Category archives: 1920 ─ 1929

永訣の朝

きょうのうちに

とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ

みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

青い蓴菜のもようのついた

これらふたつのかけた陶椀に

おまえがたべるあめゆきをとろうとして

わたくしはまがったてっぽうだまのように

このくらいみぞれのなかに飛びだした

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

蒼鉛色の暗い雲から

みぞれはびちょびちょ沈んでくる

ああとし子

死ぬといういまごろになって

わたくしをいっしょうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまえはわたくしにたのんだのだ

ありがとうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまっすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから

おまえはわたくしにたのんだのだ

銀河や太陽 気圏などどよばれたせかいの

そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・・・・

・・・・・ふたきれのみかげせきざいに

みぞれはさびしくたまっている

わたくしはそのうえにあぶなくたち

雪と水とのまっしろな二相系をたもち

すきとおるつめたい雫にみちた

このつややかな松のえだから

わたくしのやさしいいもうとの

さいごのたべものをもらっていこう

わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ

みなれたちゃわんのこの藍のもようにも

もうきょうおまえはわかれてしまう

  (Ora ora de shitori egumo)

ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう

あああのとざされた病室の

くらいびょうぶやかやのなかに

やさしくあおじろく燃えている

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらぼうにも

あんまりどこもまっしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

   (うまれでくるたて

   こんどはこたにわりゃのごとばがりで

   くるしまなぁよにうまれでくる)

おまえがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜率の天の食に変わって

やがてはおまえとみんなとに

聖い資糧をもたらすことを

わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1922

私の詩

裸になつてとびだし

基督のあしもとにひざまづきたい

しかしわたしには妻と子があります

すてることができるだけ捨てます

けれど妻と子をすてることはできない

妻と子をすてぬゆゑならば

永劫の罪もくゆるところではない

ここに私の詩があります

これが私の贖である

これらは必ずひとつひとつ十字架を背負うてゐる

これらはわたしの血をあびてゐる

手をふれることもできぬほど淡々しくみえても

かならずあなたの肺腑へくひさがつて涙をながす

 

八木重吉

定本八木重吉詩集」所収

1927

月と美童

月映えの、露の野道の

ほんの濃い、向うの靄で。

ぼうわう、ぼうわう、

あ、なにかしろく吠えてる。

 

水芋のてらてらの葉の

その前を、音はしてたが、

ぼうわう、ぼうわう、

お、誰か、ひきかへしてる。

 

美しい童よ、角髪の子よ、

怖がるでない、怖がるでない。

ぼうわう、ぼうわう、

あれはただ吠えるだけだよ。

 

月がまた雲を呼ぶのだ、

ぼうとした紫なのだ。

ぼうわう、ぼうわう、

小さい蛾までが輝くのだ。

 

な、みんなが思ひ出すのだ、かうした晩は、

美しい童よ、童のむかしを。

ぼうわう、ぼうわう、

前の世の聖母の円かな肩を。

 

匂やかであつた、世界は。ふじぎぬのやうな

光と空気とに織られてゐた。

ぼうわう、ぼうわう、

ああした夜露にも吠えてゐた何かだつたよ。

 

北原白秋

海豹と雲」所収

1929

野糞先生

かうもりが一本

地べたにつき刺されて

たつてゐる

 

だあれもゐない

どこかで

雲雀が鳴いている

 

ほんとにだれもゐないのか

首を廻してみると

ゐた、ゐた

いいところをみつけたもんだな

すぐ土手下の

あの新緑の

こんもりした灌木のかげだよ

 

ぐるりと尻をまくつて

しやがんで

こつちをみてゐる

 

山村暮鳥

」所収

1925

メランコリア

外から砂鉄の臭ひを持つて来る海際の午後。

象の戯れるやうな濤の呻吟は

畳の上に横へる身体を

分解しようと揉んでまはる。

 

私は或日珍しくもない原素に成つて

重いメランコリイの底へ沈んでしまふであらう。

 

えたいの知れぬ此のひと時の衰へよ、

身動きもできない痺れが

筋肉のあたりを延びてゆく・・・・・

限りない物思ひのあるやうな、空しさ。

鑠ける光線に続がれて

目まぐるしい蝿のひと群れが旋る。

私は或日、砂地の影へ身を潜めて

水月のやうに音もなく溶け入るであらう。

 

太陽は紅いイリュウジョンを夢見てゐる、

私は不思議な役割をつとめてるのではないか。

 

無花果樹の陰の籐椅子や、

まいまいつむりの脆い殻のあたりへ

私は蝿の群となつて舞ひに行く。

 

壁の廻りの紛れ易い模様にも

ちょつと臀を突き出して止まつて見た。

 

窓の下に死にゆくやうな尨犬よ。

私はいつしかその上で渦巻き初める、

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砂鉄の臭ひの懶いひとすぢ。

 

三富朽葉

「三富朽葉詩集」所収

1926

大砲を撃つ

わたしはびらびらした外套をきて

草むらの中から大砲を引き出してゐる。

なにを撃たうといふでもない

わたしのはらわたのなかに火薬をつめ

ひきがえるのやうにむつくりとふくれてゐよう。

さうしてほら貝みたいな瞳だまをひらき

まつ青な顔をして

かうばうたる海や陸地をながめてゐるのさ。

この辺のやつらにつきあひもなく

どうせろくでもない貝肉のばけものぐらゐにみえるだらうよ。

のらくら息子のわたしの部屋には

春さきののどかな光もささず

陰鬱な寝床のなかにごろごろとねころんでゐる。

わたしをののしりわらふ世間のこゑごゑ

だれひとりきてなぐさめてくれるものもなく

やさしい婦人のうたごゑもきこえはしない。

それゆゑ私の瞳だまはますますひらいて

へんにとうめいなる硝子玉になつてしまつた。

なにを喰べようといふでもない

妄想のはらわたに火薬をつめこみ

さびしい野原に古ぼけた大砲をひきずりだして

どおぼん どおぼんとうつてゐようよ

 

萩原朔太郎

青猫」所収

1923