家に一匹の秋の虫が住み着いたらしかった。
五日ほど前から、かすかな鈴の音が聞こえてくる。
最初、仕事で原稿を書いていてその音に気がついた。
り り り り り
規則正しく、金の茶碗を叩いているような、そんな音だった。
どこか外から聞こえてくるのだろうと思っていた。
二階で仕事をして、喉が渇いたので台所に水を飲みに来た。
あの音が、なんだか家の中から聞こえるような気がした。
玄関のあたりで、鳴いているようだ。
見つけようとしたけれど、姿は見えなかった。
翌日も、鳴いている。
鳴きながら家の中をゆっくりと移動しているらしい。
その日は風呂場の方で聞こえた。
その翌日は、二階の天井の方から聞こえる。
仕事をしているとすぐ近くで鳴いているのがわかる。
うんと耳を澄ませて、声のする方を探してみた。
窓のカーテンレールに隠れるようにして、
三センチほどの小さな虫がいた。
双眼鏡で眺めてみると、羽をこすりあわせて鳴いている。
り り り り り
昨日あたりから、一階の居間に移動したようだ。
こたつのある居間のどこかで鳴いている。
冬に近くなると一階は寒いので、私は日当たりのよい二階にばかりいる。
猫も帰ってくるなり二階に飛んでいく。二階は夜になっても暖かい。
虫も二階にいればよかったのに、と思った。
今日、居間で一人でテレビを見ながら夕食を食べていると、
あの、虫が、鳴いていた。
今日あたりは、ひどく弱った声で、緩慢にか細く鳴いている。
り り り り り
めっきり寒くなった。
虫はもうすぐ死ぬのだろうなあ、と思った。
その、虫の鳴き声は、なんだか、切なくて、
私は「虫の息」という言葉を思い出した。
鳴き声は、声という威勢を失って、
確かに「息」のようにか細くなっていた。
り り り り り
羽を合わせる力もないでいるのだ。
一人で薄暗い和室の居間にいたら、
なんだか急に怖くなった。
いま、この部屋に いるのは 私と
もうすぐ死んでいく 虫だけなのだと思った
そして、私は、虫の息が絶えるのを、こうして見送るのだろうか
とぎれとぎれになっていくその声が
どうしても 耳を離れなくなって 恐ろしくて
私は 二階に上がってベランダに出てみた
外は秋の雨
この雨の下で、どんなに多くの小さな生き物たちが命絶えているのだろう。
海の向こうに、冬が黒いマントを広げて 立っていた。
田口ランディ
「オカルト」所収
2001