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詩について語らず

 詩の講座のために詩について書いてくれというかねての依頼でしたが、今詩について一行も書けないような心的状態にあるので書かずに居たところ、編集子の一人が膝づめ談判に来られていささか閉口、なおも固辞したものの、結局その書けないといういわれを書くようにといわれてやむなく筆をとります。
 ところが、書けないといういわれを書こうとするとこれが又なかなか書けません。なぜ書けないかがはっきり分るくらいなら、当然それは書けるわけであり、本当はただいわれ知らずに書けないのだという外はないのでしょう。
 詩は書いていながら、詩そのものについて語ることが今どうしても出来ないのです。どうしてでしょう。以前には断片的ながら詩について書いたこともありましたが、詩についてだんだんいろいろの問題が心の中につみ重なり、複雑になり、却って何も分らなくなってしまった状態です。今頃になってますます暗中摸索という有様なのです。
 元来私が詩を書くのは実にやむを得ない心的衝動から来るので、一種の電磁力鬱積のエネルギー放出に外ならず、実はそれが果して人のいう詩と同じものであるかどうかさえ今では自己に向って確言出来ないとも思える時があります。明治以来の日本に於ける詩の通念というものを私は殆と踏みにじって来たといえます。従って、藤村――有明――白秋――朔太郎――現代詩人、という系列とは別個の道を私は歩いています。詩という言葉から味われるあの一種の特別な気圧層を私は無視しています。私は生活的断崖の絶端をゆきながら、内部に充ちてくる或る不可言の鬱積物を言語造型によって放電せざるを得ない衝動をうけるのです。このものは彫刻絵画の本質とは全く違った方向の本質を持っていて、現在の芸術中で一ばん近いものを探せば、恐らく音楽だろうと考えますが、不幸にして私は音楽の世界を寸毫も自分のものにしていないので、これはどうすることも出来ず、やむなく言語による発散放出に一切をかけている次第です。実は言語の持つ意味が邪魔になって、前に述べた鬱積物の真の真なるところが本当は出しにくいのです。バッハのコンチェルトなどをきいてひどくその無意味性をうらやましく思うのです。言語による以上、言語の持つ意味を回避するのは言語に対する遊戯に陥る道と考えるので、その意味をむしろ媒体として、その媒体によって放電作用を行うというわけです。それからさきの方法と技術と、その結果としての形式と、その発源としての感覚領域とについては今なおいろいろと研鑽中の始末で、これが又、日本語という特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので、なかなか生半可な考え方に落ちつくわけにゆきません。ともかく私は今いわゆる刀刃上をゆく者の境地にいて自分だけの詩を体当り的に書いていますが、その方式については全く暗中摸索という外ありません。いつになったらはっきりした所謂詩学が持てるか、そしてそれを原則的の意味で人に語り得るか、正直のところ分りません。
 私は以上のような者であり、又以上のような場に居ます。これで今私が詩について書けないといういわれを書いたことになるでしょうか。ともかくもこの通りです。

高村光太郎
「昭和文学全集第四巻」所収

日の子

    Ⅰ

僕はこれが美しいと一生言へぬかもしれない
愛するものも愛すると言へなくて仕舞ふかもしれない
有難いといふことも有難いと言へなくて仕舞ふかもしれない
それで僕の一生が終るかもしれない

    Ⅱ

ああしかし見えた、見えた
空中のうつくしい光が
あれあれ誕生だ、産聲だ
石も動く
木も物いふ
死顏した月に紅がさして
日になる日になる
目をくりくりさせる
鳥がさへづる
木がものいふ
闇をふき消す
世が新たになる

    Ⅲ

あれあれ
光がふえてゆく、力が増してゆく
ふらふら昇つて
落ちさうで落ちない
日は空中を昇つてゆく
だんだん呼吸をはずまして
勢ひ込んで昇つてゆく

    Ⅳ

ああこの中に吾が愛子よ
ああこの中に吾が愛子よ
お前はまじまじ何を見てゐる
お前はおどおど何を怖がつてゐる
自然はいつでもいちやついてゐる
自然はいつでもとりとめなく生きてゆく
けれども其處にまことの彼があるのだ
それに逆つて泣いててはいけない
泣顏あらはに進んでゆけ
泣きの涙でもよい進んでゆけ
恐怖を歡喜にかへて胸ををどらせろ
深く深く自然を愛しながら進め
ますます勇氣を振ひ起して進め
お前は日の子だ
冬が來ても決していぢけない
科學もいいもので文明もいいものだ
自然はいつでも宏量で
いつでも機嫌よくわけてくれる
自然は人間を可愛がつてゐる
わけ隔てなく誰へも彼れへもわけてくれる
決して自然を僕等が征服するの何のと大きな口をきくな
そんなことをいふから人間は墮落する
自分で自分の舌を噛んでゐる
永い事、永いこと怖い夢を見て暮らしてゐる
悲しくつらい所をたどつてゐる

