Category archives: Chronology

 どこへいつても、石よ。
君がころがつてない所はない。
青い扁豆、丸い砂礫。
どれも、初対面ではなささうな。

土ぼこりで白い雑草の根方、
電柱や、道標の周りに、垣添ひに、
車輛にふまれ、荷馬の蹄にはじかれ、
靴底にふまれ、下駄にかつとばされ、
だが、誰もこころに止めないのだ。
君を邪険にあつかつたこと、君がゐることさへも。
たまさか、君を拾ひあげるものがあつても、
それは、気まぐれに遠くへ投げるためだ。

君のやうなもののことを、支那では、
黎民とよび、黔首と名づけた。
石よ。君は、黙々として、
世紀から世紀へ、なにを待つてゐる?

君がみてゐるのは、どつちの方角だ?
石は答へない。だが、私は知つてゐる。
この地上からがらくたいつさいが亡びた一番あとまで、
のこつてゐるのが君だといふことを。

金子光晴
大腐爛頌」所収
1960

春の美しい一日

 春の美しい一日はたしかにある。暗い暗い人世に於いてすら、たしかにそんなものはあつた。
 不思議なことに、それを憶ひ出すのは一つの纏つた絵としてである。私について云へば、額縁に嵌められた、春の野山の風景がある。霞んだ空と紫色の山と緑の道路とが、中学生の頭に一つの苦悩にまで訴へて、過ぎ去つた瞬間を追求させた。するとたしかに窓枠が浮んで来た。その窓のほとりで子供の私が悲んでゐた。四月の美しい空を眺めて、その日が過ぎて行かうとするのを恍惚としてゐた。何が一体恍惚に価したかと云へば、その日は桃の節句で、小さな玩具の鍋と七輪で姉が牛肉のきれつぱしを焚いて、焚けると云つて喜んでゐた。しかし、私の頭にはもつと何か美しいものが一杯とその日には満ちてゐた。美しいものとは何か、それは結局何でもないことにちがひない。
 今にして、私は昼寝して、空が真青だ、あんな真青な空に化したいと号泣する夢をみる。荒涼とした浮世に於ける、つらい暗い生活が私にもある。しかし、人生のこと何がはたして夢以上に切実であるか。春の美しい一日はたしかにある。

原民喜
原民喜全詩集」所収
1936

路上偶成

あと ひと息のところで
カタとおち
遮断機が 行手に大手をひろげた

まのあたり 月を載せ
――清水に流した素麺、いな
あの白ぬきの縞がらを いくすぢの線路が織る

とつぜん
ざあつとひかりを わたしに浴びせかけ
光り虫が いくつか
断続しながら わがまへを過ぎた

佇んで しばし
わたしは半生の行路にして
いくたび わたしを阻んだ
あの眼にみえぬ遮断機を かたどる

眼前咫尺まで おびきよせて遮り
故意に拒むやうな 依怙地な仕打をなしたもの

通りすぎるまでの ぎりぎりの
結着を待つて 暖かに 降ろされたもの

一歩は踏みこませ またひき戻させたもの
半ば歩ませ 半ばは駈歩に 急きたてたもの
はてしなく 待ち草臥れさせたもの
まち草臥れさせて 傍の
跨線橋に追ひやつてから すぐと展いたもの

いま一歩にして
みつけた伴侶を 見失はせたもの
それに
それから……

高祖保
「独楽」所収
1945

何かとしかいえないもの

それは日曜の朝のなかにある。
それは雨の日と月曜日のなかにある。
火曜と水曜と木曜と、そして
金曜の夜と土曜の夜のなかにある。

それは街の人混みの沈黙のなかにある。
悲しみのような疲労のなかにある。
雲と石のあいだの風景のなかにある。
おおきな木のおおきな影のなかにある。

何かとしかいえないものがある。
黙って、一杯の熱いコーヒーを飲みほすんだ。
それから、コーヒーをもう一杯。
それはきっと二杯めのコーヒーのなかにある。

長田弘
食卓一期一会」所収
1987

貧しい町

一日働いて帰ってくる。
家の近くのお総菜屋の店先は
客もとだえて
売れ残りのてんぷらなどが
棚の上に まばらに残っている。

そのように
私の手もとにも
自分の時間、が少しばかり
残されている。
疲れた 元気のない時間、
熱のさめたてんぷらのような時間。

お総菜屋の家族は
今日も店の売れ残りで
夕食の膳をかこむ。
私もくたぶれた時間を食べて
自分の糧にする。

それにしても
私の売り渡した
一日のうち最も良い部分、
生きのいい時間、
それらを買って行った昼間の客は
今頃どうしているだろう。
町はすっかり夜である。

石垣りん
表札など」所収
1968

黄金分割

重大な責任をとった
というときに
重大でない部分は
各自の責任に
移される
そこからかろうじて一歩を
踏み出さねばならぬ
われらをうごかしたのは
いわば運命であり
国家もまた運命である だが
運命もまた
信ずべきなにかである
だまされた で
すむはずはない
信じ切った部分と
見捨てられた部分
もはや信じえない部分とを
詩人であるかぎり
整合しなければならないのだ
黄金の分割のために

