Category archives: Chronology

天気

(覆された宝石)のような朝
何人か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日

西脇順三郎
Ambarvalia」所収
1933

軍艦茉莉

「茉莉」と呼ばれた軍艦が北支那の月の出の波止場に今夜も碇を投れている。岩塩のようにひつそりと白く。

私は艦長で大尉だった。娉嫖とした白皙な麒麟のような姿態は、われ乍ら麗はしく婦人のやうに思われた。私は艦長公室のモロッコ革のディヴンに、夜となく昼となくうつうつと阿片に憑かれてただ崩れてゐた。さういふ私の裾には一匹の雪白なコリー種の犬が、私を見張りして駐つてゐた。私は監禁されていた。

月の出がかすかに、私に妹のことを憶はせた。私はたつたひとりの妹が、その後どうなつてゐるかといふことをうすうす知つてゐた。妹はノルマンデイ産れの質のよくないこの艦の機関長に夙うから犯されてゐた。しかしそれをどうすることも今の私には出来なかつた。それに「茉莉」も今では夜陰から夜陰の港へと錨地を変へてゆく、極悪な黄色賊艦隊の麾下の一隻になつてゐる──悲しいことに、私は又いつか眠りともつかない眠りに、他愛もなくおちてゐた。

夜半、私はいやな滑車の音を耳にして醒めた。ああ又誰かが酷らしく、今夜も水に葬られる──私は陰気な水面に下りて行く残忍な木函を幻覚した。一瞬、私は屍体となって横たわる妹を、刃よりもはつきりと象た。私は遽に起とうとした。けれど私の裾には私を張番するコリー種の雪白な犬が、釦のように冷酷に私をディヴンに留めている。──「ああ!」私はどうすることも出来ない身体を、空しく悶えさせ乍ら、そして次第にそれから昏睡していつた。

月はずるずる巴旦杏のように堕ちた。夜蔭がきた。そして「茉莉」がまた錨地を変へるときがきた。「茉莉」は疫病のような夜色に、その艦首角を廻しはじめた──

安西冬衛
「軍艦茉莉」所収
1929

父と将棋

わたしの父親は、日曜日の「将棋番組」を欠かさず見るような将棋好きでした。

この父の影響でいつのまにかわたしは将棋を好きになっていたのです。

子供の頃、父と将棋をするときは、もちろん駒落ち。

飛車を落とせば「飛車落ち」、飛車と角を落とせば「二枚落ち」

わたしはこの二枚落ちでよく父と将棋をしました。

大人になってからも、私の将棋好きは変わりません。

多少、将棋の本を読んで強くなったといい気になり

実家へ帰れば、必ず父と将棋を指しました。

しかしまったく勝てません。

 

父は病院で死んだのですが

死ぬ少し前、入院先の病室で、毎日毎日、父と将棋を指しました。

父の病気は治る見込みはなく、長くて一ヶ月

それは父以外、みんな知っていることでした。

病室は三階にありました。

エレベーターを降り、白い廊下を真っ直ぐ奥まで行くと

六人部屋の病室を入ってすぐのベッドに父は横になっていました。

わたしが行くと父はベッドのリクライニングを起こします。

小さなロッカーのようなテーブルの引き出しから、将棋盤と駒箱を出します。

わたしは病院の名の書かれたボロボロの丸椅子に座り、日がな一日将棋三昧です。

 

父は将棋をしながら、将棋の格言のようなことをよく口にする人でした。

「王の早逃げ八手の得」「金底の歩、岩より固し」「桂馬の高飛び歩のえじき」

わたしはその頃、なぜか桂馬が好きで、桂馬をはねることが多かったのでしょう。

「桂馬の高飛び歩のえじき」は、よく父が口にする言葉でした。

しかしわたしが勝つことはありませんでした。

体が衰弱していても、父の思考は至ってまともなのです。

 

