胸の底がいきなり陥ち込み
悲しみがなだれこんできた
ひとりになり
窓のところへ行つた
その瞬間
みるみる世界が凝縮するかと思はれた
絞られるかのやうに
高橋元吉
「高橋元吉詩集」所収
1962
窓のそばの大木の枝に
カラスがいっぱい集まってきた
があがあと口々に喚き立てる
あっち行けとおれは手を振って追い立てたが
真黒な鳥どもはびくともしない
不吉な鳥どもはふえる一方だ
おれの部屋は二階だった
カラスどもは一斉に三階の窓をのぞいている
何事かがはじまろうとしている
カラスどもは鋭いクチバシを三階の部屋に向けている
それは従軍カメラマンの部屋だった
前線からその朝くたくたになって帰って
ぐっすり寝こんでいるはずだった
戦争中のラングーンのことだ
どうかしたのだろうか
おれは三階へ行ってみた
カメラマンはベッドで死んでいたのだ
死と同時に集まってきたのは
枝に鈴なりのカラスだけではなかった
アリもまたえんえんたる列を作って
地面から壁をのぼり三階の窓から部屋に忍びこみ
床からベッドに這いあがり
死んだカメラマンの眼をめがけて
アリの大群が殺到していた
おれは悲鳴をあげて逃げ出した
そんなように逃げ出せない死におれはいま直面している
さいわいここはおれが死んでも
おれの眼玉をアリに襲われることはない
いやなカラスも集まってはこない
しかし死はこの場合も
終りではなくはじまりなのだ
なにかがはじまるのである
高見順
「死の淵より」所収
1963
幼馴染の体は石鹸の匂ひがぷんぷんする
石鹸の匂ひのやうに このわかい男にも
もう生活が染みこんでゐるのであらう
鏡に映つてゆれる
木橋と濁つた水と
彼の顔と──(頤のところの小さい疵はあの時の喧嘩のあとだ)
金がなくなつて またかへつて来た男の悲しみを
彼は器用に剃りあげる
昨日 川から腐つてあがつた水死人の話をしながら
ああ僕の瞼のうらで
昔のままの気橋がゆれる
濁つた水が流れる──二十年の歳月が・・・寂しい怒りのやうに
木下夕爾
1965
Miss Helen Slingsby was my maiden aunt,
And lived in a small house near a fashionable square
Cared for by servants to the number of four.
Now when she died there was silence in heaven
And silence at her end of the street.
The shutters were drawn and the undertaker wiped his feet —
He was aware that this sort of thing had occurred before.
The dogs were handsomely provided for,
But shortly afterwards the parrot died too.
The Dresden clock continued ticking on the mantelpiece,
And the footman sat upon the dining-table
Holding the second housemaid on his knees —
Who had always been so careful while her mistress lived.
T.S Eliot
1965