Category archives: Chronology

落日

匈奴は平原に何百尺かの殆ど信じられぬくらいの深い穴を穿ち、死者をそこに葬り、一匹の駱駝を殉死せしめて、その血をその墓所の上に注ぐ風習があった。雑草は忽ちにしてそこを覆い、その墓所の所在を判らなくするが、翌年遺族たちは駱駝を連れて平原をさまよい、駱駝が己が同族の血を嗅ぎ当てて咆哮するところに祭壇を造って、死者に供養したと言う。
私はこの話が好きだ。この話の故に匈奴という古代の遊牧民族を信用できる気になる。因みに彼等の考え方に依れば、そのような平原を地殻と言い、そのような平原の果に沈む太陽を落日と言う。そしてまたそのような平原に降り積む雪を降雪と言うのである。

井上靖
「北国」所収
1958

告別式

金ばかりを借りて
歩き廻っているうちに
ぼくはある日
死んでしまったのだ
奴もとうとう死んでしまったのかと
人々はそう言いながら
煙を立てに来て
次々に合掌してはぼくの前を立ち去った
こうしてあの世に来てみると
そこには僕の長男がいて
むくれた顔して待っているのだ
なにをそんなにむっとしているのだときくと
お盆になっても家からの
ごちそうがなかったとすねているのだ
ぼくはぼくのこの長男の
頭をなでてやったのだが
仏になったものまでも
金のかかることをほしがるのかとおもうと
地球の上で生きるのとおなじみたいで
あの世も
この世もないみたいなのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1953

ブドー酒の日々

ブドー酒はねむる。
ねむりにねむる。

一千日がきて去って、
朱夏もまたきて去るけれども、

ブドー酒はねむる。
壜のなかに日のかたち、

年のなかに自分の時代、
もちこたえてねむる。

何のためでもなく、
ローソクとわずかな

われらの日々の食事のためだ。
ハイホー

ブドー酒はねむる。
われらはただ一本の空壜をのこすだけ。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

三月なかばだというのに
今朝は珍らしい大雪だ
長靴をはいて
雪の中をざくざく歩くと
これはまたわが足跡のなんと大きなこと
東京のまん中で熊になった
人間は居らぬか
人間という奴は居らぬか

壺井繁治
「壺井繁治詩集」所収
1944

ふるさとの小川は

ふるさとの小川は いまも
澄んで流れているだろうか

さらさら さらさら と音もなく
白砂を運んでいるだろうか

きゅるきゅる きゅるきゅる と忙しく
川底の玉石を磨いているだろうか

すばやい鮠の子たちを
光の紐で捕えたり放したりしているだろうか

夕月の影をこなごなに砕きながら
ミソハギの白い根を洗っているだろうか

少女に逢う日
燃える肌を浸して漱ぎ浄めたあの朝のままに
沁みとおるように冷たいだろうか

戦さに出で立つまえを
眠れなかった一夜のように
かなしい子守歌をうたっているだろうか

ふるさとの小川は いまも
澄んで流れているだろうか
わたしの中を
ひとすじに流れつづけているそれのように・・・

磯村英樹
水の女」所収
1971

老いたきつね

冬日がてっている
いちめん
すすきの枯野に冬日がてっている
四五日前から
一匹の狐がそこにきてねむっている
狐は枯れすすきと光と風が
自分の存在をかくしてくれるのを知っている
狐は光になる 影になる そして
何万年も前からそこに在ったような
一つの石になるつもりなのだ
おしよせる潮騒のような野分の中で
きつねは ねむる
きつねは ねむりながら
光になり、影になり、石になり雲になる夢をみている
狐はもう食欲がないので
今ではこの夢ばかりみているのだ
夢はしだいにふくらんでしまって
無限大にひろがってしまって
宇宙そのものになった
すなわち
狐はもうどこにも存在しないのだ

蔵原伸二郎
岩魚」所収
1955

人の酒

飲んでうたっておどったが
翌日その店の名をきかれて
ぼくは返事にこまった
人の酒ばかりを
飲んで歩いているので
店の名などいらないのだ

山之口貘
山之口貘詩集」所収
1951

アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を語り出す認識を侵食する。絶対的物象化は、かつては精神の進歩を自分の一要素として前提したが、いまそれは精神を完全に呑み尽そうとしているから、
私たちは詩を書こう
それとも
聖母マリアを強姦しに行こうか

首を吊られたくなかったあなたが
首を吊りたくない私に
何かを語りたがる夜
私は雨に溶ける街を歩く

踏切の向こうを
轟音をたてて通り過ぎる列車の野蛮
それを送りだした勤勉な駅員の制服

小林多喜二が虐殺された時空で
ジョバンニがカンパネルラに
思想とは無思想だと
無思想にしか思想はないのだと
それでも無思想は思想なのだと打ち明ける

だから私は
雨の夜、凍えながら
星の下を歩く

蛾兆ボルカ
現代詩投稿サイト「B-REVIEW」より転載
2018

絶望のスパゲッティ

冷蔵庫のドアを開けて、
一コの希望もみつからないような日には
ピーマンをフライパンで焼く。
焼け焦げができたら、水で冷やして、
皮をむき、種子をとる。
トマトを湯むきし、乾燥キノコも
水に浸けてもどし、20粒ほどの
オリーブの種子をていねいにぬいて、
それらぜんぶとアンチョビーとケーパー、
パセリをすばらしく細かく刻む。
玉葱、大蒜、サルビアも刻む。
もうだめだというくらい切り刻む。
それからじっくりと弱火で炒める。
火をとめて、あら熱がとれたら
パルメザンチーズをたっぷりと振る。
しゃきっと茹でた熱いままの
スパゲッティにかけてよく混ぜあわせる。
スパゲッティ・ディスペラート。
絶望のスパゲッティと、
イタリア人はそうよぶらしい。
どこにも一コの希望もみつからない
平凡な一日をなぐさめてくれる
すばらしい絶望。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

切符

一人の男は
天を持つ

一人の男は
山を持つ

一人の男は
海を持つ

持った淋しさで
男たちは

それぞれ背中を向けあって
終りのない旅をつづける

高木護
「やさしい電車」所収
1971