    Ⅴ

私の愛子よ
日の子の一人よ
人間は皆墮落して
闇い嘆きの根を地におろしてゐる
またそれだけ枝葉を高く茂らしてゐる
しみじみとまがりくねつて生きてゐる
恐しい夢にうなされながら
地獄の鐘をたたいてゐる

    Ⅵ

それだけ闇を吹消す愛がいるのだ
それだけ愛の清水が涌かねばならない
闇の業火を淨めなければならない
はやく出れば出る程よく
はやく迸れば迸る程よい
強く光つていやな光を吹消すのだ
お前の力でお前の生命から
強く烈しい白光を放すのだ

    Ⅶ

それがライフの力だ
お前の愛の力だ
どこまで行つても果しなく光れ
世界は決して闇くない
ただ人々の光が足りないのだ
お前は日の子だ
自然兒だ
また文明兒だ
自然が血をわけて育てたいとし子だ
かくし子だ
自然を愛するものに
自然はどこまでも力をくれる
味つても味ひきれない程
深い生命をくれる
まことの力を感じ
まことの涙をながし
まことの底に突き當り
まことの生命に生きろ
そのほかお前に何も言ふことはない
沈默だ

福士幸次郎
太陽の子」所収
1914

塵塚

隣の家の穀倉の裏手に
臭い塵溜が蒸されたにほひ、
塵溜のうちにはこもる
いろいろの芥の臭み、
梅雨晴れの夕をながれ漂つて
空はかつかと爛れてる。
塵溜の中には動く稲の虫、浮蛾の卵、
また土を食む蚯蚓らが頭を抬げ、
徳利壜の虧片や紙の切れはしが腐れ蒸されて
小さい蚊は喚きながら飛んでゆく。

そこにも絶えぬ苦しみの世界があつて
呻くもの死するもの、秒刻に
かぎりも知れぬ命の苦悶を現じ、
闘つてゆく悲哀がさもあるらしく、
をりをりは悪臭まじる虫螻の
種々のをたけび、泣声もきかれる。

その泣声はどこまでも強い力で
重い空気を顫はして、また軈て、
暗くなる夕の底に消え沈む。
惨しい「運命」はたゞ悲しく
いく日いく夜もこゝにきて手辛く襲ふ。
塵溜の重い悲しみを訴へて
蚊は群つてまた喚く。

川路柳虹
1907

地を掘る人達に

地を掘る君等
重い大きい鶴嘴を地面のなかに打込む君等、
汗する君等、
満身の力を一本の鶴嘴に籠める君等、
おお君等の足下に何と地面が掘り下げられてゆくよ。

君の一枚の襯衣は汗にまみれている、
君の頭髪はべったりと額に垂れている、
しかし君の雙腕には血に充ちた力瘤の隆起がある、
君の眼は鋭く、そして不断に愛に燃えている――まことに君等ほど純粋の友情に生きるものはない、
君等ほど愛に飢え、愛に充されているものはない、
あらゆるものが君等の掌のなかに真実の感動と歓びを経験する、
君等の胸には熱した血とゆたかな逞しい骨肉とが豊饒な土地のようにひろがっている、
君等の胸はあらゆるものに開かれている、
君等の胸はあらゆる健全な女性のものを受けることが出来る、
君等の力は何者をも貫き通す、
何者にも打勝ち、何者をも怖れない。

地を掘る君等、
君等の鶴嘴は鉄でつくられている、
君等の鶴嘴はどんなものでも粉砕しつくすだろう、
あらゆる偶像、あらゆる根柢なき信仰を打破るだろう、
あらゆる君等の行手の障害を突き破るだろう、
君等は何人にも使役されず、また何人にも犯されない、
君等は個人である、そして君等は一緒である、
君達の力が君達を活かす、
君達の自由と、君達の権利と、君達の平等の愛のために奮闘せよ。

地を掘れ君達!
地を掘れ君達!
地面は君達の前に宏大だ、
君達の下に無限だ、
君達の鶴嘴が君達を光の方に導くだろう、
未来の国の方に導くだろう、
「実現」の方に導くだろう、
地を掘れ君達、
やがて君達は掘りゆく土地の底から君達の太陽を見出すだろう、
真実の光は君達を待っている、
君達の鶴嘴がその暗い戸を打毀す時を待っている、
光は君達を待っている、
光は君達を思慕している。

