子供の話

一、万年筆

 

 子供は、よく笑ふのです。

 

 父が死んだ日に長いこと父の持つてゐた万年筆を貰つた。子供はたいへんうれしく思ひそれで字などを絵や模様などとまぜて書きました。

 しばらくして子供は賑かな葬式のあとで落書の紙を見るとすこしかなしくなりました。前にもお祭りのあとにはいつもかうだつた。あそびに来てゐた親類の女の子と子供の父とがゐないから今度はいつもよりさびしいのです。…………

 子供はなぜだかこんなことを考へながら、その万年筆でもう一ぺん落書きしました。子供はお父さんと万年筆とどつちが欲しかつたのか考へてゐます。落書したのは下手な形の人間の顔でした。誰にも似てゐません。子供は一しよう懸命にそれが親類の子に似てゐると思つてゐました。

 

二、日記

 

  子供は寄せ算をまちがへました。

 それから彼はお弁当を食べました。

 学校の帰りに、路傍で涸れた草花を摘みましたが、すぐに捨てゝしまひました。手には今日返していたゞいた乙の図画があるのです。

 子供はうちへ帰るとお辞儀をしました。

 

 父はもう死んだので、母ばかりが青い顔をして窓の傍で明るい針仕事をしてゐます。子供はそのそばでお三時を食べながら、母とはなしました。母は返事をする度にやさしく笑ひましたからずゐぶん寂しく見え子供は不思議な顔をしました。

 晩御飯を食べると早く寝ました。時計はよく八時になることがあります。

 

三、花の話

 

 子供はお母さんにトランプの兵士の持つてゐるやうな花が欲しいと申しました。赤い花だつたがよく見ると五枚の小さな花びらと黄い花粉までそれには書いてあります。

 そこでお母さんはよくその形や花をおぼえてしまふとさつそく町の花屋へ出かけました。みんな知つてゐるでせう。花屋の店にゐる花たちが、どんなにたのしさうな顔をしてゐるか。ちようど灯のともる時分でしたから。

 お母さんは花屋の人に花を見せて下さいといふと、もうこれきりになりましたといひながら、花屋の人は指さしてくれました。それはほんのすこしの黄や白や水色の花ばかりでした。そしてその人がいふには、ほかの花はもうしほれかゝつてゐますよ。おうちへお持ちになる頃はきつとだめになつてしまひませう。なぜつてあれはひるま買ひにいらした方のよりのこしなのです。

 で、お母さんはがつかりなさると、おうちへ帰りました。子供はそれをきくと、お母さんとおなじ位ずゐぶんがつかりしました。

 子供はすこし病気なのです。それで白い寝床から小さな顔ばかり出して、いろいろなことを考へてゐます。それから暫くすると眠りました。

 お母さんはどうにかして子供をよろこばせてしまはうと考へて紙で造り花をこしらへました。お手本があるのでたいへんうまく行きました。

 

 そのよるおそく子供は眼をさましました。もうお母さんはお休みです。それなのに、子供はちひさな声でお母さんを呼びました。

 それからすこし顔をまげてあたりを見まはしました。すると、どうでせう。頭のところに、ぼんやり大きくあんなに先刻欲しがつた赤い花があるのです。子供はずゐぶんかなしいときのやうな気がしました。なぜつて、ちつとも自分ぢやわからなかつたけれど。するともうその花はいらなくなつてゐました。子供はもう一ぺん眼をとぢて眠りました。

 

 かはいさうに、その次の朝、お母さんはその花を上げようとすると、子供が、いやいやをしたのです。もうトランプの花なんかいらないと申しました。

 お母さんは指でその造り花をくるくるまはしながら見てゐます。

 ――いいですか。朝なんですよ。

 ね、みんな。窓のところで風がこつそり見てゐます。子供は花の方を覗いてきまりわるくなつてしまひました。

 

四、ビラ

 

 子供は、いつもビラが降つてゐたらと思つて空を眺めるのです。ビラがあるときれいでした。空は明るく見えました。

 子供は、父がありません。母は、よい人だけれども、お金を多く持つてゐません。だから、ほんとうには子供をそんなによろこばせることは出来なかつたのです。子供はずつととほくまである家を欲しがつたのですが、家は子供たちが十人もはいるといつぱいになつて遊ぶことさへ出来なかつた。ビイ玉を埋めたいときにも砂のある庭はありません。庭のやうに見えるけれど、たゞ草花や石のあるものです。子供はよく日なたで、ピ・オ・ピに写真をやきましたが下手にくろくなり何もわかりませんでした。

 子供は、露路がいちばん空が高いと思つてゐます。

 或る日、飛行機が飛んで来ましたが、ビラをまきませんでした。子供はおこつた。ビラがあると、子供はそれで飛行機をつくるのです。

 子供はこの間かぜをひいたけれど、そのとき寝床のなかで咳をしました。自分では、それをビラが欲しくて出した声だと思つたやうでした。

 

 しばらくすると、子供は死んでゐました。

 母は、よい人だつたから、ながいこと泣いてゐたが、知りません。子供は今は、天にゐて、空をビラさがして歩いてゐるのです。子供は、生きてゐたときと同じ顔なので、誰にもよくわかります。子供は、まだビラを一枚だつて見つけないのでおこつてゐた。

 ビラには赤や青や草色のがあります。白や黄のがあります。黒のはありません。黒いビラは空がきたなくなります。

 

立原道造

1939

 

One comment on “子供の話

  1. 母だけが残ったことに救われるような、そして彼女の救われなさを思う。

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