Category archives: Chronology

言葉

私は言葉を「物」として選ばなくてはならない。
それは最もすくなく語られて
深く天然のように含蓄を持ち、
それ自身の内から花と咲いて、
私をめぐる運命のへりで
暗い甘く熟すようでなくてはならない。

それがいつでも百の経験の
ただひとつの要約でなくては ――
一滴の水の雫が
あらゆる露点の実りであり、
夕暮の一点の赤い火が
世界の夜であるように。

そうしたら私の詩は、
まったく新鮮な事物のように、
私の思い出から遠く放たれて、
朝の野の鎌として、
春のみずうみの氷として、
それ自身の記憶からとつぜん歌を始めるだろう。

尾崎喜八
「行人の歌」所収
1940

フィアンセ

赤城駅というのが終点。
家の近くに
<この人>がむかし泳いだ川があって
とてもいいところだった。
お母さんと一緒に
おうちの人に挨拶してきた。
式は──キリスト教で、
と君はいった。

<この人>は赤い顔をしていたが、
詩のはなしになると
すぐに夢中になった。
深大寺では
風車を買い、
君は風で風車がよくまわるのを
ふしぎがっていた。

ボヘミアに行ってみたい、と言い、
おでんをたべたい、と言い
時間がない、と言いあい、
借りてきた大きな自動車は
<君の運転では>
木洩れ陽の林の中を
ぐるっと廻っただけで
人生のように重そうで。

──ここから
どこに行くのか。
レースのついた
子どもっぽい服がまだ似合う
小さなフィアンセ。
もうじき、
君らのオルガンを鳴らす
秋がくる──。

菅原克己
菅原克己全詩集」所収
1988

うるはしき傀儡なれど

うるはしき傀儡なれど
みにくかる生存なれど
わが右手の脈搏を相應く亂調せしめ
わが小むねの赤き血汐を溷濁せしめ
わが青春の光ある肌膚を窘蹙せしめ
つひにわが肉體より
力と美とを驅り落し
すべて
まことわが心を壓死せしむ

うるはしき傀儡なれど

日夏耿之介
轉身の頌」所収
1917

夜の停留所

室内楽はピタリとやんだ
終曲のつよい熱情とやさしみの残響
いつのまにか
おれは聴き入っていたらしい
だいぶして
楽器を取りかたづけるかすかな物音
なにかに絃のふれる音
そして少女の影が三四大きくゆれて
ゆっくり一つ一つ窓をおろし
それらのすがたは窓のうちに
しばらくは動いているのが見える
と不意に燈がいちどに消える
あとは身にしみるように静かな
ただくらい学園の一角
ああ無邪気な浄福よ
目には消えていまはいっそうあかるくなった
窓の影絵に
そっとおれは呼びかける
おやすみ

伊東静雄
反響以後」所収
1953

あけがたにくる人よ

あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか
あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたに来る人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ

永瀬清子
あけがたにくる人よ」所収
1987

雲の信号

あゝいゝな せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる

宮沢賢治
春と修羅」所収
1922

昨日四石ひいたら
奴今日五石ふんづけやがった
今日正直に五石ひいたら
奴 明日は六石積むに違ひねい
おら坂へ行ったら
死んだって生きたってかまはねい
すべったふりして
ねころんでやるベイ
そしたら橇がてんぷくして
橇にとっぴしゃがれて
ふんぐたばるべ

おれが口きかないともつて
畜生
明日はきっとやってやる

猪狩満直
「弾道」初出
1930

火を焚きなさい

山に夕闇がせまる
子供達よ
ほら もう夜が背中まできている
火を焚きなさい
お前達の心残りの遊びをやめて
大昔の心にかえり
火を焚きなさい
風呂場には 充分な薪が用意してある
よく乾いたもの 少しは湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に火を焚きなさい

少しくらい煙たくたって仕方ない
がまんして しっかり火を燃やしなさい
やがて調子が出てくると
ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が
いっしんに燃え立つだろう
そうしたら じっとその火を見詰めなさい
いつのまにか —
背後から 夜がお前をすっぽりつつんでいる
夜がすっぽりとお前をつつんだ時こそ
不思議の時
火が 永遠の物語を始める時なのだ

それは
眠る前に母さんが読んでくれた本の中の物語じゃなく
父さんの自慢話のようじゃなく
テレビで見れるものでもない
お前達自身が お前達自身の裸の眼と耳と心で聴く
お前達自身の 不思議の物語なのだよ
注意深く ていねいに
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つように
けれどもあまりぼうぼう燃えないように
静かな気持で 火を焚きなさい

人間は
火を焚く動物だった
だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ
火を焚きなさい
人間の原初の火を焚きなさい
やがてお前達が大きくなって 虚栄の市へと出かけて行き
必要なものと 必要でないものの見分けがつかなくなり
自分の価値を見失ってしまった時
きっとお前達は 思い出すだろう
すっぽりと夜につつまれて
オレンジ色の神秘の炎を見詰めた日々のことを

山に夕闇がせまる
子供達よ
もう夜が背中まできている
この日はもう充分に遊んだ
遊びをやめて お前達の火にとりかかりなさい
小屋には薪が充分に用意してある
火を焚きなさい
よく乾いたもの 少し湿り気のあるもの
太いもの 細いもの
よく選んで 上手に組み立て
火を焚きなさい
火がいっしんに燃え立つようになったら
そのオレンジ色の炎の奥の
金色の神殿から聴こえてくる
お前達自身の 昔と今と未来の不思議の物語に 耳を傾けなさい

山尾三省
びろう葉帽子の下で 山尾三省詩集」所収
1993

夏花の歌

  その一

空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
小川の水面に かげをおとす
水の底には ひとつの魚が
身をくねらせて 日に光る

それはあの日の夏のこと!
いつの日にか もう返らない夢のひととき
黙つた僕らは 足に藻草をからませて
ふたつの影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた

……小川の水のせせらぎは
けふもあの日とかはらずに
風にさやさや ささやいてゐる

あの日のをとめのほほゑみは
なぜだか 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 横顔ばかり

  その二

あの日たち 羊飼ひと娘のやうに
たのしくばつかり過ぎつつあつた
何のかはつた出来事もなしに
何のあたらしい悔ゐもなしに

あの日たち とけない謎のやうな
ほほゑみが かはらぬ愛を誓つてゐた
薊の花やゆふすげにいりまじり
稚い いい夢がゐた――いつのことか!

どうぞ もう一度 帰つておくれ
青い雲のながれてゐた日
あの昼の星のちらついてゐた日……

あの日たち あの日たち 帰つておくれ
僕は 大きくなつた 溢れるまでに
僕は かなしみ顫へてゐる

立原道造
萱草に寄す」所収
1937

妄語

びおろんの胴の空間
孕める牝牛の蹄

眞實なるものには、すべて
或る一種の憂鬱がある。

くちつけのあとのとれもろ
麥の芽の青

またその色は藍で
金石のてざはり

ぶらさがつた女のあし
茶褐で雪の性

土龍の毛のさみしい銀鼠
黄の眩暈、ざんげの星

まふゆの空の飛行機
枯れ枝にとまつた眼つかち鴉。

山村暮鳥
聖三陵玻璃
1915