Category archives: 1930 ─ 1939

音信

丁字の匂ひ
火薬の匂ひ
オードコロンの匂ひ
皮膚の
小さい動物の匂ひ
333333333
      159603
23256====00003
V r r r r r r r ++××=×= 0
+++-+∀rrrrrrrrrrrrrrrrr+××
+×××+Vrrrrrrrrrrrrrrrrr+××
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                             Tokio, Le 11 fevrier, 1922
                                   ma bien-aimée
アーナーターノースーガーターミーニーアーブーガー
トーマーツーテーヰールー
欝金香の花が温室に悩む
十二月の空は早い
一月の空は寒い
二月の空は虛しい
三月の空は
待てども――
あんなに遠い

平戸廉吉
「平戸廉吉詩集」所収
1931

またある夜に

私らはたたずむであらう 霧のなかに
霧は山の沖にながれ 月のおもを 
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう 
灰の帷のやうに

私らは別れるであらう 知ることもなしに 
知られることもなく あの出会つた 
雲のやうに 私らは忘れるであらう 
水脈のやうに 
 
その道は銀の道 私らは行くであらう 
ひとりはなれ……(ひとりはひとりを 
夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか) 
 
私らは二たび逢はぬであらう 昔おもふ 
月のかがみはあのよるをうつしてゐると 
私らはただそれをくりかへすであらう

立原道造
萱草に寄す」所収
1937

一つのメルヘン

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射しているのでありました。

陽といっても、まるで硅石か何かのようで、
非常な個体の粉末のようで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもいるのでした。

さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでいてくっきりとした
影を落としているのでした。

やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもいなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れているのでありました……

中原中也
在りし日の歌」所収
1936

しやべり捲くれ

私は君に抗議しようといふのではない、
――私の詩が、おしやべりだと
いふことに就いてだ。
私は、いま幸福なのだ
舌が廻るといふことが!
沈黙が卑屈の一種だといふことを
私は、よつく知つてゐるし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事も知つてゐるから――。
私はしやべる、
若い詩人よ、君もしやべり捲くれ、
我々は、だまつてゐるものを
どんどん黙殺して行進していゝ、
気取つた詩人よ、
また見当ちがひの批評家よ、
私がおしやべりなら
君はなんだ――、
君は舌たらずではないか、
私は同じことを
二度繰り返すことを怖れる、
おしやべりとは、それを二度三度
四度と繰り返すことを云ふのだ、
私の詩は読者に何の強制する権利ももたない、
私は読者に素直に
うなづいて貰へればそれで
私の詩の仕事の目的は終つた、

私が誰のために調子づき――、
君が誰のために舌がもつれてゐるのか――、
若し君がプロレタリア階級のために
舌がもつれてゐるとすれば問題だ、
レーニンは、うまいことを云つた、
――集会で、だまつてゐる者、
 それは意見のない者だと思へ、と
誰も君の口を割つてまで
君に階級的な事柄を
しやべつて貰はうとするものはないだらう。
我々は、いま多忙なんだ、
――発言はありませんか
――それでは意見がないとみて
  決議をいたします、だ
同志よ、この調子で仕事をすゝめたらよい、
私は私の発言権の為めに、しやべる

読者よ、
薔薇は口をもたないから
匂ひをもつて君の鼻へ語る、
月は、口をもたないから
光りをもつて君の眼に語つてゐる、
ところで詩人は何をもつて語るべきか?
四人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもつて、しやべり捲くるものだ、
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しやべつたらよい、
仲間の結束をもつて、
仲間の力をもつて
敵を沈黙させるほどに
壮烈に――。

 

小熊秀雄

小熊秀雄詩集」所収

1935

紙の星

思ひ出すのは、
病院の、
すこし汚れた白い壁。

ながい夏の日、いちにちを、
眺め暮した白い壁。

小さい蜘蛛の巣、雨のしみ、
そして七つの紙の星。

星にかかれた七つの字、
メ、リ、ー、ク、リ、ス、マ、七つの字。

去年、その頃、その床に、
どんな子供がねかされて、
その夜の雪にさみしげに、
紙のお星を剪つたやら。

忘れられない、
病院の、
壁に煤けた、七つ星。

 

金子みすゞ

金子みすゞ童謡全集」所収

1930

正午 丸ビル風景

ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振って
あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立っている
ひょんな眼付で見上げても、眼を落としても……
なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
大きなビルの真ッ黒い、小ッちゃな小ッちゃな出入口
空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1936

