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ことば

草をみれば、
草というだけだ。

ことばは、
表現ではない。

この世の本のなかには
空白のページがある。

何も書かれていない
無名のページ。

春の水辺。夏の道。
秋の雲。冬の木立。

ことばが静かに
そこにひろがっている。

日差しが静かに
そこにひろがっている。

何もない。
何も隠されていない。

長田弘
世界は一冊の本」所収
1994

眠りにつくとき
満潮のようにひたひたと胸を圧してくるものはないか
たとえば くらい獣のような思いはないか
そしてまとまりもつながりもないことを思っていると
頬を濡らしてくる熱いものはないか

おまえたちが眠りにつくとき
まぶたの上でかたはなされた山鳩が鳴きはしないか
ほろほろと──
おまえたちはそれをききながら眠りにおちていくのだろうか

高木護
「夕焼け」所収
1965

よもぎ摘み

戦争へ行つたまま四年になるのに
良人はまだ帰つてゐなかつた

彼女はその日よもぎを摘みに出た
一番末の子をおんぶして

八つの姉娘と五つの子は家で
絵本を見て乏しい昼餉を待つてゐた

よもぎは線路の近くに随分あつた
彼女が時を忘れるほど

電車の音がしたとき
彼女が線路を避けたとき

そのとき彼女は足元に蛇を見た
思はずとびのき彼女の頭は電車にふれた

頭をくだいて彼女は死んだ
あたりの山に青葉噴く五月のまひる。

杉山平一
声を限りに」所収
1967

サンタクロースのハンバーガー

玉葱をみじんに切ると、
涙がこぼれた。
挽き肉と卵に玉葱と涙をくわえ、
牛乳にひたしたパンを絞ってほぐした。
粘りがでるまでにつよく混ぜあわせる。
できた塊は三ツに分けた。
深いフライパンでじっくりと焼いた。
柔らかなパンを裂いてハンバーグをはさんだ。
これでよし。
それから火酒を一壜わすれちゃいけない。
世界はひどく寒いのだから。
今夜はどこで一休みできるだろう。
アルバータで一ど、トーキョーで一ど、
ハイファで一どは休めるだろう。
髭のニコラス老人は立ちあがった。
老人は、まだ
一どもクリスマス・ディナーを食べたことがない。
クリスマスはいつも手製のハンバーガー。
とにかく一晩で世界を廻らねばならない。
夜っぴて誰もが夢の配達を待っている。
年に一ど、とはいえきつい仕事である。
夢ってやつは、溜息が出るほど重いのだ。

長田弘
食卓一期一会
1987

儀式

母親は
白い割烹着の紐をうしろで結び
板敷の台所におりて
流しの前に娘を連れてゆくがいい。

洗い桶に
木の香のする新しいまないたを渡し
鰹でも
鯛でも
鰈でも
よい。
丸ごと一匹の姿をのせ
よく研いだ庖丁をしっかり握りしめて
力を手もとに集め
頭をブスリと落すことから
教えなければならない。
その骨の手応えを
血のぬめりを
成長した女に伝えるのが母の役目だ。

パッケージされた肉の片々を材料と呼び
料理は愛情です、
などとやさしく諭すまえに。
長い間
私たちがどうやって生きてきたか。
どうやってこれから生きてゆくか。

石垣りん
略歴」所収
1979

呂律

ふるい革袋に あたらしい酒
あたらしい革袋に ふるい酒

あるひは 古い革袋にふるい酒
あるひは あたらしい革袋に あたらしい酒

高祖保
」所収
1942

稲妻

くらい よる
ひとりで 稲妻をみた
そして いそいで ペンをとった
わたしのうちにも
いなずまに似た ひらめきがあるとおもったので
しかし だめでした
わたしは たまらなく
歯をくいしばって つっぷしてしまった

八木重吉
秋の瞳」所収
1925

母に

畳のうえに ひっそりとすわって
やがてくる季節のふとんをひろげるあなた
山椒の若芽をすりつぶし
食卓のやさしいにおいのなかで
ふと のめないビールをのんでみるあなた
(海のなかにいるお母さん)
(お母さんのなかにいる海)

水のように のみこみ あふれ
港のように しずかになって
闇にさまよう気まぐれな小舟を迎える
あなたほどの大きなゆるしが いつか
わたしたちにも もてるのでしょうか
うしろ姿にばかり わたしは目を伏せて
花束をそっとここに置きます
昔からの母たちの祈りによって咲いた花束を
子が母に 母が祖母にと育ちながら
一つの花束をリンネのように たらい回しに
子が母に 母が祖母にと贈って
やがてそれは遠い美しいふるさとに向って
かすんでゆきます

吉原幸子
「魚たち・犬たち・少女たち」所収
1975

視線

こっちを見てほしくて
待って 待っていたのに

やっとこっちを向いてくれたのに

なぜか スーッと
わたしだけをとばして
視線はうごいてゆく

杉山平一
木の間がくれ」所収
1987