僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
高村光太郎
「道程」所収
1914
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパァズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑う
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
こういう命の瀬戸ぎわに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたような深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置こう
高村光太郎
「智恵子抄」所収
1941
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国はこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の目は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまえてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺大の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。
高村光太郎
1928
心は 歌は 渇いている 私は 人を待っている
私の心は 貧しきひとを 私の歌は 歓びを
もの欲しい不吉な影を曳き 私は索めさまよっている
千の言葉をよびながら 見かえりながら歌っている
獣のように 重くまた軽く 私はひとり歩いている
日はいつまでも暮れないのに 私はとおくに
不幸な穉いこころを抱き 私は求め追うている
口ぜわしく歌いながら 繰り返しながら呼んでいる
雪は 道は 乾いてしまった 私は人を呼んでいる・・・・・・・
それは来るかしら それは来るだろう いつかも
くらい窓にたたずんで 私は 人をたずねていた
だあれも答えない 誰も笑わない 私はひとり歩いている
最後の家の所まで 私はとおくに 日はいつまでも暮れないのに
私はひとり歩いている 私はとおくに歩いている
立原道造
「立原道造詩集」所収
1939
きょうのうちに
とおくへいってしまうわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまえがたべるあめゆきをとろうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのように
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛色の暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといういまごろになって
わたくしをいっしょうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまえはわたくしにたのんだのだ
ありがとうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあいだから
おまえはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽 気圏などどよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを・・・・・・・・
・・・・・ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまっている
わたくしはそのうえにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとおるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていこう
わたしたちがいっしょにそだってきたあいだ
みなれたちゃわんのこの藍のもようにも
もうきょうおまえはわかれてしまう
(Ora ora de shitori egumo)
ほんとうにきょうおまえはわかれてしまう
あああのとざされた病室の
くらいびょうぶやかやのなかに
やさしくあおじろく燃えている
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらぼうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりゃのごとばがりで
くるしまなぁよにうまれでくる)
おまえがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが兜率の天の食に変わって
やがてはおまえとみんなとに
聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう
宮沢賢治
「春と修羅」所収
1922
泣くな、
驚ろくな、
わが馬よ。
私は蹄鉄屋。
私はお前の蹄から
生々しい煙をたてる、
私の仕事は残酷だろうか。
若い馬よ、
少年よ、
私はお前の爪に
真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。
そしてわたしは働き歌をうたいながら、
──辛抱しておくれ、
すぐその鉄は冷えて
お前の足のものになるだろう、
お前の爪の鎧になるだろう、
お前はもうどんな茨の上でも
石ころ路でも
どんどんと駆け廻れるだろうと──、
私はお前を慰めながら
トッテンカンと蹄鉄うち。
ああ、わが馬よ、
友達よ、
私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ。
私の歌はぞんざいだろう、
私の歌は甘くないだろう、
お前の苦痛に答えるために、
私の歌は
苦しみの歌だ。
焼けた蹄鉄を
お前の生きた爪に
当てがった瞬間の煙のようにも、
私の歌は
灰色に立ち上がる歌だ。
強くなってくれよ、
私の友よ、
青年よ、
私の赤い焔を
君の四つ足は受け取れ、
そして君は、けわしい岩山を
その強い足をもって砕いてのぼれ、
トッテンカンの蹄鉄うち、
うたれるもの、うつもの、
お前と私とは兄弟だ、
共に同じ現実の苦しみにある。
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収
1935