石原吉郎
「足利」所収
1977

遠い国の船つきでおれは五年も暮らしてきた
おれはいつでも独りぼつちでさびしい窓にぼんやりもたれて暮してゐたのだ
ああそのながい間ぢゆうおれは何を見てゐただらう
鴉 鴉 鴉 あのいんきな鬱陶しい仲間たち
今日も思ひ出すのは奴らのことばかりだ
あのがつがつとした奴らが明け暮れ辺鄙な空にまかれて
漁船のうかんだ海の上まであいつらが空をひつかきまはした
朝焼けにも夕焼けにも
せつかく絵具をぬりたてた
そこいらぢゆうの風景をめちやめちやにして
あいつらは火事場泥棒のやうにさわぎまはつた
何といふがさつな浅ましい奴らだらう
朝つぱらのしののめから
奴らはせつせと遠くの方まで出かけていつた
さうしてそこらの砂浜で何だかごたごた腐つたさかなの頭なんかを
頬ばつたりひろひこんだり
あくびをしたり喧嘩をしたりさ
それから小首をかしげたり
さうして都会の小僧どもが日暮れの自転車をふむやうに
奴らはせかせか羽ばたきをして
後から後から後から 海を渡つてもどつてきたものだ
けれどもどうだらう
これから後五百万年も きつと奴らは滅びることはないだらう
そんな苦しい考へから
おれはいつもひとりで結局ふさぎこんでしまつたものだ
おまけに今日は東京銀座の四つ辻で
外でもないおれはまたあいつらのことを思ひだしてゐるのだ
何といふわびしい追想だらう
笑つてやれ!
ここではお洒落なハンド・バッグが何だかあいつらのまねをして
この日の暮れのうすぼんやりした海の上をせかせか羽ばたくからだらう

三好達治
駱駝の瘤にまたがつて」所収
1952

ウラルの狼の直系として─自由詩型否定論者に与ふ─

お前詩人よ
己れの才能に就いての
おもひあがり共よ
天才主義者よ
腹いつぱい糞尿のつまつて立つた胴体よ、
君等の詩は立派すぎる
おゝ、りつぱとは下手な詩を書くことだ、
私は才能などといふものを
君たちのやうに盲信しないから
君たちのやうな立派な下手さで詩をかゝない
真実を語るといふことに
技術がいるなどとは
なんといふ首をくくつてしまふに
値する程の不自由な悲しさだらう、
すばらしいことは近来
人間たちがどうやら
苦しみと喜びの実感を歌ひだしたことだ、
悪魔は腹を抱へて笑つてゐる
日本の詩人もどうやら
地獄に墜ちる資格ができた――と
フレー、フレー日本の詩人、
醜態をいち早く現はしたものが
詩人としての勝だ
私は醜態を
真先にさらけ出してそして勝つた、
気取り屋と、嘘吐きと、こけおどかしと、
頭も尻尾もない散文詩型から
足をちよつと出してみたり
手を一寸だしてみたり
そのうごき廻る格好は
アミーバそつくり
そもそもこれらの
蟻地獄の詩型の苦しみは
散文へのナガシメから出発した、
私のやうに極度に
馬鹿な頭で
単純な苦痛の訴へ手は
智識の複雑な方々には
到底お気に召すまい
おゝ、才能あるもろもろの詩人よ、
醜態と過失を
永久に犯すことを怖れてゐる神よりも
王よりも立派な人たちよ、
すべてこれらの人々の言はれることは立派である
配列よく、位置よく、
おどろくべきは
動乱と激動の渦中にあつて
自由詩を軽蔑なさる、
そして新律格、新韻律の詩型とやらを
つくると宣言する、
私は諸君のやうに
詩と散文の雑種ではない、
私は自由詩の純粋種だ
つまりウラルの狼の直系さ
詩型の秩序と韻の反覆は
当分あなたにおまかせしよう。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935

構造

 よろこびは いかなる日にあったか。あるいは苦しみが。よろこびと苦しみの その構造を除いて。いかなる自由においてえらばれたにせよ えらばれたのは自由でも 苦悩でもなく つねにその構造であったということを。語りつがれたものはその構造でしかなく 構造をうながしたものは 永久に訪ねるもののない原点として残りつづけたし 残りつづけるのだということを 一度だけは確認する必要があるだろう。
 ゆえに 語りつがれなければならないのはつねに それを強いた構造ではなく それが強いられた構造である。しいられた果てを おのれにしいて行く さらに内側の構造である。
 その構造において 構造をそのままに おのれにしいる静寂があったということを およそ語りつぐものは一人であり 語りつがれるものもまた一人である。
 われらが構造にやすんじあえるのは まさにそのゆえである。

石原吉郎
「禮節」所収
1974

僕は君が生れた時

僕は君が生れた時隣りの部屋で
夢中になつて君の母の苦しみを聞きながら原稿を書ゐていた
だつて僕はその時金が一文もなかつたからさ
僕は原稿を書き終へたら君は生れた
僕は原稿をポストへ入れに出ながら
わななく心を押へながら上野にゐる友達に金を借りに行つた
僕はアーク灯のぼんやりした公園の森の中を
声高々と歌を歌つて歩いて行つた
自然に僕は歌つてゐたのだ
僕は自分に氣がついてからも歌つた
僕は愉快でならなかつた
友は金と一緒におむつとタオルを渡してくれた
みな玄関に出て僕を見つめてゐた
僕は皆の顔を見て笑つた
僕はその金でどつさり思い切つて果物を買つて
君の母の所へ歸つて来た
だが 君は生れて
父の生れた土地へも行かない
母の生れた土地へも行かない
両方とも僕達をきらつてゐるのさ
僕はどつちへも通知しない
然しそんな事が何んだ
君はここの所から出発すればいいんだ
何者も怖れるな
勇敢なるかつ誠実なる戦ひの旗を
僕は死ぬまで君のために振るよ。

萩原恭次郎
断片」所収
1931