かよわい花です
もろげな花です
はかない花の命です
朝さく花の朝がほは
昼にはしぼんでしまひます
昼さく花の昼がほは
夕方しぼんでしまひます
夕方にさく夕がほは
朝にはしぼんでしまひます
みんな短い命です
けれども時間を守ります
さうしてさつさと帰ります
どこかへ帰つてしまひます
三好達治
「花筺」所収
1944
おかあさん
おかあさんが死んだあとで・・・・
私は海でころんでしまって
きり石でひどいけがして
大きな針でぬったのよ
もみじの樹が大きくなって
私の背よりもたかくてよ
青い模様のお皿はたくさんこわれてよ
夜がきても朝がきても
ばあやはあいさつしなくてよ
おかあさん
おかあさんが死んだあとで・・・・
山本沖子
「花の木の椅子」所収
1947
真夜中 眼ざめると誰もゐない──
犬は驚いて吠えはじめる 不意に
すべての睡眠の高さに躍びあがらうと
すべての耳はベツドの中にある
ベツドは雲の上の中にある
孤独におびえて狂奔する歯
とびあがつてはすべり落ちる絶望の声
そのたびに私はベツドから少しづつずり落ちる
私の眼は壁にうがたれた双ツの穴
夢は机の上で燐光のやうに凍つてゐる
天には赤く燃える星
地には悲しげに吠える犬
(どこからか かすかに還つてくる木霊)
私はその秘密を知つてゐる
私の心臓の牢屋にも閉ぢ込められた一匹の犬が吠えてゐる
不眠の蒼ざめたvieの犬が。
三好豊一朗
「囚人」所収
1949
あめ あめ あめ あめ
あめ あめ あめ あめ
あめは ぼくらを ざんざか たたく
ざんざか ざんざか
ざんざん ざかざか
あめは ざんざん ざかざか ざかざか
ほったてごやを ねらって たたく
ぼくらの くらしを びしびし たたく
さびが ざりざり はげてる やねを
やすむ ことなく しきりに たたく
ふる ふる ふる ふる
ふる ふる ふる ふる
あめは ざんざん ざかざん ざかざん
ざかざん ざかざん
ざんざん ざかざか
つぎから つぎへと ざかざか ざかざか
みみにも むねにも しみこむ ほどに
ぼくらの くらしを かこんで たたく
山田今次
「行く手」所収
1947
くらあい天だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
どこまでつづくまつ暗な。
電燈ひとつついてやしない底なしの。
くらあい道を歩いてゆく。
ああああああ。
おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにゐる。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれは。
わらつてゐた。
どこまでつづくこの暗い。
道だかなんだかわからない。
うたつておれは歩いてゐるが。
うたつておれは歩いてゐるが。
ああああああ。
去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれはのんだのだ。
どこへ行つたか知らないが。
こころの穴ががらんとあき。
めうちきりんにいたむのだ。
ここは日本のどこかのはてで。
或ひはきのふもけふも暮してゐる。
都のまんなかかもしれないが。
電燈ひとつついてやしない。
どこをみたつてまつくらだ。
ヴァイオリンの音がきこえるな。
と思つたのも錯覚だ。
ああああああ。
むかしはおれも。
鵞鳥や犬をあいしたもんだ。
人ならなほさら。
愛したもんだ。
それなのに今はなんにも。
できないよ。
歩いてゐるのもあきたんだが。
ちよいと腰かけるところもないし。
白状するが家もない。
ちよいと寄りかかるにしてからが。
闇は空気でできてゐる。
ああああああ。
むかしはおれも。
ずゐぶんひとから愛された。
いまは余計に愛される。
鉄よりも鉛よりも。
おもたい愛はおもすぎる。
またそれを。
それをそつくりいただくほど。
おれは厚顔無恥ではない。
