骨の動物園、
骨の水族館で
飼育されている
正体不明の生物。
まっすぐに延びる
森の一部として
流れつづけ
地球の振動や
道路の重力と、いまも
たたかっている
カニエ・ナハ
「多島海のための舞踏会をめぐる三十の断章あるいはダンスショウ」所収
2015
骨の動物園、
骨の水族館で
飼育されている
正体不明の生物。
まっすぐに延びる
森の一部として
流れつづけ
地球の振動や
道路の重力と、いまも
たたかっている
カニエ・ナハ
「多島海のための舞踏会をめぐる三十の断章あるいはダンスショウ」所収
2015
カタバミの花 咲いた
カタバミの花 咲いたの
きみのいない庭のアマリリスの鉢から
咲いた
咲いたの
カタバミの花
咲いたの
細い茎の先の
先に
むらさき色の花のひらいて
むらさき色の小さな花をひらいて
ひとつふたつみっつ
ひらいて
きみの庭のアマリリスの鉢から
いないきみの庭の片隅のアマリリスの鉢から
モコが庭で吠えてる
モコが庭の片隅で吠えてる
ウォン
ウォン
ウォンウォーーン
モコが吠えてる
いないきみの庭の隅の片隅の
モコが吠えてる
モコがウォンウォーーン
吠えてる
いないの
きみはもういないの
きみはもう遠くへ行ってしまったの
カタバミの花は咲いたの
カタバミの花は咲いたの
カタバミの花は咲いたの
カタバミの花は咲いたの
むらさき色の小さな花ひらいて
消えていったの
消えていくものは
細い茎の先のむらさき色の花ひらいて
細い茎の先の先に小さなむらさき色の花ひらいて
先なるものと
より先なるものと
なってきみは消えていったの
消えていくきみがいたの
いくつも消えていくきみがいたの
いくつもいくつも消えていくきみがいたの
消えていくきみをしずかにささえていたの
消えていくきみをしずかにささえていたかったの
消えていくものは消えていったの
消えていくものは消えていったの
野外に消えていったの
さとう三千魚
「詩集 はなとゆめ」所収
2014
わすれてもいい
たましいは
わすれたということを
おぼえているから
谷川俊太郎
「せんはうたう」所収
2013
処刑はなされなければならない。結論だけが先にやって来て、権力の発動はすぐさまそれに続いた。だが、誰がどのような理由で処刑されなければならないのか、それは国家権力の組織的事務処理の途中で失われてしまった。そうして今日も「処刑」とだけ書かれたビラが街中に撒かれ、軍隊は常駐し、人々は家の中にこもって処刑がなされるのを待っていた。許可なく家を出た者はすぐさま射殺されたし、誰が処刑されるのか、処刑の理由は何かを官憲に問い詰めたものもすぐさま射殺された。
とにかく、処刑はなされなければならない、対象と理由を詮索することはもはや固く禁じられ、ただ軍隊は処刑の準備を淡々と進めていった。宛名のない逮捕状、理由のない勾留状、囚人の名が載っていない死刑執行状、書類の作成はどんどん進められたが、論理的に処刑をすることは不可能だった。だが、処刑に異議を唱える者は次々と射殺され、ただ異様な緊張感が街をずっと覆い続けた。
ところが、あるとき、当局の最高権力者は気づいてしまった。もはや処刑は完了してしまった、と。つまり、今回の処刑の対象者は、処刑に異議を申し立てるすべてのものであり、処刑の理由は、処刑という国家権力の命令に公然と刃向ったということ、そういうことなのだ、と。実際、今回の処刑に関して射殺された者たちは皆この要件を満たしていた。
そこで最高権力者は最高会議で処刑が完了した旨発言した。すぐさま街を原状に復するように命じた。するとただちにほかの会議のメンバーは最高権力者を取り押さえ、有無を言わさず射殺した。処刑はまだ終わらないし、これからも終わらないだろう。処刑は誰も対象としないし、いかなる理由も持たない。街にはこれからも悲鳴が響き続ける。処刑はなされなければならない。
