Category archives: 1930 ─ 1939

同反歌

田舎を逃げた私が

都会よ どうしてお前に敢て安んじよう

詩作を覚えた私が

行為よ どうしてお前に憧れないことがあろう

 

伊東静雄

わがひとに与ふる哀歌」所収

1935

郵便局

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢやの存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。

 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の許へ、秋の袷や襦袢やを、小包で送つたといふ通知である。

 郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。

 郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢやだ。

 

萩原朔太郎

宿命」所収

1939

曇天

 ある朝 僕は 空の 中に、

黒い 旗が はためくを 見た。

 はたはた それは はためいて ゐたが、

音は きこえぬ 高きが ゆゑに。

 

 手繰り 下ろさうと 僕は したが、 

綱も なければ それも 叶はず、

 旗は はたはた はためく ばかり、

空の 奥処に 舞ひ入る 如く。

 

 かかる 朝を 少年の 日も、

屡々 見たりと 僕は 憶ふ。

 かの時は そを 野原の 上に、

今はた 都会の 甍の 上に。

 

 かの時 この時 時は 隔つれ、

此処と 彼処と 所は 異れ、

 はたはた はたはた み空に ひとり、

いまも 渝らぬ かの 黒旗よ。

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1936

とんぼの目玉

とんぼの目玉はでっかいな。

銀ピカ目玉の碧目玉、

まあるいまあるい目玉、

地球儀の目玉、

せわしな目玉、

目玉の中に、

小人が住んで、

千も万も住んで、

てんでんに虫眼鏡で、あっちこっちのぞく。

上向いちゃピカピカピカ。

下向いちゃピカピカピカ。

クルクルまわしちゃピカピカピカ。

とうもろこしにとまればとうもろこしが映る。

はげいとうにとまればはげいとうが映る。

千も万も映る。

きれいな、きれいな、

五色のパノラマ、きれいな。

 

ところへ、子どもが飛んで出た、

もちざおひゅうひゅう飛んで出た。

さあ、逃げ、わあ、逃げ、

麦わら帽子が追ってきた。

千も万も追ってきた。

おお怖、ああ怖。

ピカピカピカピカ、ピッカピカ、

クルクル、ピカピカ、ピッカピッカ。

 

北原白秋

白秋全集」所収

1934

玻璃問屋

空気銀緑にしていと冷き

五月の薄暮、ぎやまんの

数数ならぶ横町の玻璃問屋の店先に

 

盲目が来りて笛を吹く、

その笛のとろり、ひやらと鳴りゆけば、

青き玉、水色の玉、珊瑚珠、

管の先より吹き出る水のいろいろ――

 

一瞬の胸より胸の情緒。

 

流れ流れてうち淀む

流れを引いてびいどろの細き口より飛ぶ泡の

車輪まはせば風鈴もりんりんりんと鳴りさわぐ。

われは君ゆゑ胸さわぐ。

 

おどけたる旋律きけど、さはあれど、

雨後の空気のしつとりと、

うち湿りたる五月の暮しがた、

びいどろ簾かけ渡す玻璃問屋の店先に、

 

雲を漏れたる落日の

その一閃の縦笛の銀の一矢が、

ぎやまんの群より目ざめ

ゆらゆらとあえかに立てる玻璃の乙女、

ああ人間のわかき日の唯一瞬のさんちまん

それを照してまた消ゆる影を見るゆゑ、

 

われはそれ故涙する。

君もそれゆゑ涙する。

 

落ちし涙が水盤に小波を立て、

くるくると赤き車ぞうちめぐる。

車は廻れ、波おこれ、

波起すべう風きたれ。

風は来たりてりんりんと風鈴鳴らし、

細君は酸漿鳴らす玻璃問屋の店先に、

 

盲目が来りて笛を吹く。

 

木下杢太郎

木下杢太郎詩集」所収

1930

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、

お空はちっとも飛べないが、

飛べる小鳥は私のように、

地面を速くは走れない。

 

私がからだをゆすっても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のように

たくさんな唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私。

みんなちがって、みんないい。

 

金子みすゞ

金子みすゞ童謡全集」所収

1930

こだまでしょうか

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

 

「ばか」っていうと

「ばか」っていう。

 

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばない」っていう。

 

そうして、あとで

さみしくなって、

 

「ごめんね」っていうと

「ごめんね」っていう。

 

こだまでしょうか、

いいえ、だれでも。

 

金子みすゞ

金子みすゞ童謡全集」所収

1930

〔丁丁丁丁丁〕

     丁丁丁丁丁

     丁丁丁丁丁

 叩きつけられてゐる 丁

 叩きつけられてゐる 丁

藻でまっくらな 丁丁丁

塩の海  丁丁丁丁丁

  熱  丁丁丁丁丁

  熱 熱   丁丁丁

    (尊々殺々殺

     殺々尊々々

     尊々殺々殺

     殺々尊々尊)

ゲニイめたうとう本音を出した

やってみろ   丁丁丁

きさまなんかにまけるかよ

  何か巨きな鳥の影

  ふう    丁丁丁

海は青じろく明け   丁

もうもうあがる蒸気のなかに

香ばしく息づいて泛ぶ

巨きな花の蕾がある

 

宮沢賢治

疾中」所収

1930

眼にて云う

だめでせう

とまりませんな

がぶがぶ湧いてゐるですからな

ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから

そこらは青くしんしんとして

どうも間もなく死にさうです

けれどもなんといゝ風でせう

もう清明が近いので

あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに

きれいな風が来るですな

もみぢの嫩芽と毛のやうな花に

秋草のやうな波をたて

焼痕のある藺草のむしろも青いです

あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが

黒いフロックコートを召して

こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば

これで死んでもまづは文句もありません

血がでてゐるにかゝはらず

こんなにのんきで苦しくないのは

魂魄なかばからだをはなれたのですかな

たゞどうも血のために

それを云へないがひどいです

あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが

わたくしから見えるのは

やっぱりきれいな青ぞらと

すきとほった風ばかりです。

 