おれのこころの穴だつて。
くらやみが眠るくらゐがいつぱいだ。
なんたるくらい底なしの。
どこまでつづくはてなしの。
ここらあたりはどこなのだ。
いつたいおれはどのへんの。
どこをこんなに歩いてゐる。
ああああああ。
むかしはおれのうちだつて。
田舎としての家柄だつた。
いまだつてやはり家柄だ。
むかしはわれらの日本も。
たしかにりつばな国柄だつた。
いまだつてやはり国柄だ。
いまでは然し電燈ひとつついてない。
どこもかしこもくらやみだ。
起床喇叭はうるさいが。
考へる喇叭くらゐはあつていい。
ああああああ。
おれのこころはがらんとあき。
はひつてくるのは寒さだが。
寒さと寒さをかちあはせれば。
すこしぐらゐは熱がでる。
すこしぐらゐは出るだらう。
蛙やたとへば鳥などは。
もう考へることもよしてしまつていいやうな。
いや始めつからそんな具合にできてるが。
人間はくりかへしにしても確たるなんかのはじめはいまだ。
とくに日本はさうなので。
考へることにはじまつてそいつをどうかするやうな。
さういふ仕掛けになるならば。
がたぴしの力ではなくて愛を求める。
愛ではなくて美を求める。
さういふ道ができるなら。
例へばひとりに。
お茶の花ほどのちよつぴりな。
そんなひかりは咲くだらう。
それがやがては物凄い。
大光芒にもなるだらう。
ああああああ。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれはうどんをくつた。
これではまいにちくふだけで。
それはたしかにしあはせだが。
こころの穴はふさがらない。
こころの穴はきりきりいたむ。
くらあい天だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
草野心平
「日本砂漠」所収
1948
ひどい風だな。呼吸がつまりそうだ。
あんなに凍ってるよ。
鳥なんか一羽もいないじゃないか。
でもイソシギや千鳥が沢山渡ってくると言うぜ。まだ早いんだ。
広いなあ。
枯れてるね。去年もいま頃歩いたんだ。
葦と蘆はどうちがうの?
ちがうんだろうね。何故?
向うのあの鉄骨。どこだ。
藤永田造船だ。駆逐艦だな。
澄んでるね。
荒れてるよ。行ってみよう。
小野十三郎
「風景詩抄」所収
1943
トマトを盛つた盆のかげに
忘れられてゐる扇
その少女は十九だと答へたつけ
はじめてひとに見せるのだといふ作詩を差出すとき
さつきからの緊張にすつかりうけ応へはうはの空だつた
もつと私が若かつたら
きつとそれを少女の気随な不機嫌ととつたらう
或はもすこし年をとつてゐたなら
かの女の目のなかで懼れと好奇心が争つて
強ひて冷淡に微笑しようと骨折るのを
耄碌した老詩人にむける憐れみの目色と邪推したらう
いま私は畳にうづくまり
客がおいていつたノート・ブックをあける
鉛筆書きの沢山の詩
愛の空想の詩をそこによむ
やつと目覚めたばかりの愛が
まだ聢とした目あてを見つける以前に
はやはげしい喪失の身悶えから神を呼んでゐる
そして自分で課した絶望で懸命に拒絶して防禦してゐる
あゝ純潔な何か
出されたまゝ触れられなかつたお茶に
もう小さな蛾が浮んでゐる
生涯を詩に捧げたいと
少女は言つたつけ
この世での仕事の意味もまだ知らずに。
伊東静雄
「反響」所収
1947
いちばん早い星が 空にかがやき出す刹那は どんなふうだらう
それを 誰れが どこで 見てゐたのだらう
とほい湿地のはうから 闇のなかをとほつて 葦の葉ずれの音がきこえてくる
そして いまわたしが仰見るのは揺れさだまつた星の宿りだ
最初の星がかがやき出す刹那を 見守つてゐたひとは
いつのまにか地を覆うた 六月の夜の闇の余りの深さに 驚いて
あたりを透かし 見まはしたことだらう
そして あの真暗な湿地の葦は その時 きつとその人の耳へと
とほく鳴りはじめたのだ
伊東静雄
「夏花」所収
1940