広田修
「zero」所収
2015
桃の実は人を裁くと言う
僕が試験に落ちたとき
確かに桃の実はわらっていた
お前本当は桃の実じゃないだろう
僕はそいつをもぎ取り
皮をむいてみた
白くて柔らかい果肉があった
食べてみたら甘かった
そこまで徹底して僕をだまそうというのか
桃の実の置かれた地点で
いくつもの曲線が交わっている
この曲線はあの日の僕の痛み
この曲線は誰かの失恋
この曲線は自動車の発明
僕は悲しくなって泣いた
だって無関係なものが
たくさん交わりすぎているじゃないか
これじゃ戦争みたいだ
桃の実が
収穫され 選別され 輸送され
店舗に並び 購入され 食べられる
その過程で描いた空間的な軌道を
つぶさに思い描く
広大な空間を貫く巨大なスケッチ
こんな作品が桃の実の数だけあるんだね
桃の実の
飛び立ちそうな重さ
輝きそうな影
滑り出しそうな摩擦
青を呼ぶ赤さ
これらの均衡を食べようとして
僕は桃の実を取り上げる
すると重さはあくまで重く
赤さはあくまで赤くなってしまい
おびただしい偏りに
僕は食欲をなくした
広田修
「zero」所収
2015
匿う水が、植木のしたに溜まっている
鈍器で殴りこんできた敵は火のなかで死んだ
洗われた傷を清潔なガーゼでおさえながら
病室で泣く人の傍らに座った
言葉よりもからだのほうが近く、
とじこめて、死後に語る、と約束をした
郷里の雪はタイヤの跡が茶色く、
少しも美しくはなかった
わたしたちのほうがまだ、と息をとめ、
片割れのからだが、さらに細切れの一人を零し、
睫のさきが重くなる
もう眠れ、とあなたは言った
それから、しずかな遺体をくるんだ
何かあったらすぐにおまえに
そう告げていた指先から一センチのところで
携帯も眠っていた
わたしも、植物を育てている
あの一センチの距離が、ただひとつのやさしさになるまで
この血のなかで、何度も語りつづける人よ
如雨露の蓮口を拒んで
水はいらないと、けだかく怒鳴る人よ
杉本真維子
「裾花」所収
2015
うまくもなくまずくもない行きつけの定食屋で
もそもそ野菜炒め定食を食べていた時だ
マンガ雑誌の棚の上に無造作に置かれた埃っぽいブラウン管テレビには
体操女子の競技会のニュースが映し出されていた
優勝した選手がインタビューに答えている
中学2年か、初々しいな
化粧っ気のない頬を紅潮させている
それをじっと見ていたハゲ頭の店のオヤジは
染みのついた前掛けを掛けた店のオヤジは
オタマを手にしたまま急に怒り出したのだ
「最近のコは何であーやって語尾を無駄に伸ばすんだ?
いつまでも赤ちゃんみたいな喋り方しやがって
親のしつけがなってねぇんだな」
おーっ、オヤジ、さすがだねえ
長く生きてると
目のつけどころが違うねえ
さっき見事な平均台の演技映ってたでしょ
あんなの毎日死ぬほど練習しなきゃできないよ
あのコ、かわいい顔してるけどすごい根性あるよ
ご両親のサポートも立派だと思うよ
でもそんなのオヤジのアンテナには引っかからない
見たいものしか見ない能力
聞きたいことしか聞かない能力
どのくらい努力すれば身につくんだろうか
オヤジの努力
それはきっとオリンピックを目指す体操選手の努力と一緒
来る日も来る日も関心外の出来事を無視し続ける練習をすること
小惑星探査機「はやぶさ」が無事帰還しました、と感激するアナウンサーを見て
「あんな派手なネクタイするかね」とだけ言ったオヤジだ
いつもピントが合いすぎている
じゃあさ
方向を変えてやればあのコともメッチャうまくやれるんじゃない?