宮沢賢治

疾中」所収

1930

子供の話

一、万年筆

 

 子供は、よく笑ふのです。

 

 父が死んだ日に長いこと父の持つてゐた万年筆を貰つた。子供はたいへんうれしく思ひそれで字などを絵や模様などとまぜて書きました。

 しばらくして子供は賑かな葬式のあとで落書の紙を見るとすこしかなしくなりました。前にもお祭りのあとにはいつもかうだつた。あそびに来てゐた親類の女の子と子供の父とがゐないから今度はいつもよりさびしいのです。…………

 子供はなぜだかこんなことを考へながら、その万年筆でもう一ぺん落書きしました。子供はお父さんと万年筆とどつちが欲しかつたのか考へてゐます。落書したのは下手な形の人間の顔でした。誰にも似てゐません。子供は一しよう懸命にそれが親類の子に似てゐると思つてゐました。

 

二、日記

 

  子供は寄せ算をまちがへました。

 それから彼はお弁当を食べました。

 学校の帰りに、路傍で涸れた草花を摘みましたが、すぐに捨てゝしまひました。手には今日返していたゞいた乙の図画があるのです。

 子供はうちへ帰るとお辞儀をしました。

 

 父はもう死んだので、母ばかりが青い顔をして窓の傍で明るい針仕事をしてゐます。子供はそのそばでお三時を食べながら、母とはなしました。母は返事をする度にやさしく笑ひましたからずゐぶん寂しく見え子供は不思議な顔をしました。

 晩御飯を食べると早く寝ました。時計はよく八時になることがあります。

 

三、花の話

 

 子供はお母さんにトランプの兵士の持つてゐるやうな花が欲しいと申しました。赤い花だつたがよく見ると五枚の小さな花びらと黄い花粉までそれには書いてあります。

 そこでお母さんはよくその形や花をおぼえてしまふとさつそく町の花屋へ出かけました。みんな知つてゐるでせう。花屋の店にゐる花たちが、どんなにたのしさうな顔をしてゐるか。ちようど灯のともる時分でしたから。

 お母さんは花屋の人に花を見せて下さいといふと、もうこれきりになりましたといひながら、花屋の人は指さしてくれました。それはほんのすこしの黄や白や水色の花ばかりでした。そしてその人がいふには、ほかの花はもうしほれかゝつてゐますよ。おうちへお持ちになる頃はきつとだめになつてしまひませう。なぜつてあれはひるま買ひにいらした方のよりのこしなのです。

 で、お母さんはがつかりなさると、おうちへ帰りました。子供はそれをきくと、お母さんとおなじ位ずゐぶんがつかりしました。

 子供はすこし病気なのです。それで白い寝床から小さな顔ばかり出して、いろいろなことを考へてゐます。それから暫くすると眠りました。

 お母さんはどうにかして子供をよろこばせてしまはうと考へて紙で造り花をこしらへました。お手本があるのでたいへんうまく行きました。

 

 そのよるおそく子供は眼をさましました。もうお母さんはお休みです。それなのに、子供はちひさな声でお母さんを呼びました。

 それからすこし顔をまげてあたりを見まはしました。すると、どうでせう。頭のところに、ぼんやり大きくあんなに先刻欲しがつた赤い花があるのです。子供はずゐぶんかなしいときのやうな気がしました。なぜつて、ちつとも自分ぢやわからなかつたけれど。するともうその花はいらなくなつてゐました。子供はもう一ぺん眼をとぢて眠りました。

 

 かはいさうに、その次の朝、お母さんはその花を上げようとすると、子供が、いやいやをしたのです。もうトランプの花なんかいらないと申しました。

 お母さんは指でその造り花をくるくるまはしながら見てゐます。

 ――いいですか。朝なんですよ。

 ね、みんな。窓のところで風がこつそり見てゐます。子供は花の方を覗いてきまりわるくなつてしまひました。

 

四、ビラ

 

 子供は、いつもビラが降つてゐたらと思つて空を眺めるのです。ビラがあるときれいでした。空は明るく見えました。

 子供は、父がありません。母は、よい人だけれども、お金を多く持つてゐません。だから、ほんとうには子供をそんなによろこばせることは出来なかつたのです。子供はずつととほくまである家を欲しがつたのですが、家は子供たちが十人もはいるといつぱいになつて遊ぶことさへ出来なかつた。ビイ玉を埋めたいときにも砂のある庭はありません。庭のやうに見えるけれど、たゞ草花や石のあるものです。子供はよく日なたで、ピ・オ・ピに写真をやきましたが下手にくろくなり何もわかりませんでした。

 子供は、露路がいちばん空が高いと思つてゐます。

 或る日、飛行機が飛んで来ましたが、ビラをまきませんでした。子供はおこつた。ビラがあると、子供はそれで飛行機をつくるのです。

 子供はこの間かぜをひいたけれど、そのとき寝床のなかで咳をしました。自分では、それをビラが欲しくて出した声だと思つたやうでした。

 

 しばらくすると、子供は死んでゐました。

 母は、よい人だつたから、ながいこと泣いてゐたが、知りません。子供は今は、天にゐて、空をビラさがして歩いてゐるのです。子供は、生きてゐたときと同じ顔なので、誰にもよくわかります。子供は、まだビラを一枚だつて見つけないのでおこつてゐた。

 ビラには赤や青や草色のがあります。白や黄のがあります。黒のはありません。黒いビラは空がきたなくなります。

 

立原道造

1939