Category archives: 1930 ─ 1939

甘やかされてゐる新進作家

いゝ加減怖ろしい現実に
さらに輪をかけろ
亭主の義務を放擲して小説をつくれ
まあ五百枚の小説を毎晩抱いて寝るさ、
一篇の詩を書くために
一家五人が一ケ月飢ゑるもよからう
トウ、トウ、タラリ、トウ、タラリ、トウ
烏帽子姿の三番叟は
批評家の介添つきで
新進の舞台に現はれるのはいつの日か、
いつたい何人の、
これこそ日本に於けるパンフェロフなりが、
これまで何人現はれたか、
出足が早くて
逃げ足の早いはこの国の作家なり、
大家の推薦、
批評家の保証のなんと
クレヂットの短いことよ
読者の期待がすぐ失望に変つてゆく、
農村調査を口実に
ふるさとへの帰心
矢のごとき作家幾たりぞ、
いやぢやありませんか、
文学は男子一生の仕事なりや否やと
うたがひだすとは
疑ひだすのは小説を書き始めて
からでは手遅れだ、
悪いことはいはない
文学を始める前に疑ひ給へ、
そして作家になるか、
それともさつさと鞄を抱へて
保険の外交員にでもなりたまへ、
マージャンをやるやうな具合には
文学はやれないのだから
こといやしくも
プロレタリヤ作家を名乗る以上、
性根をすえて首の座に坐り給へ、
君の後ろには介錯人がついてゐる、
紫電一閃、
君の作品の良し悪しを
きりすてるものは
ひとへに八百長批評でもなければ
ジャナリズムでもない
首切人は民衆そのものだらう、
可哀さうに甘やかされた新進作家よ
ゼラチンのいつぱいつまつたやうな頭で
つくりあげる君の作品は
所詮イデオロギーといふ
貞操帯をもたない君の作品は
読者に読まれるためではなく
姦淫されるために作つてゐるのだ。

小熊秀雄
新版・小熊秀雄全集」所収
1935

つくだ煮の小魚

ある日 雨の晴れまに
竹の皮に包んだつくだ煮が
水たまりにこぼれ落ちた
つくだ煮の小魚達は
その一ぴき一ぴきを見てみれば
目を大きく見開いて
環になつて互にからみあつてゐる
鰭も尻尾も折れてゐない
顎の呼吸するところには 色つやさへある
そして 水たまりの底に放たれたが
あめ色の小魚達は
互に生きて返らなんだ

井伏鱒二
厄除け詩集」所収
1937

おっとせい

そのいきの臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのやうにぬらぬらしていること。
虚無をおぼえるほどいやらしい、 おお、憂愁よ。

そのからだの土嚢のやうな
づづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な弾力。
かなしいゴム。

そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。

菊面。
おほきな陰嚢。

鼻先があをくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、
いつも、おいらは、反対の方角をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のやうに横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画でみる
アラスカのやうに淋しかった。

そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。
バダビアから、リスボンまで、地球を、芥垢と、饒舌で
かきまはしているのもやつらなのだ。

くさめをするやつ。髭のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦だ。権妻だ。やつらの根性まで相続ぐ倅どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

おしながされた海に、霙のやうな陽がふり濺いだ。
やつらのみあげる空の無限にそうていつも、金網があった。

…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのふはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕氷船が氷をたたくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、 そのいやしさ、空虚さばっかりで雑閙しながらやつらは、みるまに放尿の泡で、海水をにごしていった。

たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれる寒さをいとうて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、 かぼそい声でよびかはした。

おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が 、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも気づかずにゐた。

みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは氷上を匍ひまわり、
……………文学などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷にただれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい陰を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼してゐる奴らの群衆のなかで
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むかうむきになってる
おっとせい。」