香水夜話

 まつくらな部屋のなかにひとりの女がたつてゐた。

 部屋はほのあたたかく、うすい霧でもただよつてゐるやうで、もやもやとして、いかにもかろく、しかも何物かの息かがさしひきするやうに、やはらかなおもみにしづまりかへつてゐる。

 をんなは、すはだかである。ひとつのきれも肌にはつけてゐない。ひとつの裝飾品も身につけてはゐない。
 髮はときながしたままである。油もくしもつけてはゐない。

 顏にも手にも足にも、からだのすべてに何ひとつとして色づけるもののかげもないのである。

 女は、いきたまま、まつたくの生地のままの姿である。肌の毛あなには闇がすひこまれてゐる。べにいろの爪には闇の舌がべろべろとさはつてゐる。ふくよかなももには、しどけない闇のうづまきがゆるくながれてゐる。

 まつしろい女のからだは、あつたかい大きな花のやうにわらつてゐる。手もわらつてゐる。足の指もわらつてゐる。しろくけぶるやうな女のまるいからだは、むらさきのやみのなかに、うごくともなくさやさやとおよいで、かすかな吐息をはいてゐる。

 女は白いふくろふだ。その足はしろいつばめだ。

 闇は、きり、きり、きり、きりと底へしづみ、女の赤いくちびるは、白く、あをじろく、こころよいふるへをかみしめて、ほそい影をはいてゐる。

 女の眼は、朝の蛇のやうにうす赤く黑ずんできて、いつぴきの蝙蝠がにげだした。

 女のからだは水蛭のやうによぢれて、はては部屋いつぱいにのびひろがらうとしてゐる。

 あへぎ、あへぎ、息がたえだえにならうとしてゐる。

 このとき、女の左の乳房にリラの花の香水を一滴たらす。香水のにほひは、さくらのつぼみのやうなぽつちりとした乳房にくひついて、こゑをあげてゐる。

 

大手拓次

1934

ひょっとこ面

 納豆と豆腐の味噌汁の朝食を食べ、いくど張りかへてもやぶけてゐる障子に囲まれた部屋の中に一日机に寄りかゝったまゝ、自分が間もなく三十一にもなることが何のことなのかわからなくなってしまひながら「俺の楽隊は何処へ行った」とは、俺は何を思ひ出したのだらう。此頃は何一つとまとまったことも考へず、空腹でもないのに飯を食べ、今朝などは親父をなぐった夢を見て床を出た。雨が降ってゐた。そして、酔ってもぎ取って来て鴨居につるしてゐた門くゞりのリンに頭をぶつけた。勿論リンは鳴るのであった。このリンには、そこへつるした日からうっかりしては二度位ひづつ頭をぶっつけてゐるのだ。火鉢、湯沸し、坐ぶとん、畳のやけこげ。少しかけてはいるが急須と茶わんが茶ぶ台にのってゐる。しぶきが吹きこんで一日中縁側は湿っけ、時折り雨の中に電車の走ってゐるのが聞えた。夕暮近くには、自分が日本人であるのがいやになったやうな気持になって坐ってゐた。そして、火鉢に炭をついでは吹いてゐるのであった。

 

尾形亀之助

障子のある家」所収

1930

障子のある家(後記)

泉ちゃんと猟坊へ

 

 元気ですか。元気でないなら私のまねをしてゐなくなって欲しいやうな気がする。だが、お前達は元気でゐるのだらう。元気ならお前たちはひとりで大きくなるのだ。私のゐるゐないは、どんなに私の頬の両側にお前達の頬ぺたをくっつけてゐたって同じことなのだ。お前達の一人々々があって私があることにしかならないのだ。

 泉ちゃんは女の大人になるだらうし、猟坊は男の大人になるのだ。それは、お前達にとってかなり面白い試みにちがひない。それだけでよいのだ。私はお前達二人が姉弟だなどといふことを教えてゐるのではない。――先頭に、お祖父さんが歩いてゐる。と、それから一二年ほど後を、お祖母さんが歩いてゐる。それから二十幾年の後を父が、その後二三年のところを母が、それから二十幾年のところを私が、その後二十幾年のところを泉ちゃんが、それから三年後を猟坊がといふ風に歩いてゐる。これは縦だ。お互の距離がずいぶん遠い。とても手などを握り合っては事実歩けはしないのだ。お前達と私とは話さへ通じないわけのものでなければならないのに、親が子の犠牲になるとか子が親のそれになるとかは何時から始ったことなのか、これは明らかに錯誤だ。幾つかの無責任な仮説がかさなりあって出来た悲劇だ。