百田宗治
「ぬかるみの街道」所収
1918

卵のかげ

みんなのこえが天にのぼるのだが
みんなのかなしみが雲になるのだが
みんなの夢は風になるのだが───
 
天は光がまぶしくて
かんがえることもできはしない
どこまでふかれてゆけばよいのかしら
いつまで待っても
返事がこないのだよ どこからも
 
みしらぬ砂漠に小さな花が咲いていて
どこかの海辺にくらげたちが遊んでいるばかり
 
時間の中で月が小さくなってゆくのだ
空間の奥で太陽も消えてなくなるのだ
 
卵のかげみたいに うす青く
地球のかげが
虚無にうつっているのは美しいな

蔵原伸二郎
詩誌「雑草」初出
1951

夜の花をもつ少女と私

眠い――
夜の花の香りに私はすつかり疲れてしまつた

 ××
 これから夢です

 もうとうに舞台も出来てゐる
 役者もそろつてゐる
 あとはベルさえなれば直ぐにも初まるのです

 ベルをならすのは誰れです
 ××

夜の花をもつ少女の登場で
私は山高をかるくかぶつて相手役です

少女は静かに私に歩み寄ります
そして

そつと私の肩に手をかける少女と共に
私は眠り――かけるのです

そして次第に夜の花の数がましてくる

尾形亀之助
色ガラスの街」所収
1925

秋の終わり

君はいつも無口のつぐみどり
わかきそなたはつぐみどり
われひとりのみに
もの思はせて
いまごろはやすみいりしか
夜夜冷えまさり啼くむしは
わが身のあたり水を噴く
ああ その水さへも凍りて
ふたつに割れし石の音
あをあをと磧のあなたに起る
幾日逢はぬかしらねど
なんといふ恋ひしさぞ

室生犀星
抒情小曲集」所収
1918

父上のおん手の詩

そうだ
父の手は手といふよりも寧ろ大きな馬鋤だ
合掌することもなければ
無論他人のものを盜掠めることも知らない手
生れたままの百姓の手
まるで地べたの中からでも掘りだした木の根つこのやうな手だ
人間のこれがまことの手であるか
ひとは自分の父を馬鹿だといふ
ひとは自分の父を聖人だといふ
なんでもいい
唯その父の手をおもふと自分の胸は一ぱいになる
その手をみると自分はなみだで洗ひたくなる
然しその手は自分を力強くする
この手が母を抱擁めたのだ
そこから自分はでてきたのだ
此處からは遠い遠い山の麓のふるさとに
いまもその手は骨と皮ばかりになつて
猶もこの寒天の痩せた畑地を耕作してゐる
ああ自分は何にも言はない
自分はその土だらけの手をとつて押し戴き
此處ではるかにその手に熱い接吻をしてゐる

山村暮鳥
風は草木にささやいた」所収
1918

夢からさめて

この夜更に、わたしの眠をさましたものは何の気配か。
硝子窓の向ふに、あゝ今夜も耳原御陵の丘の斜面で
火が燃えてゐる。そして それを見てゐるわたしの胸が
何故とも知らずひどく動悸うつのを感ずる。何故とも知らず?
さうだ、わたしは今夢をみてゐたのだ、故里の吾古家のことを。
ひと住まぬ大き家の戸をあけ放ち、前栽に面した座敷に坐り
独りでわたしは酒をのんでゐたのだ。夕陽は深く廂に射込んで、
それは現の日でみたどの夕影よりも美しかつた、何の表情もないその冷たさ、透明さ。
そして庭には白い木の花が、夕陽の中に咲いてゐた
わが幼時の思ひ出の取縋る術もないほどに端然と……。
あゝこのわたしの夢を覚したのは、さうだ、あの怪しく獣めく
御陵の夜鳥の叫びではなかつたのだ。それは夢の中でさへ
わたしがうたつてゐた一つの歌の悲しみだ。

かしこに母は坐したまふ
紺碧の空の下
春のキラめく雪渓に
枯枝を張りし一本の
木高き梢
あゝその上にぞ
わが母の坐し給ふ見ゆ

伊東静雄
詩集夏花」所収
1940

しなびた船

海がある、
お前の手のひらの海がある。
苺の実の汁を吸ひながら、
わたしはよろける。
わたしはお前の手のなかへ捲きこまれる。
逼塞した息はお腹の上へ墓標をたてようとする。
灰色の謀叛よ、お前の魂を火皿の心にささげて、
清浄に、安らかに伝道のために死なうではないか。

大手拓次
藍色の蟇」所収
1936