Category archives: 1920 ─ 1929

稲妻

くらい よる
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとった
わたしのうちにも
いなずまに似た ひらめきがあるとおもったので
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくいしばって つっぷしてしまった

八木重吉
秋の瞳」所収
1925

草をむしる

草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる

八木重吉
貧しき信徒」所収
1927

森。
彼女にひそむ無言。

夜を行く裸形の群。
彼等は踊る。

魚。
愚かなる野の祭り。

吉田一穂
海の聖母」所収
1926

追つかけられた話

 昼すぎに人通りのない坂路を歩いてゐると、右手にある大きな煉瓦建の倉庫のなかで、ガラガラツ・・・・と螺旋のもどるような音がした。するとそこにある8といふ番号のついた鉄の扉の下から、水のようなものが流れ出て、土にしみながら蛇のやうにクネクネうねつて足の下まで来たので、あはてゝからだをよけると、こんどはその方へ向きを変へて来た。で、反対の方へそらすとそこへもついて来る。逃げ出すと、それも又大へんな速さで追つかけて来た。一生懸命に畑の方へ走つたが、やつぱりついて来る。それがもう踵にとゞきさうになつて、自分は息が切れて倒れさうになつた時、ちやうど頭の上にさし出た樅の梢をめがけて、エイツと飛びつくと、水のやうなものは足の下を通りぬけて、一直線に半丁ばかり先の方にあつた馬車の下まで行つたと思つたら、馬も車も二寸ほどの破片になつて飛び散つてしまつた!・・・・

稲垣足穂
シヤボン玉物語」所収
1923

いちにちいっぱいよもぎのなかにはたらいて
馬鈴薯のやうにくさりかけた馬は
あかるくそそぐ夕陽の汁を
食塩の結晶したばさばさの頭に感じながら
はたけのへりの熊笹を
ぼりぼりぼりぼり食ってゐた
それから青い晩が来て
やうやく厩に帰った馬は
高圧線にかかったやうに
にはかにばたばた云ひだした
馬は次の日冷たくなった
みんなは松の林の裏へ
巨きな穴をこしらへて
馬の四つの脚をまげ
そこへそろそろおろしてやった
がっくり垂れた頭の上へ
ぼろぼろ土を落としてやって
みんなもぼろぼろ泣いてゐた

宮沢賢治
春と修羅 第二集」所収
1924

秋が くると いうのか
なにものとも しれぬけれど
すこしずつ そして わずかにいろづいてゆく
わたしのこころが
それよりも もっとひろいもののなかへ くずれてゆくのか

八木重吉
秋の瞳」所収
1925

星が二銭銅貨になつた話

 ある晩、プラタナスの梢をかすめてスーと光つたものが、カチンと歩道に音を立てた。 ひろつてみると星だ。
 これはうまいともつてかへつた。
 あくる朝、気がついてポケツトをさぐつてみると、ピカピカしたその年の二銭銅貨が出てきた。
 びつくりして先生のところへかけつけた。
 先生は「それは尤もだ」と云ふ。
「どうしてです?」
「きかせよう」先生はむきなほつた。
「──君のからだでも帽子でも、又このテーブルでも、すべてのものはモレキユールといふ小さい粒からできてゐる。その粒をこはすと、それはもつと小さいアトムといふ粉になる。そのアトムをこはすとさらにエレクトロンといふ粒になる。これがおしまひ。で、つまりこのエレクトロンがどういふ重り方をしてゐるかといふことによつて、さまざまな物の区別が出来るので、だから星が二銭銅貨になつても決してをかしくない」
「ぢや、別に二銭銅貨にならなくても、マツチでも、銭砲玉でもかまはないわけぢやありませんか?それになぜ二銭銅貨とかぎつてゐるのでせう」
「そこが君、選択の自由ぢやないかね」
「そんなことを云つたらムチヤクチヤです」
「さうともムチヤクチヤだよ。一たい君、星をひろつて、それが一晩のうちにもう造られてゐない今年の二銭銅貨になつたなんて、そんなムチヤな話があるかね」

稲垣足穂
「稲垣足穂詩集」所収
1925

やがて地獄へ下るとき
そこに待つ父母や
友人に私は何を持って行かう

たぶん私は懐から
蒼白い、破れた
蝶の死骸をとり出すだろう
さうして渡しながら言ふだろう

一生を
子供のやうに、さみしく
これを追ってゐました、と

西條八十
「美しき喪失」所収
1929

私のかはゆい白頭巾

白い毛糸の頭巾かぶつた私の小さいまな娘は
今朝もまた赤い朝日を顔に浴び、
初霜にちぢれた大根畠のみどりを越えて、
十一月の地平をかぎる箱根、丹沢、秩父連峯、
それより遠い、それより高い富士山の、
雪に光つて卓然たるを見にゆきます。

私の腕は彼女をつつむ藤色のジャケットの下で
小さな心臓のをどつてゐるのを感じます。
私の眼は
空間のしずくよりも清らかな彼女の瞳が、
ものみな錯落たる初冬の平野のはて、
あのれいろうとして崇高いものに
誠実に打たれてゐるのを見てとります。

朝の西風のつよい野中で
まあるく縮まつて幼い感動を経験してゐる
ちひさな肉体、神秘な魂、
その父親の腕に抱かれて声をも立てぬ一つの精神。
私のかはゆい白頭巾よ!
武蔵野うまれ、われらの愛児、
西も東も見さかひつかぬこの小娘を
私は正しく育てて人生におくる!

尾崎喜八
「曠野の火」所収
1927