 ――考へてもみるがよい。時間といふものを「日」一つの単位にして考へてみれば、次のやうなことも言ひ得やうではないか。それは、「日」といふものには少しも経過がない――と。例へば、二三日前まで咲いてゐなかった庭の椿が今日咲いた――といふことは、「時間」が映画に於けるフヰルムの如くに「日」であるところのスクリンに映写されてゐるのだといふことなのだ。雨も風も、無数の春夏秋冬も、太陽も戦争も、飛行船も、ただわれわれの一人々々がそれぞれ眼の前に一枚のスクリンを持ってゐるが如くに「日」があるのだ。そして、時間が映されてゐるのだ。と。――

 又、さきに泉ちゃんは女の大人猟坊は男の大人になると私は言った。が、泉ちゃんが男の大人に、猟坊が女の大人にといふやうに自分でなりたければなれるやうになるかも知れない。そんなことがあるやうになれば私はどんなにうれしいかわからない。「親」といふものが、女の児を生んだのが男になったり男が女になってしまったりすることはたしかに面白い。親子の関係がかうした風にだんだんなくなることはよいことだ。夫婦関係、恋愛、亦々同じ。そのいづれもが腐縁の飾称みたいなもの、相手がいやになったら注射一本かなんかで相手と同性になればそれまでのこと、お前達は自由に女にも男にもなれるのだ。

 

父と母へ

 

 さよなら。なんとなくお気の毒です。親であるあなたも、その子である私にも、生んだり生まれたりしたことに就てたいして自信がないのです。

 人間に人間の子供が生れてくるといふ習慣は、あまり古いのでいますぐといってはどうにもならないことなのでせう。又、人間の子は人間だといふ理屈にあてはめられてゐて、人間になるより外ないのならそれもしかたがないのですが、それならば人間の子とはいったい何なのでせう。何をしに生れて来るのか、唯親達のまねをしにわざわざ出かけてくるのならそんな必要もないではないでせうか。しかもおどけたことには、その顔形や背丈がよく似るといふことは、人間には顔形がこれ以上あまりないとでもいふ意味なのか、それとも、親の古帽子などがその子供にもかぶれる為にとでもいふことなのでせうか。だが、たぶんこんなことを考へた私がわるいのでせう。又、「親子」といふものが、あまり特種関係に置かれてゐることもわるいのでせう。――私はやがて自分の満足する位置にゐて仕事が出来るやうにと考へ決して出来ないことではないと信じてゐました。そのことを私は偉くなると言葉であなたに言って来たのですが、私はそれらのことを三四年前から考へないやうになり最近は完全に捨てゝしまひました。私の言葉をそのまゝでないまでもいくらかはさうなるのかも知れないと思はせたことは詫びて許していたゞかなければなりません。

 

尾形亀之助

障子のある家」後書きより

1930

宿醉の朝に

泥酔の翌朝に於けるしらじらしい悔恨は、病んで舌をたれた犬のやうで、魂の最も痛々しいところに噛みついてくる。夜に於いての恥ずかしいこと、醜態を極めたこと、みさげはてたること、野卑と愚劣との外の何物でもないやうな記憶の再現は、砒毒のやうな激烈さで骨の髄まで紫色に変色する。げに宿酔の朝に於ては、どんな酒にも嘔吐を催すばかりである。ふたたびもはや、我等は酒場を訪はないであらう。我等の生涯に於て、あれらの忌々しい悔恨を繰返さないやうに、断じて私自身を警戒するであらう。と彼らは腹立たしく決心する。けれどもその日の夕刻が来て、薄暮のわびしい光線がちらばふ頃には、ある故しらぬ孤独の寂しさが、彼らを場末の巷に徘徊させ、また新しい別の酒場の中に、酔った幸福を眺めさせる。思へそこでの電燈がどんなに明るく、そこでの世界がどんなに輝やいて見えることぞ。そこでこそ彼は真に生甲斐のある、ただそればかりが真理であるところの、唯一の新しい生活を知ったと感ずるであらう。しかもまたその翌朝に於ての悔恨が、いかに苦々しく腹立たしいものであるかを忘れて。げにかくの如きは、あの幸福な飲んだくれの生活ではない。それこそは我等「詩人」の不幸な生活である。ああ泥酔と悔恨と、悔恨と泥酔と。いかに悩ましき人生の雨景を蹌踉することよ。

 

萩原朔太郎

宿命」所収

1939