Category archives: 1930 ─ 1939

時間

広野の上に日は遠く歩いてゆき、
水は私を押し流す、
私のからだの上、心の上に過ぎてゆく月、日、
その軽やかな親しい足取り。

私は土を耕し、
吹き過ぎる風に種を播き、
ほうぼうと芽生えが伸び、
雑草がはびこり、徒らに露がしげく。

五月、六月、空に渦巻く光の渦、
草むらにとんぼ返りを打つ蜻蛉、
五月、六月、目にも見えず栗の花が散り、
ひそかに無花果が葉のかげに熟し、やがて地に落ち。

それ等虫けらと葉つ葉のなかに
鮮かに生長する神話、
うつりゆく季節、
子どもの心を押しひろげてゆく時間。

樹々の枝を吹き過ぎる朝の風は
鋭い指に日々の暦を繰りひろげ、
夕、古い木の葉を吹き散らして
日めくりの紙片を一枚一枚引きちぎる。

私は私の上に歴史の歩みを感じる、
私は私の心を、からだを耕し、
私自身の上に種を播き、
草々がはびこり、花が咲き、日がたける。

私は時間に押し流されながら、
私のうちらに神そのものの軽やかな足取りがあり、
一枚、一枚、頁を数へながら、
楽しく繰りひろげてゆく日々の絵暦。

竹内勝太郎
1935

帰郷

                昭和四年の冬、妻と離別し二兒を抱へて故郷に歸る

わが故郷に歸れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
夜汽車の仄暗き車燈の影に
母なき子供等は眠り泣き
ひそかに皆わが憂愁を探れるなり。
鳴呼また都を逃れ來て
何所の家郷に行かむとするぞ。
過去は寂寥の谷に連なり
未來は絶望の岸に向へり。
砂礫のごとき人生かな!
われ既に勇氣おとろへ
暗憺として長なへに生きるに倦みたり。
いかんぞ故郷に獨り歸り
さびしくまた利根川の岸に立たんや。
汽車は曠野を走り行き
自然の荒寥たる意志の彼岸に
人の憤怒を烈しくせり。

萩原朔太郎
氷島」所収
1934

昨日四石ひいたら
奴今日五石ふんづけやがった
今日正直に五石ひいたら
奴 明日は六石積むに違ひねい
おら坂へ行ったら
死んだって生きたってかまはねい
すべったふりして
ねころんでやるベイ
そしたら橇がてんぷくして
橇にとっぴしゃがれて
ふんぐたばるべ

おれが口きかないともつて
畜生
明日はきっとやってやる

猪狩満直
「弾道」初出
1930

夏花の歌

  その一

空と牧場のあひだから ひとつの雲が湧きおこり
小川の水面に かげをおとす
水の底には ひとつの魚が
身をくねらせて 日に光る

それはあの日の夏のこと!
いつの日にか もう返らない夢のひととき
黙つた僕らは 足に藻草をからませて
ふたつの影を ずるさうにながれにまかせ揺らせてゐた

……小川の水のせせらぎは
けふもあの日とかはらずに
風にさやさや ささやいてゐる

あの日のをとめのほほゑみは
なぜだか 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 横顔ばかり

  その二

あの日たち 羊飼ひと娘のやうに
たのしくばつかり過ぎつつあつた
何のかはつた出来事もなしに
何のあたらしい悔ゐもなしに

あの日たち とけない謎のやうな
ほほゑみが かはらぬ愛を誓つてゐた
薊の花やゆふすげにいりまじり
稚い いい夢がゐた――いつのことか!

どうぞ もう一度 帰つておくれ
青い雲のながれてゐた日
あの昼の星のちらついてゐた日……

あの日たち あの日たち 帰つておくれ
僕は 大きくなつた 溢れるまでに
僕は かなしみ顫へてゐる

立原道造
萱草に寄す」所収
1937

孤独の超特急

触れてくれるな、
さはつてくれるな、
静かにしてをいてくれ、
この世界一脆い
私といふ器物に、
批評もいらなければ
親切な介添もいらない、
やさしい忠告も
元気な煽動も、
すべてがいらない
のがれることのできない
夜がやつてきたとき
私は寝なければならないから、
そこまで私の夢を
よごしにやつて来てくれるな、
友よ、
あゝ、なんといふ人なつこい
世界に住んでゐながら、
君も僕も仲たがひをしたがるのだらう、
永遠につきさうもない
あらそひの中に
愛と憎しみの
ゴッタ返しの中に
唾を吐き吐き
人生の旅は
苦々しい路連れです、

生きることが
こんなに貧しく
こんなに忙しいこととは
お腹の中の
私は想像もしなかつたです。
友よ、
産れてきてみれば斯くの通りです、
ただ精神のウブ毛が
僕も君もまだとれてゐない、
子供のやうに
愛すべき正義をもつてゐる、
精神は純朴であれと叫び
生活は不純であれと叫ぶ、
私は混線してますます
感情の赤いスパークを発す、
階級闘争の
君の閑日月の
日記を見たいものだ、
私の閑日月は
焦燥と苦闘の焔で走る、
孤独の超特急だ、
帰ることのできない、
単線にのつてゐる
もろい素焼の
ボイラーは破裂しさうだ。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収」
1935

