くらあい天だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
どこまでつづくまつ暗な。
電燈ひとつついてやしない底なしの。
くらあい道を歩いてゆく。
ああああああ。
おれのこころは。
どこいつた。
おれのこころはどこにゐる。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれは。
わらつてゐた。
どこまでつづくこの暗い。
道だかなんだかわからない。
うたつておれは歩いてゐるが。
うたつておれは歩いてゐるが。
ああああああ。
去年はおれも酒をのみ。
きのふもおれはのんだのだ。
どこへ行つたか知らないが。
こころの穴ががらんとあき。
めうちきりんにいたむのだ。
ここは日本のどこかのはてで。
或ひはきのふもけふも暮してゐる。
都のまんなかかもしれないが。
電燈ひとつついてやしない。
どこをみたつてまつくらだ。
ヴァイオリンの音がきこえるな。
と思つたのも錯覚だ。
ああああああ。
むかしはおれも。
鵞鳥や犬をあいしたもんだ。
人ならなほさら。
愛したもんだ。
それなのに今はなんにも。
できないよ。
歩いてゐるのもあきたんだが。
ちよいと腰かけるところもないし。
白状するが家もない。
ちよいと寄りかかるにしてからが。
闇は空気でできてゐる。
ああああああ。
むかしはおれも。
ずゐぶんひとから愛された。
いまは余計に愛される。
鉄よりも鉛よりも。
おもたい愛はおもすぎる。
またそれを。
それをそつくりいただくほど。
おれは厚顔無恥ではない。
おれのこころの穴だつて。
くらやみが眠るくらゐがいつぱいだ。
なんたるくらい底なしの。
どこまでつづくはてなしの。
ここらあたりはどこなのだ。
いつたいおれはどのへんの。
どこをこんなに歩いてゐる。
ああああああ。
むかしはおれのうちだつて。
田舎としての家柄だつた。
いまだつてやはり家柄だ。
むかしはわれらの日本も。
たしかにりつばな国柄だつた。
いまだつてやはり国柄だ。
いまでは然し電燈ひとつついてない。
どこもかしこもくらやみだ。
起床喇叭はうるさいが。
考へる喇叭くらゐはあつていい。
ああああああ。
おれのこころはがらんとあき。
はひつてくるのは寒さだが。
寒さと寒さをかちあはせれば。
すこしぐらゐは熱がでる。
すこしぐらゐは出るだらう。
蛙やたとへば鳥などは。
もう考へることもよしてしまつていいやうな。
いや始めつからそんな具合にできてるが。
人間はくりかへしにしても確たるなんかのはじめはいまだ。
とくに日本はさうなので。
考へることにはじまつてそいつをどうかするやうな。
さういふ仕掛けになるならば。
がたぴしの力ではなくて愛を求める。
愛ではなくて美を求める。
さういふ道ができるなら。
例へばひとりに。
お茶の花ほどのちよつぴりな。
そんなひかりは咲くだらう。
それがやがては物凄い。
大光芒にもなるだらう。
ああああああ。
きのふはおれもめしをくひ。
けふまたおれはうどんをくつた。
これではまいにちくふだけで。
それはたしかにしあはせだが。
こころの穴はふさがらない。
こころの穴はきりきりいたむ。
くらあい天だ底なしの。
くらあい道だはてのない。
草野心平
「日本砂漠」所収
1948