作品第一〇〇四番

今日は一日あかるくにぎやかな雪降りです

ひるすぎてから

わたくしのうちのまはりを

巨きな重いあしおとが

幾度となく行きすぎました

わたくしはそのたびごとに

もう一年も返事を書かない

あなたがたづねて来たのだと

じぶんでじぶんに教へたのです

そしてまったく

それはあなたのまたわれわれの足音でした

なぜならそれは

いっぱい積んだ梢の雪が

地面の雪に落ちるのでしたから

 

宮沢賢治

1933

ひかる人

私をぬぐらせてしまひ

そこのところへひかるやうな人をたたせたい

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

母をおもふ

けしきが

あかるくなつてきた

母をつれて

てくてくあるきたくなつた

母はきつと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだらう

 

八木重吉

貧しき信徒」所収

1928

小作調停官

西暦一千九百三十一年の秋の

このすさまじき風景を

恐らく私は忘れることができないであらう

見給へ黒緑の鱗松や杉の森の間に

ぎっしりと気味の悪いほど

穂をだし粒をそろへた稲が

まだ油緑や橄欖緑や

あるひはむしろ藻のやうないろして

ぎらぎら白いそらのしたに

そよともうごかず湛えてゐる

そのうち潜むすさまじさ

すでに土用の七日には

南方の都市に行ってゐた画家たちや

ableなる楽師たち

次々郷里に帰ってきて

いつもの郷里の八月と

まるで違った緑の種類の豊富なことに愕いた

それはおとなしいひわいろから

豆いろ乃至うすいピンクをさへ含んだ

あらゆる緑のステージで

画家は曾って感じたこともない

ふしぎな緑に眼を愕かした

けれどもこれら緑のいろが

青いまんまで立ってゐる田や

その藁は家畜もよろこんで喰べるではあらうが

人の飢をみたすとは思はれぬ

その年の憂愁を感ずるのである

 

宮沢賢治

補遺詩篇」所収

1933

星めぐりの歌

あかいめだまの さそり

ひろげた鷲の  つばさ

あをいめだまの 小いぬ、

ひかりのへびの とぐろ。

 

オリオンは高く うたひ

つゆとしもとを おとす、

アンドロメダの くもは

さかなのくちの かたち。

 

大ぐまのあしを きたに

五つのばした  ところ。

小熊のひたいの うへは

そらのめぐりの めあて。

 

宮沢賢治

双子の星」所収

1918

われは草なり

われは草なり

伸びんとす

伸びられるとき

伸びんとす

伸びられぬ日は

伸びぬなり

伸びられる日は

伸びるなり

われは草なり

緑なり

全身すべて

緑なり

毎年かわらず

緑なり

緑の己に

あきぬなり

われは草なり

緑なり

緑の深きを

願うなり

 

あゝ 生きる日の

美しき

あゝ 生きる日の

楽しさよ

われは草なり

生きんとす

草のいのちを

生きんとす

 

高見順

重量喪失」所収

1967

無声慟哭

こんなにみんなにみまもられながら

おまへはまだここでくるしまなければならないか

ああ巨きな信のちからからことさらにはなれ

また純粋やちひさな徳性のかずをうしなひ

わたくしが青ぐらい修羅をあるいてゐるとき

おまへはじぶんにさだめられたみちを

ひとりさびしく往かうとするか

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれのわたくしが

あかるくつめたい精進のみちからかなしくつかれてゐて

毒草や蛍光菌のくらい野原をただよふとき

おまへはひとりどこへ行かうとするのだ

  (おら おかないふうしてらべ)

何といふあきらめたやうな悲痛なわらひやうをしながら

またわたくしのどんなちひさな表情も

けつして見遁さないやうにしながら

おまへはけなげに母に訊くのだ

  (うんにや ずゐぶん立派だぢやい

   けふはほんとに立派だぢやい)

ほんたうにさうだ

髪だつていつそうくろいし

まるでこどもの苹果の頬だ

どうかきれいな頬をして

あたらしく天にうまれてくれ

  《それでもからだくさえがべ?》

  《うんにや いつかう》

ほんたうにそんなことはない

かへつてここはなつののはらの

ちひさな白い花の匂でいつぱいだから

ただわたくしはそれをいま言へないのだ

   (わたくしは修羅をあるいてゐるのだから)

わたくしのかなしさうな眼をしてゐるのは

わたくしのふたつのこころをみつめてゐるためだ

ああそんなに

かなしく眼をそらしてはいけない

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1924

 

報告

さっき火事だとさわぎましたのは虹でございました

もう一時間もつづいてりんと張って居ります

 

宮沢賢治

春と修羅」所収

1924

三階の窓

窓のそばの大木の枝に

カラスがいっぱい集まってきた

があがあと口々に喚き立てる

あっち行けとおれは手を振って追い立てたが

真黒な鳥どもはびくともしない

不吉な鳥どもはふえる一方だ

おれの部屋は二階だった

カラスどもは一斉に三階の窓をのぞいている

何事かがはじまろうとしている

カラスどもは鋭いクチバシを三階の部屋に向けている

それは従軍カメラマンの部屋だった

前線からその朝くたくたになって帰って

ぐっすり寝こんでいるはずだった

戦争中のラングーンのことだ

どうかしたのだろうか

おれは三階へ行ってみた

カメラマンはベッドで死んでいたのだ

死と同時に集まってきたのは

枝に鈴なりのカラスだけではなかった

アリもまたえんえんたる列を作って

地面から壁をのぼり三階の窓から部屋に忍びこみ

床からベッドに這いあがり

死んだカメラマンの眼をめがけて

アリの大群が殺到していた

 

おれは悲鳴をあげて逃げ出した

そんなように逃げ出せない死におれはいま直面している

さいわいここはおれが死んでも

おれの眼玉をアリに襲われることはない

いやなカラスも集まってはこない

しかし死はこの場合も

終りではなくはじまりなのだ

なにかがはじまるのである

 

高見順

死の淵より」所収

1963

夢みたものは・・・・・

夢みたものは ひとつの幸福

ねがったものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しずかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが

着かざって 唄をうたっている

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊りをおどっている

 

告げて うたっているのは

青い翼の一羽の 小鳥

低い枝で うたっている

 

夢みたものは ひとつの愛

ねがったものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と

 

立原道造

優しき歌Ⅱ」所収

1947