Category archives: Chronology

三階の窓

窓のそばの大木の枝に

カラスがいっぱい集まってきた

があがあと口々に喚き立てる

あっち行けとおれは手を振って追い立てたが

真黒な鳥どもはびくともしない

不吉な鳥どもはふえる一方だ

おれの部屋は二階だった

カラスどもは一斉に三階の窓をのぞいている

何事かがはじまろうとしている

カラスどもは鋭いクチバシを三階の部屋に向けている

それは従軍カメラマンの部屋だった

前線からその朝くたくたになって帰って

ぐっすり寝こんでいるはずだった

戦争中のラングーンのことだ

どうかしたのだろうか

おれは三階へ行ってみた

カメラマンはベッドで死んでいたのだ

死と同時に集まってきたのは

枝に鈴なりのカラスだけではなかった

アリもまたえんえんたる列を作って

地面から壁をのぼり三階の窓から部屋に忍びこみ

床からベッドに這いあがり

死んだカメラマンの眼をめがけて

アリの大群が殺到していた

 

おれは悲鳴をあげて逃げ出した

そんなように逃げ出せない死におれはいま直面している

さいわいここはおれが死んでも

おれの眼玉をアリに襲われることはない

いやなカラスも集まってはこない

しかし死はこの場合も

終りではなくはじまりなのだ

なにかがはじまるのである

 

高見順

死の淵より」所収

1963

夢みたものは・・・・・

夢みたものは ひとつの幸福

ねがったものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しずかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが

着かざって 唄をうたっている

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊りをおどっている

 

告げて うたっているのは

青い翼の一羽の 小鳥

低い枝で うたっている

 

夢みたものは ひとつの愛

ねがったものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と

 

立原道造

優しき歌Ⅱ」所収

1947

蟻が

蝶の羽をひいて行く

ああ

ヨットのようだ

 

三好達治

南窗集」所収

1932

落葉松

昨日 林でみかけた人、だがあの人ではない。

 

どうしたのだらう、帽子を手に持つて、私は何を考えていたのだろう。

 

「今晩は 今晩は。」

樹々の奥で、霧の奥で、燈火がともる。

 

津村信夫

愛する神の歌」所収

1935

昨日はどこにもありません

昨日はどこにもありません

あちらの箪笥のひき出しにも

こちらの机の引き出しにも

昨日はどこにもありません

 

それは昨日の写真でしょうか

そこにあなたの立っている

そこにあなたの笑っている

それは昨日の写真でしょうか

 

いいえ昨日はありません

今日を打つのは今日の時計

昨日の時計はありません

今日を打つのは今日の時計

 

昨日はどこにもありません

昨日の部屋はありません

それは今日の窓掛けです

それは今日のスリッパです

 

今日悲しいのは今日のこと

昨日のことではありません

昨日はどこにもありません

今日悲しいのは今日のこと

 

いいえ悲しくはありません

何で悲しいものでしょう

昨日はどこにもありません

何が悲しいものですか

 

昨日はどこにもありません

そこにあなたの立っていた

そこにあなたの笑っていた

昨日はどこにもありません

 

三好達治

測量船」所収

1930

月夜の浜べ

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍びず

僕はそれを、袂に入れた。

 
月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

   月に向ってそれは抛れず

   浪に向ってそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

指先に沁み、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1938

頑是無い歌

思えば遠く来たもんだ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気は今いずこ

 

雲の間に月はいて

それな汽笛を耳にすると

竦然として身をすくめ

月はその時空にいた

 

それから何年経ったことか

汽笛の湯気を茫然と

眼で追いかなしくなっていた

あの頃の俺はいまいずこ

 

今では女房子供持ち

思えば遠く来たもんだ

此の先まだまだ何時までか

生きてゆくのであろうけど

 

生きてゆくのであろうけど

遠く経て来た日や夜の

あんまりこんなにこいしゅうては

なんだか自信が持てないよ

 

さりとて生きてゆく限り

結局我ン張る僕の性質

と思えばなんだか我ながら

いたわしいよなものですよ

 

考えてみればそれはまあ

結局我ン張るのだとして

昔恋しい時もあり そして

どうにかやってはゆくのでしょう

 

考えてみれば簡単だ

畢竟意志の問題だ

なんとかやるより仕方もない

やりさえすればよいのだと

 

思うけれどもそれもそれ

十二の冬のあの夕べ

港の空に鳴り響いた

汽笛の湯気や今いずこ

 

中原中也

在りし日の歌」所収

1938

なにもそうかたを・・・・

なにもそうかたをつけたがらなくてもいいではないか

なにか得体の知れないものがあり

なんということなしにひとりでにそうなってしまう

 というのでいいではないか

咲いたら花だった 吹いたら風だった

それでいいではないか

 

高橋元吉

「草裡」所収

1944

鰊が地下鉄道をくぐつて食卓に運ばれてくる。

 

安西冬衛

軍艦茉莉」所収

1929

桜の実

苔蒸した砌の上に桜の実が堕ちた。智慧が苦いものを少年に嘗らせた。

 

安西冬衛

桜の実」所収

1946