ブブル お前は愚かな犬 尻尾をよごして
ブブル けれどもお前の眼
それは二つの湖水のやうだ 私の膝に顔を置いて
ブブル お前と私と 風を聴く
三好達治
「南窗集」所収
1932
ブブル お前は愚かな犬 尻尾をよごして
ブブル けれどもお前の眼
それは二つの湖水のやうだ 私の膝に顔を置いて
ブブル お前と私と 風を聴く
三好達治
「南窗集」所収
1932
生れて何も知らぬ吾子の頬に
母よ、絶望の涙をおとすな。
その頬は赤く小さく、今はただ一つのはたんきやうにすぎなくとも
いつ人類のための戦ひに燃えないといふことがあらう。
生れて何もしらぬ吾子の頬に
母よ、悲しみの涙をおとすな。
ねむりの中に静かなるまつげのかげを落して
今はただ白絹のやうにやはらかくとも
いつ正義への決然にゆがまないといふことがあらう。
ただ自らの弱さと、いくじなさのために
生れて何も知らぬわが子の頬に
母よ、絶望の涙をおとすな。
竹内てるよ
「花とまごころ」所収
1933
とんでもない話が、
北から舞ひこんできただ、
お前さんグズグズするな、
そこいら辺にあるロクでもねいものは、
みんなほうり投げて出かけべい。
家にも、畑にも別れべい、
いまさら未練がましく
縁の下なんかのぞくでねいぞ。
どうせ不景気つづきで此処まで来ただ、
札束、縁の下に隠してあるわけなかべ。
餓鬼を学校さ、迎へに行つてこいよ、
授業中であらうが
かまふもんか引つぱつて来い。
若し先生が文句、云つたら
かまふもんかどやシつけて来い
――まだ授業料、収めねい餓鬼は手を挙げろ! と
ぬかしくさつた
地主の下働き奴が
貧乏なわし等の餓鬼つかまへて
雀の子ぢや、あんめいし
今更チウでもコウでもねいもんだ。
さあ、餓鬼にもスコップ持たして
河の中、ホックリ返へさせるだに。
手といつたら猫の手でも借りたい
砂金掘りだに――。
わしの餓鬼をわしが連れて行くだに、
明日は村ぢうの餓鬼は一人も
学校さ、行かねいだらうと、云つて来い、
何をあわてて、カカア脚絆裏返しにはくだ。
わしも六十になつて
今更、山を七つも越して行き度くねいだが、
ヅングリ、ムックリ、ろくに口も利かねいで、
百姓は百姓らしくと思ひこんで、
あれもハイ、これもハイと、
お上の、おつしやる通り貧乏してきただ
山を七つ越せば、
キラキラ、金がみつかるとは――、
何たるこつちや、今時、冥利がつきる
やい、ウヌは何をぼんやり
気抜けのやうに立つてけつかる、
その繩を、こつちの袋に入れるだ。
唐鍬を入れたら砥石を忘れるなよ。
これ以上、貧乏する根気が無うなつたわい、
破れかぶれで、この爺が山越えする気持は、
村の衆の誰の気持とも同じだべ、
やあ、やあ、空がカッと明るくなつたわ、
未練がましい家へ火をつけた。
それもよかべ、度胸がきまるべ、
ついでに其の火の中へ
餓鬼を投りこんだら、尚更な――、
身軽になつたら
さあ、出かけべい村の衆。
明日はこの村には役場と駐在所だけが
ポツンと立つてゐべい、
村はみなガラあきになるべ、
やれ、威勢よく、石油鑵、誰が、ブッ敲くだ、
どんどん、タイマツつけて賑やかなこつた。
馬の野郎まで
行きがけの駄賃に、
馬小屋のハメ板ケッ飛ばしてゐるだ、
俺達も別れに、
役所の玄関に
ショウベン、じやあ/\やつて行くべよ。
何を、嫁はメソ/\泣いてゐるだ、
どうせ太鼓腹、
ツン出しては歩るきにくかべ、
腹の子、オリないやうに馬車の上に
うんとこさ、布団重ねて
乗つて行つたらよかべ。
――お天道さまと、生水とは
何処へ行つてもつきものだに。
河原に着いたら餓鬼共の、
頭、河に突込んで
腹、さけるほど水のませろ、
ヘド吐いたら、砂金飛び出すべよ。
せつぱつまつた村の衆の
七つの山越だに。
焼くものは、焼くだ、
ブッ潰すものは、ブッ潰し、
一つも未練残らねいやうにしろ。
生物といつたら
ひとつも忘れるでねいぞ、
村ひとつブッ潰し
砂金山へ出かけるだ、
行列、三町つづいて
たいまつ、マンドロだ、
牛もうもう、猫にやんにやん、
なんと賑やかなこつた、
山七つ越して
河床、ひつくりかへして
もし砂金なかつたら
また、山七つ越すべいよ
そこにも砂金なかつたら
また、山七つ越すべい
そこにも砂金なかつたら
また、山七つ越して町へ出べい、
町へ出たら、ズラリ行列
官庁の前にならべて皆舌べろりと
出したらよかべいよ、
歳がしらのわしが音頭とつたら
皆揃つて舌噛み切つて死ぬべ。
小熊秀雄
「小熊秀雄詩集」所収
1935
槐の蔭の教へられた場所へ、私は草の上からぐさりと鶴嘴をたたきこんだ。それから、五分もすると、たやすく私は掘りあてた、私は土まみれの髑髏を掘り出したのである。私は池へ行つてそれを洗つた。私の不注意からできた顳顬の上の疵を、さつきの鶴嘴の手応へを私は後悔してゐた。部屋に帰つて、私はそれをベッドの下に置いた。
午後、私は雉を射ちに谿へ行つた。還つて見ると、ベッドの脚に水が流れてゐた。私のとりあげた重い玩具の、まだ濡れてゐる眼窩や顳顬の疵に、小さな赤蟻がいそがしく見え隠れしてゐる、それは淡い褐色の、不思議に優雅な城のやうであつた。
母から手紙が来た。私はそれに返事を書いた。
三好達治
「測量船」所収
1930
かぜよ、
松林をぬけてくる 五月の風よ、
うすみどりの風よ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ねむりの風よ、
わたしの髪を なよなよとする風よ、
わたしの手を わたしの足を
そして夢におぼれるわたしの心を
みづいろの ひかりのなかに 覚まさせる風よ、
かなしみとさびしさを
ひとつひとつに消してゆく風よ、
やはらかい うまれたばかりの銀色の風よ、
かぜよ、かぜよ、
かろくうづまく さやさやとした海辺の風よ、
風はおまへの手のやうに しろく つめたく
薔薇の花びらのかげのやうに ふくよかに
ゆれてゐる ゆれてゐる、
わたしの あはいまどろみのうへに。
大手拓次
「藍色の蟇」所収
1936
南風は柔い女神をもたらした。
青銅をぬらした、噴水をぬらした、
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした、
潮をぬらし、砂をぬらし、魚をぬらした。
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした、
この静かな柔い女神の行列が
私の舌をぬらした。
西脇順三郎
「Ambarvalia」所収
1933