Category archives: 1960 ─ 1969

胸の底が

胸の底がいきなり陥ち込み

悲しみがなだれこんできた

ひとりになり

窓のところへ行つた

その瞬間

みるみる世界が凝縮するかと思はれた

絞られるかのやうに

 

高橋元吉

高橋元吉詩集」所収

1962

われは草なり

われは草なり

伸びんとす

伸びられるとき

伸びんとす

伸びられぬ日は

伸びぬなり

伸びられる日は

伸びるなり

われは草なり

緑なり

全身すべて

緑なり

毎年かわらず

緑なり

緑の己に

あきぬなり

われは草なり

緑なり

緑の深きを

願うなり

 

あゝ 生きる日の

美しき

あゝ 生きる日の

楽しさよ

われは草なり

生きんとす

草のいのちを

生きんとす

 

高見順

重量喪失」所収

1967

三階の窓

窓のそばの大木の枝に

カラスがいっぱい集まってきた

があがあと口々に喚き立てる

あっち行けとおれは手を振って追い立てたが

真黒な鳥どもはびくともしない

不吉な鳥どもはふえる一方だ

おれの部屋は二階だった

カラスどもは一斉に三階の窓をのぞいている

何事かがはじまろうとしている

カラスどもは鋭いクチバシを三階の部屋に向けている

それは従軍カメラマンの部屋だった

前線からその朝くたくたになって帰って

ぐっすり寝こんでいるはずだった

戦争中のラングーンのことだ

どうかしたのだろうか

おれは三階へ行ってみた

カメラマンはベッドで死んでいたのだ

死と同時に集まってきたのは

枝に鈴なりのカラスだけではなかった

アリもまたえんえんたる列を作って

地面から壁をのぼり三階の窓から部屋に忍びこみ

床からベッドに這いあがり

死んだカメラマンの眼をめがけて

アリの大群が殺到していた

 

おれは悲鳴をあげて逃げ出した

そんなように逃げ出せない死におれはいま直面している

さいわいここはおれが死んでも

おれの眼玉をアリに襲われることはない

いやなカラスも集まってはこない

しかし死はこの場合も

終りではなくはじまりなのだ

なにかがはじまるのである

 

高見順

死の淵より」所収

1963

田舎の理髪店で

幼馴染の体は石鹸の匂ひがぷんぷんする

石鹸の匂ひのやうに このわかい男にも

もう生活が染みこんでゐるのであらう

 

鏡に映つてゆれる

木橋と濁つた水と

彼の顔と──(頤のところの小さい疵はあの時の喧嘩のあとだ)

 

金がなくなつて またかへつて来た男の悲しみを

彼は器用に剃りあげる

昨日 川から腐つてあがつた水死人の話をしながら

 

ああ僕の瞼のうらで

昔のままの気橋がゆれる

濁つた水が流れる──二十年の歳月が・・・寂しい怒りのやうに

 

木下夕爾

1965

Aunt Helen

Miss Helen Slingsby was my maiden aunt,
And lived in a small house near a fashionable square
Cared for by servants to the number of four.
Now when she died there was silence in heaven
And silence at her end of the street.
The shutters were drawn and the undertaker wiped his feet —
He was aware that this sort of thing had occurred before.
The dogs were handsomely provided for,
But shortly afterwards the parrot died too.
The Dresden clock continued ticking on the mantelpiece,
And the footman sat upon the dining-table
Holding the second housemaid on his knees —
Who had always been so careful while her mistress lived.

 

T.S Eliot

1965