道の水の仕業です。

心の地平にわき起るさまざまの物のかたちは
入りみだれて限りなくかがやきます。
かうして一日の心の営みを
わたしは更け渡る夜に果てしなく洗ひます。

息を吹きかへしたやうな鶏の声が何処からか響いて来て
屋根の上の空のまんなかに微かな生気のよみがへる頃
わたしはひとり黙って平和にみたされ
この桃いろの湯気の中でからだをていねいに拭くのです。

高村光太郎
高村光太郎詩集」所収
1950

るす

留守と言へ
ここには誰も居らぬと言え
五億年経ったら帰って来る

高橋新吉
「高橋新吉詩集」所収
1952

大根抒情

よごれない
真白い大根。

あはれそのしろさ。
 
ひょうげた尻っぽに
私はほっとする
心貧しい日。

芯から白いのがたまらなく。

薄暮
たまらなさを
冷たく 食べて
冬が来た。

淵上毛錢
1950

焔について

焔よ
足音のないきらびやかな踊りよ
心ままなる命の噴出よ
お前は千百の舌をもって私に語る、
暁け方のまっくらな世帯場で――。       (註)世帯場=厨房

年毎に落葉してしまう樹のように
一日のうちにすっかり心も身体もちびてしまう私は
その時あたらしい千百の芽の燃えはじめるのを感じる。
その時いつも黄金色の詩がはばたいて私の中へ降りてくるのを感じる

焔よ
火の鬣よ
お前のきらめき、お前の歌
お前は滝のようだ
お前は珠玉のようだ。
お前は束の間の私だ。

でもその時はすぐ過ぎる
ほんの十分間。
なぜなら私は去らねばならない
まだ星のかがやいている戸の外へ水を汲みに。
そしてもう野菜をきざまねばならない。
一日を落葉のほうへいそがねばならない。
焔よ
その眼にみえぬ鉄床の上に私を打ちかがやかすものよ
わが時の間の夢殿よ。

永瀬清子
「焔について」所収
1950