トンボは北へ、私は南へ

金とはいつたい何だらう、
私の少年はけげんであつた
ただそのもののために父と母との争ひが続いた、
私はじつと暗い玄関の間で
はらはらしながら二人の争ひをきいてゐた、
母はいつまでも泣きつづけてゐたし
父は何かしきりに母にむかつて弁解したゐた、
朝三人は食卓にすわつた
父が母に差し出す茶碗は
母の手に邪険にひつたくられた
父はその朝はしきりに私をとらへて
滑稽なおかしな話をして笑はせようとしたが
私はそれを少しも嬉しいとは思はなかつた、
金とはなんだ――。
親たちの争ひをひき起すもの
あいつはガマの子のやうなものではないか、
ただ財布を出たり入つたりする奴。
私はそつと母親の財布をないしよで開けてみた、
だが財布のガマの子は
銀色になつたり茶色になつたり、
出たり入つたり、しよつちゆう変つてゐた、
なんといふおかしな奴。
しかしこいつは幾分尊敬すべき
値打のあるものにちがひない、
少年の私はこの程度の理解より
金銭に対してはもつてゐなかつた、
童話の中の生活は
生活の中の童話でもあつた、
現実と夢との間を
すこしの無理もなく
わたしの少年の感情は行き来した、
だが次第に私は刺戟された、
現実の生々しいものに――。
そして私に淋しさがきた
次いでそれをはぎとらうとする努力をした、
私はぼんやりと戸外にでた
そして街の空を仰いだ、
この山と山との間に挾さまれた小さな町に
いま数万、数十万とも知れぬ
トンボの群れが北へ北へと
飛んでゆく
私の少年はおどろき
なぜあいつらは全部そろつて北へ行くのか
あいつらは申し合せることができるのか
素ばらしい
豪いトンボ、
何処へ何をしにゆくのだらう、
なかには二匹が
たがひに尻と尻とをつなぎあはせて
それでゐて少しもこの二匹一体のものは
飛ぶことにさう努力もしてゐないやうに
軽々として飛ぶ群に加はつてゐた、
それを見ると私は
理由の知れない幸福になれた、
そしてそのトンボの群の
過ぎ北へ向ふ日は幾日も幾日もつゞいた
私はそれを毎日のやうに見あげた
夜は父と母とが夜中じゆうヒソヒソと
金のことに就いて争つてゐるのを耳にした、
私は金銭や、父や、母や、妹や、
其他自分の周囲のものではなく
もつと遠くのもので
きつと憎むべき奴がどこかに隠れてゐるんだなと考へるやうになり
そいつと金とはふかい関係があるやうに思へた
またそれを探らうとした、
トンボは北へとびそれを見る私の少年は
トンボを自分より幾倍も
豪い集団生活をしてゐるものゝやうに考へ、
そしてしだいに、自分が愚かなものに見え反逆を覚えだし
トンボよ、
君は北へ揃つて行き給へ、
僕は南の方へでかけてゆかう、
さういつて私の少年は南へ向けて出奔した、
最初の反逆それは
私は故郷をすてることから始まつた。

小熊秀雄
小熊秀雄詩集」所収
1935

しなびた船

海がある、
お前の手のひらの海がある。
苺の実の汁を吸ひながら、
わたしはよろける。
わたしはお前の手のなかへ捲きこまれる。
逼塞した息はお腹の上へ墓標をたてようとする。
灰色の謀叛よ、お前の魂を火皿の心にささげて、
清浄に、安らかに伝道のために死なうではないか。

大手拓次
藍色の蟇」所収
1936

冬の長門峡

長門峡に、水は流れてありにけり。
寒い寒い日なりき。

われは料亭にありぬ。
酒酌みてありぬ。

われのほか別に、
客とてもなかりけり。

水は、恰も魂あるものの如く、
流れ流れてありにけり。

やがても密柑の如き夕陽、
欄干にこぼれたり。

ああ! ――そのような時もありき、
寒い寒い 日なりき。

中原中也
在りし日の歌」所収
1938

この島 何貫あるだろう
てのひらにのせて量りたいほどだ
瀬戸内海の名も無い島
それで一向浪にもつてゆかれもしない

予の家族十二人
総計百五十貫あまりあるとして
さて この島へ引移り
畑でも耕してくらしを立てるか

この島 どうやら歪みさうだ
この島 呻きごゑ立てさうだ
じつさいは百五十貫あまりでも
くらしを立てるとなると量り知れない重さとなる

七千万あまり犇く人間をのせて
よくぞまあ 沈まず浮いてゐられる
日本の四つの島 島 島
裾を水につけて
研ぎすました富士山などをのつけてゐる

竹中郁
竹中郁詩集」所収
1932

ゆふすげびと

かなしみではなかつた日のながれる雲の下に
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた、
それはひとつの花の名であつた

それは黄いろの淡いあはい花だつた、
僕はなんにも知つてはゐなかつた

なにかを知りたく うつとりしてゐた、
そしてときどき思ふのだが一体なにを
昨日の風は鳴つてゐた、林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた、そうしてけふもその花は
思ひなしだか 悔ゐのやうに――。
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔ゐなく去らせたほどに! 

立原道造
拾遺詩編」所収
1939