ところがある日、これは「勝てるな」と思ったことがあります。

その日、わたしは平手で父と将棋を指していました。

わたしは途中で「勝てるな」と思ったのです。

それからすぐに「おかしいなあ」と

わたしが平手で父に勝てるはずはないのです。

思えば中盤あたりから、父の指す一手一手が、あきらかにおかしくなっていました。

父は、その頃から痛み止めに強い薬を飲んでいたのでした。

そのせいで深くものを考えられなくなっていたのです。

薬が相当強いものだということを、このとき知りました。

そして「この人は死ぬんだな」

そう確信したのです。

あれだけ将棋の強い父が、まるでとんちんかんな手を打って

そのことに、もう気付けなくなっている。

このままいけばわたしは勝てるのです。

そして、わたしがここで勝てば

父は自分の病気の重大さを知ってしまうかもしれない、と思いました。

わざと負けようか。そんな考えが自分の中に過ったとき

勝たなければと思ったのです。

わたしが今後将棋が強くなったとして、その過程に父はいません。

わたしは今日勝とうと思ったのです。勝とう、勝てる、と。

そう思うと、なかなか次の一手が思いつかないものです。

「指す手がないときは端歩をつけ」

むかし父が教えてくれた言葉通り、わたしは端歩(右)をつきました。

わたしがあまり意味のない歩をあげたことで

「なんでまた、そんなとこつくかなあ」と父はため息混じりに言うのです。

この局面で端歩がおかしいことだけはわかるようでした。

こういった状況で、わざと負ける、嘘でもいいから勝たせてあげる

そんなことは承知で、わたしは勝たなければなりませんでした。

父はもうすぐ死ぬんですから

嘘でもいいから治ると言ってあげれば、わざと負けてあげれば

それでも人は死ぬのです。

人は死んでゆくものなんだ、ということを

こうして父と将棋を指すことでしかわたしにはわからなかったでしょう。

わたしは父が死んだあとも生きていきます。生き続けなければならないのです。

 

わたしはいまでも、あの勝負は絶対に勝たなければならなかったと思っています。

しかし、この日もわたしは父に勝てませんでした。

端歩を指した辺りから、なにがなんだかわからなくなってしまい

そのあと十分もしないうちに王手をかけられ、その局面で詰んでいたのです。

わざと負けたのではなく、弱いから負けたのです。

 

その翌々日、父は病室を四階に移され、特別室に入ったあと、すぐに死にました。

将棋好きだった父の棺にわたしは将棋の駒を入れました。

中村葉子
「夜、ながい電車に乗って」所収
2006

主に語尾の話

うまくもなくまずくもない行きつけの定食屋で
もそもそ野菜炒め定食を食べていた時だ
マンガ雑誌の棚の上に無造作に置かれた埃っぽいブラウン管テレビには
体操女子の競技会のニュースが映し出されていた
優勝した選手がインタビューに答えている
中学2年か、初々しいな
化粧っ気のない頬を紅潮させている

それをじっと見ていたハゲ頭の店のオヤジは
染みのついた前掛けを掛けた店のオヤジは
オタマを手にしたまま急に怒り出したのだ
「最近のコは何であーやって語尾を無駄に伸ばすんだ?
いつまでも赤ちゃんみたいな喋り方しやがって
親のしつけがなってねぇんだな」

おーっ、オヤジ、さすがだねえ
長く生きてると
目のつけどころが違うねえ

さっき見事な平均台の演技映ってたでしょ
あんなの毎日死ぬほど練習しなきゃできないよ
あのコ、かわいい顔してるけどすごい根性あるよ
ご両親のサポートも立派だと思うよ

でもそんなのオヤジのアンテナには引っかからない
見たいものしか見ない能力
聞きたいことしか聞かない能力
どのくらい努力すれば身につくんだろうか

オヤジの努力
それはきっとオリンピックを目指す体操選手の努力と一緒
来る日も来る日も関心外の出来事を無視し続ける練習をすること
小惑星探査機「はやぶさ」が無事帰還しました、と感激するアナウンサーを見て
「あんな派手なネクタイするかね」とだけ言ったオヤジだ
いつもピントが合いすぎている

じゃあさ
方向を変えてやればあのコともメッチャうまくやれるんじゃない?