金子光晴
「鮫」所収
1937

浅き春に寄せて

今は 二月 たつたそれだけ
あたりには もう春がきこえてゐる
だけれども たつたそれだけ
昔むかしの 約束はもうのこらない

今は 二月 たつた一度だけ
夢のなかに ささやいて ひとはゐない
だけれども たつた一度だけ
そのひとは 私のために ほほゑんだ

さう! 花は またひらくであらう
さうして鳥は かはらずに啼いて
人びとは春のなかに笑みかはすであらう

今は 二月 雪の面につづいた
私の みだれた足跡……それだけ
たつたそれだけ――私には……

立原道造
優しき歌Ⅰ」所収
1939

飛込

僕は白い雲の中から歩いてくる
一枚の距離の端まで
大きく僕は反る
時間がそこへ皺よる
蹴る 僕は蹴った
すでに空の中だ
空が僕を抱きとめる
空にかかる筋肉
だが脱落する
追われてきてつき刺さる
僕は透明な触覚の中で藻掻く
頭の上の泡の外に
女たちの笑いや腰が見える
僕は赤い海岸傘の
巨い縞を掴もうとあせる

村野四郎
体操詩集」所収
1939

また来ん春・・・・・

また来ん春と人は云う
しかし私は辛いのだ
春が来たって何になろ
あの子が返って来るじゃない

おもえば今年の五月には
おまえを抱いて動物園
象を見せても猫といい
鳥を見せても猫だった

最後に見せた鹿だけは
角によっぽど惹かれてか
何とも云わず 眺めてた

ほんにおまえもあの時は
此の世の光のただ中に
立って眺めていたっけが…

中原中也
在りし日の歌」所収
1936

天気

(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日

西脇順三郎
Ambarvalia」所収
1933

雪と膝

雪の日、姉は膝をだいて、私の瞳になにを読んだか。
お前は恋をしたのだらう。

あわただしく、落葉のやうにあわただしく、私は手紙をしたためる。雪の日の街に出る、赤いポスト。

落葉の上を行く、舗道の上を行く。
鳴らないピアノ、舗道のピアノ。

マドリガル、私の恋歌、火のつかない私の煙草、

(海峡を見たか、あれから。私は海峡を、見たはたして。)

雪が来る、雪が来る。雪は時間の上にとまる。

津村信夫
「愛する神の歌」所収
1935

拷問を耐える歌

お前らの手の皮と俺らの頬の皮とどちらが厚いか
お前らの鉛筆と俺らの指骨とどちらが太いか
お前らの指先と俺らの喉笛とどちらが先に押しつぶれるか
お前らの金をうちつけた靴裏と俺らの尻っぺたとどちらが堅いか
それをハッキリと呑みこませてやろう

無表情な俺らが
そろそろ焦り出すお前らに
いよいよおし黙る俺らが
いよいよ喚きたてるお前らに
それをハッキリと呑みこませてやろう

縊り殺して水をかけ
殴り殺して水をかけ
蹴殺して水をかけ
それが商売の
それで月給のあがる
傷をつけずに殺す術を知っているお前らに
それをハッキリと呑みこませてやろう

呑みこませてやろう ハッキリと
鉛筆
革紐
竹刀
鉄棒
指先
手のひら
靴裏の前に
声は立てずに気を失って行く俺らであることを
叫びは洩らさずに息を吹きかえして来る俺らであることを
俺らはプロレタリア 俺らは機械 俺らはハガネ 俺らは不死身だ

田木繁
「松ケ鼻渡しを渡る」所収
1934

魚群

大謀網に気付いたのは夜になつてからである。それまでひろびろと張られた網の目に戯れついたり、絲にかかつて揺れる藻をつついたりした彼等であつたが、そいつが陸へ陸へ狹ばめられ手操られてゐるのを知つた時、みなは一瞬ハツと蒼ざめ、つぎに日頃の群游の習性を蹴飛ばしてしまつた。

海と獲物を区切つた網のなか、のがれ出ようとする魚たちのおのれこそ逃げ終はせんと喰はす必死の体当りも無駄であつた。
飛走するひき、無数の流星が蒼闇の海に火花をちらし、網に当つて砕けた。ここで再び蒼白の尾を引いて疾走し直す奴もゐた。鰓深々絲を喰ひ込ませて血みどろにあがきくねるのもゐた。ぶつかり合つた魚と魚は燐火の中で歯を剥いた

動くともなく動く網綱。せばまるともなくせばまる境界。魚たちはぎらぎら飛び跳ねたが、やがて濱辺のかゞりが見え、砂をこする網底の音が陸の喚声に混ぢるとき、捨身の激突に口吻は赤黝くはれ上り、眼玉に血がにじみ、脱け落ちる鱗は微に燃えてひらひら海底へ沈んでゆくのである。

鈴木泰治
「詩精神」初出
1934