香水夜話

 まつくらな部屋のなかにひとりの女がたつてゐた。

 部屋はほのあたたかく、うすい霧でもただよつてゐるやうで、もやもやとして、いかにもかろく、しかも何物かの息かがさしひきするやうに、やはらかなおもみにしづまりかへつてゐる。

 をんなは、すはだかである。ひとつのきれも肌にはつけてゐない。ひとつの裝飾品も身につけてはゐない。
 髮はときながしたままである。油もくしもつけてはゐない。

 顏にも手にも足にも、からだのすべてに何ひとつとして色づけるもののかげもないのである。

 女は、いきたまま、まつたくの生地のままの姿である。肌の毛あなには闇がすひこまれてゐる。べにいろの爪には闇の舌がべろべろとさはつてゐる。ふくよかなももには、しどけない闇のうづまきがゆるくながれてゐる。

 まつしろい女のからだは、あつたかい大きな花のやうにわらつてゐる。手もわらつてゐる。足の指もわらつてゐる。しろくけぶるやうな女のまるいからだは、むらさきのやみのなかに、うごくともなくさやさやとおよいで、かすかな吐息をはいてゐる。

 女は白いふくろふだ。その足はしろいつばめだ。

 闇は、きり、きり、きり、きりと底へしづみ、女の赤いくちびるは、白く、あをじろく、こころよいふるへをかみしめて、ほそい影をはいてゐる。

 女の眼は、朝の蛇のやうにうす赤く黑ずんできて、いつぴきの蝙蝠がにげだした。

 女のからだは水蛭のやうによぢれて、はては部屋いつぱいにのびひろがらうとしてゐる。

 あへぎ、あへぎ、息がたえだえにならうとしてゐる。

 このとき、女の左の乳房にリラの花の香水を一滴たらす。香水のにほひは、さくらのつぼみのやうなぽつちりとした乳房にくひついて、こゑをあげてゐる。

 

大手拓次

1934

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