はい、講師にあの体操少女をお呼びしました
よろしくお願いします
「よろしくお願いしますぅっ」
オヤジは仏頂面して黙ったまま
「それではまず平均台の上に立っていただけますかぁ」
ごそごそ上ろうとするが平均台は意外と高さがある
足が上がらないオヤジは何度もずり落ちてしまう
台にしがみついて、上体を乗せて、腰をずりずりさせて
はい、やっと這い上がれました
でも平均台にしがみついたままだ
「立てますかぁ?」
オヤジはしかめっ面しながら体を持ちあげようとするけれど
ダメだ、台にへばりつくばかり
「それでわぁ、支えますのでぇ、ゆっくり立ち上がって下さいねぇ」
体操少女の肩に掴まってぶるぶる震えながら立ち上がるオヤジ
体操少女がしっかり膝を支えているから大丈夫だ
「すごいですぅ、立ち上がれましたねぇ、それでわぁ歩いてみて下さいぃ」
オヤジは目を白黒させてぶんぶん首を振る
「うーん、じゃあ、元気をつけるために声をだしてみましょうかぁ
でわぁ、『私は日本人ですぅ』」
「私は日本人です」
「『です』じゃなくて『ですぅ』ですぅ」
「私は日本人で、す、ぅ」
「そうそう、いい感じですよぉ、それじゃ『いいお天気ですねぇ』」
「いいお天気、です、ね、ぇ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ、はどうでしょうかぁ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」
「すごいすごい、すごいですぅ、完璧ですよぉ」

オヤジはそれには答えずニコリともしないまま
そろりそろりと平均台の上を歩き出し
やがて、タッタッタッと走り出すと
えいぃ、とジャンプして
くるりと一回転
すたっと平均台の上に着地
微動だにしない
すごいなあ、オヤジ
やったなあ、オヤジ
と体操少女と手を取り合って喜んでいるうち
オヤジはいつのまにかすーーーーーっと長く伸びた平均台の上を
「私は日本人ですぅ」
「いいお天気ですねぇ」
「ちょっとお伺いしたいんですけどぉ」
と繰り返し叫びつつ
タッタッタッ、くるっと回転していく

遠くへ、遠くへ
もう点のようにしか見えない
同じ台詞を反復する声だけが微かに聞こえてくる……

でまあ、いくら待っても戻ってこないわけ
ぼくは体操少女と一緒に定食屋に戻ることにした
「しょーがないですねぇ、しばらくの間だけですよぉ」
オヤジの代わりに体操少女が染みのついた前掛けを掛け
オタマを手にする
まだちょっとぎこちないがおじけづいた様子はない
ぼくは食べかけだった野菜炒め定食を平らげることにした
「ごちそうさま」と言って立ち上がると、体操少女は
「3番さん、おあいそーっ」とおかみさんに向かって元気に声を張り上げた

よしよし、その調子だ
オヤジが修行の旅を終えるまで
立派に店をきりもりしてくれるに違いない
語尾もしっかり伸ばしているから体操界への復帰も容易いだろう
それじゃ、来週また寄るからね
おやすみなさいー

辻和人
Poetry Port」掲載作品
2011

冬の虹

駅の陸橋をわたるとき
虹が出ていた
消えかけていたけれど美しかった
誰も気がつかなかった
教えようとしたら汽罐車の煙が吹き消した
あっというまもなかった
(人生にはこれに似た思い出がたびたびある)
改札口のところで振り返ったが
やはり見えなかった

