Category archives: 1980 ─ 1989

おおきな木

 おおきな木をみると、立ちどまりたくなる。芽ぶきの
ころのおおきな木の下が、きみは好きだ。目をあげると、
日の光りが淡い葉の一枚一枚にとびちってひろがって、
やがて雫のようにしたたってくるようにおもえる。夏に
は、おおきな木はおおきな影をつくる。影のなかにはい
ってみあげると、周囲がふいに、カーンと静まりかえる
ような気配にとらえられる。
 おおきな木の冬もいい。頬は冷たいが、空気は澄んで
いる。黙って、みあげる。黒く細い枝々が、懸命になっ
て、空を摑もうとしている。けれども、灰色の空は、ゆ
っくりと旋るようにうごいている。冷たい風がくるくる
と、こころのへりをまわって、駆けだしてゆく。おおき
な木の下に、何があるだろう。何もないのだ。何もない
けれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。

長田弘
深呼吸の必要」所収
1984

サンタクロースのハンバーガー

玉葱をみじんに切ると、
涙がこぼれた。
挽き肉と卵に玉葱と涙をくわえ、
牛乳にひたしたパンを絞ってほぐした。
粘りがでるまでにつよく混ぜあわせる。
できた塊は三ツに分けた。
深いフライパンでじっくりと焼いた。
柔らかなパンを裂いてハンバーグをはさんだ。
これでよし。
それから火酒を一壜わすれちゃいけない。
世界はひどく寒いのだから。
今夜はどこで一休みできるだろう。
アルバータで一ど、トーキョーで一ど、
ハイファで一どは休めるだろう。
髭のニコラス老人は立ちあがった。
老人は、まだ
一どもクリスマス・ディナーを食べたことがない。
クリスマスはいつも手製のハンバーガー。
とにかく一晩で世界を廻らねばならない。
夜っぴて誰もが夢の配達を待っている。
年に一ど、とはいえきつい仕事である。
夢ってやつは、溜息が出るほど重いのだ。

長田弘
食卓一期一会
1987

視線

こっちを見てほしくて
待って 待っていたのに

やっとこっちを向いてくれたのに

なぜか スーッと
わたしだけをとばして
視線はうごいてゆく

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987

隠れんぼう

 雨空を、すばらしい青空にする。角砂糖を、空から墜
ちてきた星のカケラに変える。五本の指を五本の色鉛筆
にして、風の色、日の色をすっかり描きかえる。庭にチ
ョコレートの木を植える。どんなありえないことだって、
幼いきみは、遊びでできた。そうおもうだけで、きみは
誰にでもなれた。左官屋にだって。鷹匠にだって。「ハ
ートのジャック」にだって。
 できないことができた。難しいことだって、簡単だっ
た。遊びでほんとうに難しいのは、ただ一つだ。遊びを
終わらせること。どんなにたのしくたって、遊びはほん
とうは、とても怖しいのだ。
 きみの幼友達の一人は、遊びの終わらせかたを知らな
かった。日の暮れの隠れんぼう。その子は、おおきな銀
杏の木の幹の後ろに、隠れた。それきり、二どと姿をみ
せなかった。銀杏の木の後ろには、いまでもきみの幼友
達が一人、隠れている。

長田弘
深呼吸の必要
1984

いま

もう おそい
いつも
そう 思った

いまから思うと
おそくはなかったのに

まだ 早い
いつも そう思った
そうして いつも
のりおくれた

大事なのは いまだ
やっと 気がついた
もう おそい

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987

夫婦

──動物園へ行ってみない
夕食のあと お茶を飲みながら
妻が言った

何を言いだすのかと思ったら──
夕刊を読みながら 私は
黙っていた

子どもが小さかったころ 子どもを連れて
動物園へは二度行った
二度とも妻は家に残っていた

どんな思い出を 動物園に
妻はもっているのだろう
私の知らない 私に言わない──

──行ってみようか
こんどは妻が返事をしなかった
黙っていた

大木実
」所収
1981

曲折

列車が大カーブにさしかかると
窓の外に先頭が見えてくる
まっすぐ走っているときは
見えなかった 自分だ

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987

女の戦い

式がこれからという時
姑になるべきその人が私の前にぴたりとすわり
立札みたいに四角に
言葉を選んで云ったのです
「あの子はこれまでいつも我ままに育てましたけえ
あんたもこれからあの子の云う事は
ようても悪うても絶対さからわんで下さいよ」

おお何たること、今まで聞いたこともないその云い草
私の家では誰も彼もまず理性的(まとも)であったから
まちがった事を云う人には、たとえそれが父であろうと母は
「あなた、それはほんとはこうじゃあないでしょうか。」とちゃんと云った
父も「おお、それもそうだな」と考えてくれた
それが家庭というもののデグニテイではないだろうか。
「ようても悪うても」さからえぬなんてありうることか。
私は天地がひっくり返ったように感じたが
この女(ひと)と結婚するのじゃなく、
だから、ここで喧嘩すべきじゃないと判断して
黙って笑っていたのだ。
でもむしろ茫然としていたとも云えよう。