はい、講師にあの体操少女をお呼びしました
よろしくお願いします
「よろしくお願いしますぅっ」
オヤジは仏頂面して黙ったまま
「それではまず平均台の上に立っていただけますかぁ」
ごそごそ上ろうとするが平均台は意外と高さがある
足が上がらないオヤジは何度もずり落ちてしまう
台にしがみついて、上体を乗せて、腰をずりずりさせて
はい、やっと這い上がれました
でも平均台にしがみついたままだ
「立てますかぁ?」
オヤジはしかめっ面しながら体を持ちあげようとするけれど
ダメだ、台にへばりつくばかり
「それでわぁ、支えますのでぇ、ゆっくり立ち上がって下さいねぇ」
体操少女の肩に掴まってぶるぶる震えながら立ち上がるオヤジ
体操少女がしっかり膝を支えているから大丈夫だ
「すごいですぅ、立ち上がれましたねぇ、それでわぁ歩いてみて下さいぃ」
オヤジは目を白黒させてぶんぶん首を振る
「うーん、じゃあ、元気をつけるために声をだしてみましょうかぁ
でわぁ、『私は日本人ですぅ』」
「私は日本人です」
「『です』じゃなくて『ですぅ』ですぅ」
「私は日本人で、す、ぅ」
「そうそう、いい感じですよぉ、それじゃ『いいお天気ですねぇ』」
「いいお天気、です、ね、ぇ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ、はどうでしょうかぁ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」
「すごいすごい、すごいですぅ、完璧ですよぉ」
オヤジはそれには答えずニコリともしないまま
そろりそろりと平均台の上を歩き出し
やがて、タッタッタッと走り出すと
えいぃ、とジャンプして
くるりと一回転
すたっと平均台の上に着地
微動だにしない
すごいなあ、オヤジ
やったなあ、オヤジ
と体操少女と手を取り合って喜んでいるうち
オヤジはいつのまにかすーーーーーっと長く伸びた平均台の上を
「私は日本人ですぅ」
「いいお天気ですねぇ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」
と繰り返し叫びつつ
タッタッタッ、くるっと回転していく
遠くへ、遠くへ
もう点のようにしか見えない
同じ台詞を反復する声だけが微かに聞こえてくる……
でまあ、いくら待っても戻ってこないわけ
ぼくは体操少女と一緒に定食屋に戻ることにした
「しょーがないですねぇ、しばらくの間だけですよぉ」
オヤジの代わりに体操少女が染みのついた前掛けを掛け
オタマを手にする
まだちょっとぎこちないがおじけづいた様子はない
ぼくは食べかけだった野菜炒め定食を平らげることにした
「ごちそうさま」と言って立ち上がると、体操少女は
「3番さん、おあいそーっ」とおかみさんに向かって元気に声を張り上げた
よしよし、その調子だ
オヤジが修行の旅を終えるまで
立派に店をきりもりしてくれるに違いない
語尾もしっかり伸ばしているから体操界への復帰も容易いだろう
それじゃ、来週また寄るからね
おやすみなさいー
辻和人
「Poetry Port」掲載作品
2011
あの丘の上に登れば
何かが見えてくるような気がしている
ただ思考を記録するのだった
いつかくる明日の為に
ああ ああ 拍動
そして雲は流れていった
飛ぶように風
私の時は未だ定かでない
エピジェネティックなスティグマ
我々の影
消えない悲しみを持った人は
冬の星座のようだ
(いつまで考え続けるの?)