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

宇宙の中の一つの点

人は死んでゆく
また生れ
また働いて
死んでゆく
やがて自分も死ぬだらう
何も悲しむことはない
力むこともない
ただ此処に
ぽつんとゐればいいのだ

草野天平
ひとつの道」所収
1947

途上

ひび割れの
一層むごい凌辱と貪婪の
手にとるこの世のあらひざらひだ
やくざな助材を解きはなつておもふざま
幻象に仕上げるのが日常なら
それに火をつけ
奈落を渫ひ
どのみちおほきく笑へればいいといふものさ
これをしも不誠実だと責めるまへに……
だがいまは言ふな
すべる蠅よ
のさばる光栄のしやつ面たちよ
生活だと言つたのが愚の骨頂なら
もう何ひとつ文句はつけぬ
この身は暗い百年に触火して乱雑たるあれ――なほ渡つてゆく
歩みは一片の悔いもないが
意地わるくつらく強力に泣いてゐるのだ
風ともない通り魔のしはぶきのやうなやつに折からの
風物が絞めあげられて
ながい間めいめいのおもひは錯落した
すれ違ひざまに光つてきらりと此方を見た眼
なんとあたり前のかなしげな挨拶
あるけあるけと渡つてきたのだ
行きあたるところの無い限り 愛や動乱や死の胆妄に
灼かれる業も
まして尼からのぞいた孤独といふやつ
一時が永遠に木ツ葉微塵の形なしだといふのさ
及びがたい力につらぬかれ
きらりとし錆びいろとなりふき晒されて
それこそどんな暗黒にも閉ぢることはないだらう
別々でありながら身内に燃え燃えながらも離れてゆくといふ
おかしなさういふたぐひの眼だ
せつかく此処まで来たところがこれでは説明がつきかねる
これをしも不誠実だと責めるまへに
だがいまは言ふな
おまへが何を共力しようとするのかそれも知らぬ
おれは世界が何故このやうにおれを報いたかを考へてみるのだ
宇宙犬の夢をもつためには
しばしばその夢からさへ脱がれようとする
だがいぶかしげにおれをうながす
憫みともつかぬだんまりが反つておまへの常套なのか
どうやらそれも怖ろしい眼の裏側を糾問するためのことらしい
がたんと重いぶれーきで停り
わづかな喧騒の後はまたもとの静けさに帰つた
いやおれはこのまゝでいいのだ
辛いやつを口になめては
歌をやるすべもない
左様なら
いちめんの斑雪に煤がながれこんで
黒い車輛の列からはみだしてる
途方もない
陸のつゞきさ

逸見猶吉
定本逸見猶吉詩集」所収
1966

雪と膝

雪の日、姉は膝をだいて、私の瞳になにを読んだか。
お前は恋をしたのだらう。

あわただしく、落葉のやうにあわただしく、私は手紙をしたためる。雪の日の街に出る、赤いポスト。

落葉の上を行く、舗道の上を行く。
鳴らないピアノ、舗道のピアノ。

マドリガル、私の恋歌、火のつかない私の煙草、

(海峡を見たか、あれから。私は海峡を、見たはたして。)

雪が来る、雪が来る。雪は時間の上にとまる。

津村信夫
「愛する神の歌」所収
1935

風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人けない一すぢの道の上に私は涯しない野原をさまようてゐた。風は四方の地平から私を呼び、私の袖を捉へ裾をめぐり、そしてまたその荒まじい叫び声をどこかへ消してしまふ。その時私はふと枯草の上に捨てられてある一枚の黒い上衣を見つけた。私はまたどこからともなく私に呼びかける声を聞いた。

――とまれ!

 私は立ちどまつて周囲に声のありかを探した。私は恐怖を感じた。

――お前の着物を脱げ!

 恐怖の中に私は羞恥と微かな憤りを感じながら、余儀なくその命令の言葉に従つた。するとその声はなほ冷やかに、

――裸になれ! その上衣を拾つて着よ!

 と、もはや抵抗しがたい威厳を帯びて、草の間から私に命じた。私は惨めな姿に上衣を羽織つて風の中に曝されてゐた。私の心は敗北に用意をした。

――飛べ!

 しかし何といふ奇異な、思ひがけない言葉であらう。私は自分の手足を顧みた。手は長い翼になつて両腋に畳まれ、鱗をならべた足は三本の指で石ころを踏んでゐた。私の心はまた服従の用意をした。

――飛べ!

 私は促されて土を蹴つた。私の心は急に怒りに満ち溢れ、鋭い悲哀に貫かれて、ただひたすらにこの屈辱の地をあとに、あてもなく一直線に翔かけつていつた。感情が感情に鞭うち、意志が意志に鞭うちながら――。私は永い時間を飛んでゐた。そしてもはや今、あの惨めな敗北からは遠く飛び去つて、翼には疲労を感じ、私の敗北の祝福さるべき希望の空を夢みてゐた。それだのに、ああ! なほその時私の耳に近く聞えたのは、あの執拗な命令の声ではなかつたか。

――啼け!

 おお、今こそ私は啼くであらう。

――啼け!
――よろしい、私は啼く。

 そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いてゐた。

――ああ、ああ、ああ、ああ、
――ああ、ああ、ああ、ああ、

 風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。冷めたいものがしきりに頬を流れてゐた。

三好達治
測量船」所収
1964

葬式列車

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを

石原吉郎
サンチョ・パンサの帰郷」所収
1963