あとで考えれば姑もその時は弱者
わが子をとられる必死の瀬戸際
今云わなければ生涯云えぬと心決めて云ったのか
それにしても大上段の大憲章(マグナカルタ)
私に対して大きな重石をずしりとのっけようとしたのだ

居流れた私方の伯母や叔母たちも一斉に
「清子が何と答えるか」とキッときき耳をたてた
しかし私が一言も云わず笑っていたので
「さすが よい度胸」と逆によい点をくれた。

よい事をよいと云うのは当然
無理な事を無理と云うのは相手を一人前と思うから。
彼は殿様じゃないぞ、私は腰元じゃないぞ
そうした思いが常に渦巻き
「私も私の希望をのべさせて貰いましょう」と
私は自分をはげました
私の越えた山坂
合わぬ歯車をかみ合わそうと
幾度衝突し喧嘩したかしれない
彼を矯正すること
それはその時私の一大事業だったのだ
彼はまじめ彼は純真、
それでも我ままに育ってすぐ起きる癇癪
彼はすぐ私を「馬鹿モン!」とどなり食卓をひっくり返す
この魂とつき合って
何と歩調を合わせたらいいのか

ワイシャツを着せるのはいい
上衣を着せるのもいい。
真顔でネクタイをしめてくれと云われても私はとまどう。
自主的な家庭に育って来て
こびたりだましたりできない青竹みたいな私
もし私が私でなければこんなに苦労ではないのだろうか
私を変えるとしたらどう変える?
「やさしくあれ」
「にっこりして涼しい声で『ハイ』と云え」
と友だちは教えてくれた
わかっていても私には
長い長い難行だった

けれどやがて単身赴任の命が来た。
オールマイティの会社から。
彼はそんな事はできないと怒り狂い
会社をやめてやるとあばれた
手当り次第に投げとばし、重い重い碁盤も碁石も共に庭にむかって散乱した。
そして襖の骨もへし折れてしまった。
「そんなにいやなのならおやめなさるほかないわ」と
私は嘆息して云った、
五里霧中のこれからの生活に絶望しながら。

その時息子が父親に近づいていき しずかに
「じゃあ僕が大学に行けなくなってもいいの?」
と云った。
あばれている夫の手がふっとゆるんだその時、息子は
「お父さんは今やめてはいけない。お父さんは僕たちの生活を守ってくれなくてはいけないのだ」
ときっぱり云った
子に甘い彼は息子の言葉にくずおれいやいやながらも本社へむかったのだ。

息子がはじめて私のマグナカルタに抵抗してくれたのか。
けれどもそれと同時に私も亦
夫が決して今まで思っていたような強者なのではないとはじめてさとったのだ。

旧制帝大をたやすく卒業して
人々は彼を肩で風切ると噂している
でもそれは大きな思いちがい、或は裏がえしの姿だったのだ
彼と一緒に本社へ出向き
独身寮の一室に彼を一人残して帰った時
彼をはじめてかわいそうでかわいそうでたまらなく思った
彼の魂はよるべなくいつも助けを求めている。
彼は波にゆられる藁すべのようにさびしく
たとえその表面はプライドで武装していても逆に幼児のように
いつも私を呼んでいたのだ。

姑の言葉はその時別の光線で浮びだした
性格? 病気? おお決して治癒しない孤独
彼の母は母の心でそれをすでに知っていたのか――

一人都会にくらして、やがて彼はすこしは「世間」を知るであろう
仕事の成功、つき合い、阿諛
それでも彼の心は慣れないなぐさまない
私は彼のため祈るほかなく
彼の魂は決して治癒できないさびしさである
私が彼を矯正したいと思ったことは無意味であり
無限の暖かさ それのみが彼を生かすのであろう
彼に味方し彼に助力できるのはただ私だけ そして子供だけ

雛をつれている母鳥のように
彼の母は彼をわかっていたのだ
つまりは式の前にその助力を私に頼みたかったのだ
マグナカルタはこの時氷解し
彼はただ私の心を呼んでいる一人の孤独な男であった。

一生の私の大仕事は長く苦しく
それまで元日がくるたびに
今年こそよい私、やさしい心でありたいと祈り願っていたのに
それでも私は癒らなかった
それは心の底では彼を批判し彼こそ私より先に癒るべきだといつも思っていたから――。
この時からはじめて私は雪解けの中に立つことができたのだ。

