Category archives: 1960 ─ 1969

             冬の庭、
うごかない黒々とした杉や檜のうえに
黒い空がある。おびただしい
星はひとつずつ燃えながら凍りついているけれど、わたしのまわりは
すべてが死んでしまっているようだ。
すこし靴をうごかすと、枯れた草がポキポキと折れて
深い沈黙の骨にひびく。

           けさ、この庭に、
あたたかい陽が、一秒を永遠のときに
縮めながら、そそいでいた。
霜で固められた土の表面は、処女の
汗よりもきよらかに濡れていた。そして
そのとき、わたしは見た、
いっぴきのカマキリが
地に倒れた枯れ草のあいだから、ゆっくりと
這いだして、石のうえに休んでいるのを、藁のこげくさい七月に
ちいさな虫たちを苦しめた前脚を、冬のひかりのなかに
錆びついた剃刀の刃のように持てあましているのを。その翅は
落葉の音をたてて剥がれそうにみえた。

                  黒い空に
燃えている星は、どのベッドからも
窓からも近いところにある。
しかし、この庭に
立っているわたしからは最も遠い。
わたしは慄えながら靴をうごかし、ころがっている空壜に
すべり、また星を見つめる。
杉や檜のうえに、わたしの心の
ラジウムが、すこしずつ死と沈黙の
つめたさを運んでゆく。そこに
限りない日没と朝の
墓がある。わたしの靴の
しずかに止まるところがある。塵の
車輪にひかれてゆく無数のカマキリの
死骸がある。あの黒い空に
ためいきと、喜びのちいさな叫び声の
林がひろがっている。
いつでも、どこでもひとりでいる
わたしは、だれにも見えない。凍りながら燃えている
星からも見えない。ただ
わたしは慄えながら、待っている、
沈黙に聴きいり、黒い空を見つめている、
冬の庭で。

北村太郎
北村太郎詩集」所収
1966

帰来

僕はゐる さまざまの場所に
昔のままのやさしい手に
責められたり 抱かれたりしながら

僕はそこにもゐる
酸っぱいスカンポの茎のなかに
それを折るときのうつろな音のなかに

僕はそこにもゐる
柿若葉の下かげに
陽のあたる石の上に
トカゲみたいに臆病さうに

僕はそこにもゐる
ながれのほとりの草の上に
とらえそこねた幸福のやうに
魚の光る水の中に

僕はそこにもゐる
土蔵のかげ 桑の葉のかげに
アイヌ人みたいに
口のほとりに桑の実の汁の刺青をして

僕はそこにもゐる
小鳥が巣を編む樹の梢に
屋根の上に
略奪の眼を光らせて

僕はそこにもゐる
しその葉のいろのたそがれのなかに
とほくから草笛のきこえる道ばたに
人なつかしくネルの着物きて

ああ僕はそこにもゐる
井戸ばたのほのぐらいユスラウメの木の下に
人を憎んで
ナイフなんど砥いだりしながら

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

帰る旅

帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
おみやげを買わなくていいか
埴輪や明器のような副葬品を

大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである

古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである

高見順
死の淵より」所収
1964

冬の虹

駅の陸橋をわたるとき
虹が出ていた
消えかけていたけれど美しかった
誰も気がつかなかった
教えようとしたら汽罐車の煙が吹き消した
あっというまもなかった
(人生にはこれに似た思い出がたびたびある)
改札口のところで振り返ったが
やはり見えなかった

木下夕爾
「定本 木下夕爾詩集」所収
1966

途上

ひび割れの
一層むごい凌辱と貪婪の
手にとるこの世のあらひざらひだ
やくざな助材を解きはなつておもふざま
幻象に仕上げるのが日常なら
それに火をつけ
奈落を渫ひ
どのみちおほきく笑へればいいといふものさ
これをしも不誠実だと責めるまへに……
だがいまは言ふな
すべる蠅よ
のさばる光栄のしやつ面たちよ
生活だと言つたのが愚の骨頂なら
もう何ひとつ文句はつけぬ
この身は暗い百年に触火して乱雑たるあれ――なほ渡つてゆく
歩みは一片の悔いもないが
意地わるくつらく強力に泣いてゐるのだ
風ともない通り魔のしはぶきのやうなやつに折からの
風物が絞めあげられて
ながい間めいめいのおもひは錯落した
すれ違ひざまに光つてきらりと此方を見た眼
なんとあたり前のかなしげな挨拶
あるけあるけと渡つてきたのだ
行きあたるところの無い限り 愛や動乱や死の胆妄に
灼かれる業も
まして尼からのぞいた孤独といふやつ
一時が永遠に木ツ葉微塵の形なしだといふのさ
及びがたい力につらぬかれ
きらりとし錆びいろとなりふき晒されて
それこそどんな暗黒にも閉ぢることはないだらう
別々でありながら身内に燃え燃えながらも離れてゆくといふ
おかしなさういふたぐひの眼だ
せつかく此処まで来たところがこれでは説明がつきかねる
これをしも不誠実だと責めるまへに
だがいまは言ふな
おまへが何を共力しようとするのかそれも知らぬ
おれは世界が何故このやうにおれを報いたかを考へてみるのだ
宇宙犬の夢をもつためには
しばしばその夢からさへ脱がれようとする
だがいぶかしげにおれをうながす
憫みともつかぬだんまりが反つておまへの常套なのか
どうやらそれも怖ろしい眼の裏側を糾問するためのことらしい
がたんと重いぶれーきで停り
わづかな喧騒の後はまたもとの静けさに帰つた
いやおれはこのまゝでいいのだ
辛いやつを口になめては
歌をやるすべもない
左様なら
いちめんの斑雪に煤がながれこんで
黒い車輛の列からはみだしてる
途方もない
陸のつゞきさ

逸見猶吉
定本逸見猶吉詩集」所収
1966

風の早い曇り空に太陽のありかも解らない日の、人けない一すぢの道の上に私は涯しない野原をさまようてゐた。風は四方の地平から私を呼び、私の袖を捉へ裾をめぐり、そしてまたその荒まじい叫び声をどこかへ消してしまふ。その時私はふと枯草の上に捨てられてある一枚の黒い上衣を見つけた。私はまたどこからともなく私に呼びかける声を聞いた。

――とまれ!