(もちろん、死ぬまで)
時を辿る風の眼
その向こうに何かが見えるまで
足元のシロツメクサの緑が風にそよぎ
わたしはそれを詩だと思う
それは或いは数学かもしれないのだが
どうやら理論値という言葉にも
詩はあるようだ
我々は限りなく違いを有していて
それこそが希望で有り得るのだろう
ドアを開くのは
境界を越えてゆくのは
やはり君だから
真実について語ってくれないか
国境など人間が決めたものだからと
この世界には
図式化された二項対立など無いのだと
深く被った麦藁帽子の網目に透ける太陽の光
透明な風に木の葉がさらさらと鳴って
その音ばかり追いかけている
宮岡絵美
「境界の向こう」所収
2015
ある娘の胸の前に暗い道路がひとすじ延びている、
夕闇か、夜明け前かはわからない。
道路に娘は立っていてそれから歩きはじめる、
道路に沿って道路の上を歩きはじめる、
あたたかい格好だよく備えた格好だ。
地虫が一匹、道路の先で歌っている、
大きい、大きい、ありったけの声で、
ナスとパセリは仲がいい
トマトとニラは仲がいい
ニンニクとイチゴは仲がいい
春菊とレタスがチンゲンサイを蝶から守る
娘の耳に、ありったけの声がかすかに届く、
娘はふるさとを思い出す自家用畑を思い出す、
そうして娘は元気を出す、
森が生える。
道路の左右に森が生える、
道路の右に針葉樹の森がひろがり、
道路の左に広葉樹の森がひろがり、
一頭の馬、100年生きた黒い馬がブナの陰から
娘が娘のまま歩いて森を抜けるのを遠くに見届ける、
地虫はまだ同じ歌を歌っている、
娘はききとる、
むねにきざむ、
くちずさむ、
娘のブーツの右足が地虫のすぐ脇を踏む、
森の終わりぎわの道路っぱたに男がふたりしゃがんでいる、
あれは無頼気取りのだ、そうだおしゃれだが踊れない奴らだ。
あれには森の終わりが森の始まりにみえる、
だからあれは自動車を森の終わりに乗りつけて平気でいて、
吸いなれない煙草を競って吸っていて、娘が通るのを
待っていて、
そこへ速度をもった電灯がふたつ向かってくる、
子どもの乗った自転車だ兄の乗った自転車だ。
あれはふたりでひとつになって驚いて跳びすさって、
自分の腰が曲がっていることに
まだ、気がつかないでいる。
娘はもう森からずいぶん離れた場所まで歩いてきたのだ。
道路はいつまでたっても二手には分かれない、
娘は疲れて、明るく灯るカフェにはいる。
するとカフェは同じ顔した娘でいっぱいで、ほとんど満席で
ある娘は痩せある娘は肥り、
ある娘は妊娠しておりある娘は年取っており、
ある娘はもっと小さい娘を連れていて、
道路は黙って待っていて退屈しのぎにカフェの灯りを見ていて、
カフェの窓のほうは道路には目もくれずに、道路ぎわに生えたカツラの、
図ったような黄色と緑の散らばり具合を撮っていて、そのあいだに
一頭の馬、1000年生きた黒い馬がカフェの窓から漏れる灯りのなかを走り抜けてゆき、
日が昇る。
道路がカフェに目を戻すと灯りは消えていて、
誰もいない誰もいない冷たい朝になっていて、
娘がひとり、扉をあける──
娘の胸の前に明るい道路が水平に延びている、
道路と水平に両手をいっぱいに娘は伸ばす、
朝の光を全部吸い込むために。
娘の左手の道路の先から
娘の右手の道路の先へ
速度をもった塊がふたつ、娘の胸の前を横切ってゆく、
子どもの乗った自転車だ兄の乗った自転車だ。
両目を見開いて、娘はふたつの速度を見送る、
乗ったことのない速度を見送る。
娘の準備は整っている、
あたたかい格好だよく備えた格好だ。
なすとぱせりはなかがいい
とまととにらはなかがいい
にんにくといちごはなかがいい
しゅんぎくとれたすがちんげんさいをちょうからまもる
自分の賛美歌を娘は歌いながら
道路を渡る、
そこへ
めきめきと森が生える。
大崎清夏
「指差すことができない」所収
2014
かつて、熱心に風の名を集めた人があった。その人によると、『万葉集』の末二巻のなかでは「アユノカゼ」に「東風」の二字を当てているという。そして、風が陸地に打ち上げるものを、人々は寄物と呼んだ。
海からのくさぐさの好ましいものを、日本人に送ってよこした風の名が「アユ」であった。
東風がどのような宝物を吹き寄せたのか、浜辺に立つ私たちには、もはや知るよしもない。
けれども、私もまた、集めようと思う。風の名を。
城戸朱理
「漂流物」所収
2012