いまや彼の母親と同じに私は
「常に彼の味方としての自分」をはじめて自覚した。
それこそ私の最大の仕事。
私が愛のことばに飢えるように
彼もそれが要るのだ、朝顔の蔓に支柱がいるように。
彼が朝顔であることを誰が癒せようか。
私の父母はひとりでに楽しい家庭が築けたのに
私は長い長い悩みののち、ようやくその理解へ辿りついた。

やがて五十五歳の停年が来て彼が私のもとへ帰って来た。
彼は二度とつとめはしないだろう
そして彼はようやく嫌いな人間関係の「社会」をのがれ、
今までの私の代りに慣れぬながら百姓になってくれた。
物云わぬ相手は、泥にまみれて草を除り、薬を撒く彼に、おもむろに応えてくれ
労働による収穫はわずかながらも彼の手に。

彼に代って私はつとめはじめた。
私は資格なく学歴なく、それでも日々喜んでつとめた。
「社会」は私には自然の森と等しく 新しい興味があり発見がある。

おお世の中に難解な人よりむつかしいものがあろうか。
しかしいつしか彼は私にやさしく、そして歯車はやがて噛み合いはじめた。
お互の魂はなごみ、それをお互いに受けとり又相手に返した。
私は彼の作物であり、彼は私の作物である。
お互いの小川ははじめから清くせせらいでいたのに
それでも人間は悩みすれちがい、思いすごしそして苦しみにがい水を飲む
おお私は何を見落していたのだろうか 何を悩んでいたのだろうか

彼が亡くなってから私の若い友が
「ご主人はとてもやさしい方でしたね」と云う
「あなたはあの人に会わなかった筈なのになぜわかるの?」と私はきいた。
「私が、あなたと一緒に出かけるためお誘いに伺った時、ご主人が『今日は冷えるからコートを着てゆけよ』と居間から大声で云われました
あなたは
『私はそんなに寒くはありません。それにすぐ車にのりますから』と云って靴をはかれました。
ご主人は
『風邪をひくよ、コートを着ていけよ』『おいコート、コート』『コート』とくり返し大声で呼んでいられました。私たちの車が出ていくまで。」と云った。

おおそうだった
自分のこと以上に彼は心配してくれたのだ。
でも私はまるでそれをきっと何でもないつまらぬ事のように――。
いつも過剰の愛が彼を不器用にし
そのことが又私を愚かにした。

不器用ではあってもお互いに決して見失わなかったこと
山路はけわしかったのにすこしずつ魂は歩み寄ったこと
難問は次第にほぐれ
圭(かど)ある私も又いつしかやさしくありえたこと
最後に世にもおだやかな顔で彼が逝ったこと
これが私の半生の経歴だった
今は誰にもとりかえ得ないところの――

永瀬清子
あけがたにくるひとよ」所収
1987

テーブルの上の胡椒入れ

それはいつでもきみの目の前にある。
ベーコン・エンド・エッグスとトーストの
きみの朝食のテーブルの上にある。
ちがう、新聞の見出しのなかにじゃない。
混みあう駅の階段をのぼって
きみが急ぐ時間のなかにじゃない。
きみのとりかえしようもない一日のあとの
街角のレストランのテーブルの上にある。
ちがう、思い出やお喋りのなかにじゃない。
ここではないどこかへの
旅のきれいなパンフレットのなかにじゃない。
それは冷えた缶ビールとポテト・サラダと
音楽と灰皿のあるテーブルの上に、
ひとと一緒にいることをたのしむ
きみの何でもない時間のなかにある。
手をのばせばきみはそれを摑めただろう。
幸福とはとんでもないものじゃない。
それはいつでもきみの目のまえにある。
なにげなくて、ごくありふれたもの。
誰にもみえていて誰もがみていないもの。
たとえば、
テーブルの上の胡椒入れのように。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

驟雨

 突然、大粒の雨が落ちてきた。家並みのうえの空が、
にわかに低くなった。アスファルトの通りがみるみる黝
くなり、雨水が一瞬ためらって、それから縁石に沿って
勢いよく走りだした。若い女が二人、髪をぬらして、笑
いあって駈けてきた。灰いろの猫が道を横切って、姿を
消した。自転車の少年が雨を突っ切って、飛沫をとばし
て通りすぎた。
 雨やどりして、きみは激しい雨脚をみつめている。雨
はまっすぐになり、斜めになり、風に舞って、サーッと
吹きつけてくる。黙ったまま、ずっと雨空をみあげてい
ると、いつかこころのバケツに雨水が溜まってくるよう
だ。むかし、ギリシアの哲人はいったっけ。
(・・・魂はね、バケツ一杯の雨水によく似ているんだ
・・・)
 樹木の木の葉がしっとりと、ふしぎに明るくなってき
た。遠くと近くが、ふいにはっきりしてきた。雨があが
ったのだ。

長田弘
深呼吸の必要
1984