 私は立ちどまつて周囲に声のありかを探した。私は恐怖を感じた。

――お前の着物を脱げ!

 恐怖の中に私は羞恥と微かな憤りを感じながら、余儀なくその命令の言葉に従つた。するとその声はなほ冷やかに、

――裸になれ! その上衣を拾つて着よ!

 と、もはや抵抗しがたい威厳を帯びて、草の間から私に命じた。私は惨めな姿に上衣を羽織つて風の中に曝されてゐた。私の心は敗北に用意をした。

――飛べ!

 しかし何といふ奇異な、思ひがけない言葉であらう。私は自分の手足を顧みた。手は長い翼になつて両腋に畳まれ、鱗をならべた足は三本の指で石ころを踏んでゐた。私の心はまた服従の用意をした。

――飛べ!

 私は促されて土を蹴つた。私の心は急に怒りに満ち溢れ、鋭い悲哀に貫かれて、ただひたすらにこの屈辱の地をあとに、あてもなく一直線に翔かけつていつた。感情が感情に鞭うち、意志が意志に鞭うちながら――。私は永い時間を飛んでゐた。そしてもはや今、あの惨めな敗北からは遠く飛び去つて、翼には疲労を感じ、私の敗北の祝福さるべき希望の空を夢みてゐた。それだのに、ああ! なほその時私の耳に近く聞えたのは、あの執拗な命令の声ではなかつたか。

――啼け!

 おお、今こそ私は啼くであらう。

――啼け!
――よろしい、私は啼く。

 そして、啼きながら私は飛んでゐた。飛びながら私は啼いてゐた。

――ああ、ああ、ああ、ああ、
――ああ、ああ、ああ、ああ、

 風が吹いてゐた。その風に秋が木葉をまくやうに私は言葉を撒いてゐた。冷めたいものがしきりに頬を流れてゐた。

三好達治
測量船」所収
1964

葬式列車

なんという駅を出発して来たのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中のふしぎな国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
それでいて汽車のなかは
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを

石原吉郎
サンチョ・パンサの帰郷」所収
1963

夕方の三十分

コンロから御飯をおろす
卵を割ってかきまぜる
合間にウィスキーをひと口飲む
折り紙で赤い鶴を折る
ネギを切る
一畳に足りない台所につっ立ったままで
夕方の三十分

僕は腕のいいコックで
酒飲みで
オトーチャマ
小さなユリの御機嫌とりまで
いっぺんにやらなきゃならん
半日他人の家で暮らしたので
小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

「ホンヨンデェ  オトーチャマ」
「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
卵焼きをかえそうと
一心不乱のところへ
あわててユリが駆けこんでくる
「オシッコデルノー オトーチャマ」
だんだん僕は不機嫌になってくる

化学調味料をひとさじ
フライパンをひとゆすり
ウィスキーをがぶりとひと口
だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
「ハヤクココキッテヨー オトー」
「ハヤクー」

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る
「自分でしなさい 自分でェ」
かんしゃくもちの娘がやりかえす
「ヨッパライ グズ ジジイ」
おやじが怒って娘のお尻をたたく
小さなユリが泣く
大きな大きな声で泣く

それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
おやじは素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたり座る

黒田三郎
小さなユリと」所収
1960

除名

一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
これほど何も持たないおれの
ひたひたと頰を叩かれておれは麻酔から醒めた
窓のしたを過ぎたデモより
点滴静注のしずくにリズムをきいた
殺された少女の屍体は遠く小さくなり
怒りはたえだえによみがえるが
おれは怒りを拒否した 拒否したのだ日常の生を
おれに残されたのは死を記録すること
医師や白衣の女を憎むこと
口のとがったガラスの容器でおれに水を呑ませるものから孤独になること しかし
期外収縮の心臓に耳をかたむけ
酸素ボンベを抱いて過去のアジ句に涙することではない
みずからの死をみつめられない目が
どうして巨きな滅亡を見られるものか
ひとおつふたあつと医師はさけんだが
無を数えることはできない だから
おれの声はやんでいった
ひたひたと頰を叩かれておれは麻酔から醒めた 別な生へ
パイナップルの罐詰をもって慰めにきた友よ
からまる輸血管や鼻翼呼吸におどろくな
おどろいているのはおれだ
おれにはきみが幽霊のように見える
きみの背後の世界は幽暗の国のようだ
同志は倒れぬとうたって慰めるな
おれはきみたちから孤独になるが
階級の底はふかく死者の民衆は数えきれない
一歩ふみこんで偽の連帯を断ちきれば
はじめておれの目に死と革命の映像が襲いかかってくる
その瞬時にいうことができる
みずからの死をみつめる目をもたない者らが
革命の組織に死をもたらす と
これは訣別であり始まりなのだ 生への
すると一枚の紙片がやってきて除名するという
何からおれの名を除くというのか
革命から? 生から?
おれはすでに名前で連帯しているのではない

黒田喜夫

1961

木犀の匂ひ

木犀が咲き出すと

水晶製の空気がどこからともなくながれてきて

すべるやうに音なくながれてきて

時によるとほかのものがみんな消えてしまつて

ただ木犀の匂ひだけが

地球のうへをながれてゐることがある 

 

高橋元吉

高橋元吉詩集」所収

1962