あのしめやかなうれいにとざされた顔のなかから、
おりふしにこぼれでる
あわあわしいわらいのひらめき。
しろくうるおいのあるひらめき、
それは誰にこたえたわらいでしょう。
きぬずれのおとのようなひらめき、
それはだれをむかえるわらいでしょう。
うれいにとざされた顔のなかに咲きいでる
みずいろのともしびの花、
ふしめしたおとめよ、
あなたの肌のそよかぜは誰へふいてゆくのでしょう。
大手拓次
「藍色の蟇」所収
1936
自然は限りなく美しく永久に住民は
貧窮してゐた
幾度もいくども烈しくくり返し
岩礁にぶちつかつた後に
波がちり散りに泡沫になつて退きながら
各自ぶつぶつと呟くのを
私は海岸で眺めたことがある
絶えず此処で私が見た帰郷者たちは
正にその通りであつた
その不思議に一様な独言は私に同感的でなく
非常に常識的にきこえた
(まつたく!いまは故郷に美しいものはない)
どうして(いまは)だらう!
美しい故郷は
それが彼らの実に空しい宿題であることを
無数の古来の詩の賛美が証明する
曽てこの自然の中で
それと同じく美しく住民が生きたと
私は信じ得ない
ただ多くの不平と辛苦ののちに
晏如として彼らの皆が
あそ処で一基の墓となつてゐるのが
私を慰めいくらか幸福にしたのである
伊東静雄
「わがひとに与ふる哀歌」所収
1935
二つに裂けて傾く磐梯山の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野とほく靡いて波うち
芒ぼうぼうとひとをうづめる
半ば狂へる妻は草を藉いて座し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のやうに慟哭する
──わたしもうぢき駄目になる
意識を襲ふ宿命の鬼にさらはれて
のがれる途無き魂との別離
その不可抗の予感
──わたしもうぢき駄目になる
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙つて妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返つて
わたくしに縋る
この妻をとりもどすすべが今は世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃として二人をつつむこの天地と一つになつた
高村光太郎
「智恵子抄」所収
1938
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ
ヌックと出た、骨の尖。
それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。
ホラホラ、これが僕の骨───
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?
故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立って、
見ているのは、 ─── 僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。
中原中也
「在りし日の歌」所収
1937