Category archives: 1930 ─ 1939

妹へおくる手紙

なんといふ妹なんだらう

──兄さんはきつと成功なさると信じてゐます。とか

──兄さんはいま東京のどこにゐるのでせう。とか

ひとづてによこしたその音信のなかに

妹の眼をかんじながら

僕もまた、六、七年振りに手紙を書かうとはするのです

この兄さんは

成功しようかどうしようか結婚でもしたいと思ふのです

そんなことは書けないのです

東京にゐて兄さんは犬のやうにものほしげな顔してゐます

そんなことも書かないのです

兄さんは、住所不定なのです

とはますます書けないのです

如実的な一切を書けなくなつて

とひつめられてゐるかのやうに身動きも出来なくなつてしまひ

 満身の力をこめて やつとのおもひで書いたのです

ミナゲンキカ

と、書いたのです。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

 

喰人種

嚙つた

父を嚙つた

人々を嚙つた

友人達を嚙つた

親友を嚙つた

親友が絶交する

友人達が面会の拒絶をする

人々が見えなくなる

父はとほくぼんやり坐つてゐるんだらう

街の甍の彼方

うすぐもる旅愁をながめ

枯草にねそべつて

僕は

人情の嚙ざはりを反芻する。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

現金

誰かが

女といふものは馬鹿であると言ひ振らしてゐたのである。

そんな馬鹿なことはないのである

ぼくは大反対である

諸手を挙げて反対である

居候なんかしてゐてもそればかりは大反対である

だから

女よ

だから女よ

こつそりこつちへ廻はつておいで

ぼくの女房になつてはくれまいか。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

求婚の廣告

一日もはやく私は結婚したいのです

結婚さへすれば

私は人一倍生きてゐたくなるでせう

かやうに私は面白い男であると私もおもふのです

面白い男と面白く暮したくなつて

私ををつとにしたくなつて

せんちめんたるになつてゐる女はそこらにゐませんか

さつさと来て呉れませんか女よ

見えもしない風を見てゐるかのやうに

どの女があなたであるかは知らないが

あなたを

私は待ち侘びてゐるのです

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

鼻のある結論

ある日

悶々としてゐる鼻の姿を見た

鼻はその両翼をおしひろげてはおしたゝんだりして 往復してゐる呼吸を苦しんでゐた

呼吸は熱をおび

はなかべを傷めて往復した

鼻はつひにいきり立ち

身振り口振りもはげしくなつて くんくんと風邪を打ち鳴らした

僕は詩を休み

なんどもなんども洟をかみ

鼻の様子をうかがひ暮らしてゐるうちに夜が明けた

あゝ

呼吸するための鼻であるとは言え

風邪ひくたんびにぐるりの文明を掻き乱し

そこに神の気配を蹴立てゝ

鼻は血みどろに

顔のまんなかにがんばつてゐた

 

またある日

僕は文明をかなしんだ

詩人がどんなに詩人でも 未だに食わねば生きられないほどの

それは非文化的な文明だつた

だから僕なんかでも 詩人であるばかりではなくて汲取屋も兼ねてゐた

僕は来る日も糞を浴び

去く日も糞を浴びてゐた

詩は糞の日々をながめ 立ちのぼる陽炎のやうに汗ばんだ

あゝ

かゝる不潔な生活にも 僕と称する人間がばたついて生きてゐるやうに

ソヴィエット・ロシヤにも

ナチス・ドイツにも

また戦車や神風号やアンドレ・ジイドに至るまで

文明のどこにも人間はばたついてゐて

くさいと言ふには既に遅かつた

 

鼻はもつともらしい物腰をして

生理の伝統をかむり

再び顔のまんなかに立ち上つてゐた。

 

山之口貘

思辨の苑」所収

1938

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

 

三好達治

測量船」所収

1930

雨ニモマケズ

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

宮沢賢治

1933

汚れっちまった悲しみに

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革裘

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

倦怠のうちに死を夢む

 

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる・・・・・・

 

中原中也

山羊の歌」所収

1934

傷ついて、小さい獣のように

心は 歌は 渇いている 私は 人を待っている

私の心は 貧しきひとを 私の歌は 歓びを

もの欲しい不吉な影を曳き 私は索めさまよっている

千の言葉をよびながら 見かえりながら歌っている

 

獣のように 重くまた軽く 私はひとり歩いている

日はいつまでも暮れないのに 私はとおくに

不幸な穉いこころを抱き 私は求め追うている

口ぜわしく歌いながら 繰り返しながら呼んでいる

 

雪は 道は 乾いてしまった 私は人を呼んでいる・・・・・・・

それは来るかしら それは来るだろう いつかも

くらい窓にたたずんで 私は 人をたずねていた

 

だあれも答えない 誰も笑わない 私はひとり歩いている

最後の家の所まで 私はとおくに 日はいつまでも暮れないのに

私はひとり歩いている 私はとおくに歩いている

 

立原道造

立原道造詩集」所収

1939

蹄鉄屋の歌

泣くな、

驚ろくな、

わが馬よ。

私は蹄鉄屋。

私はお前の蹄から

生々しい煙をたてる、

私の仕事は残酷だろうか。

若い馬よ、

少年よ、

私はお前の爪に

真赤にやけた鉄の靴をはかせよう。

そしてわたしは働き歌をうたいながら、

──辛抱しておくれ、

  すぐその鉄は冷えて

  お前の足のものになるだろう、

  お前の爪の鎧になるだろう、

  お前はもうどんな茨の上でも

  石ころ路でも

  どんどんと駆け廻れるだろうと──、

私はお前を慰めながら

トッテンカンと蹄鉄うち。

ああ、わが馬よ、

友達よ、

私の歌をよっく耳傾けてきいてくれ。

私の歌はぞんざいだろう、

私の歌は甘くないだろう、

お前の苦痛に答えるために、

私の歌は

苦しみの歌だ。

焼けた蹄鉄を

お前の生きた爪に

当てがった瞬間の煙のようにも、

私の歌は

灰色に立ち上がる歌だ。

強くなってくれよ、

私の友よ、

青年よ、

私の赤い焔を

君の四つ足は受け取れ、

そして君は、けわしい岩山を

その強い足をもって砕いてのぼれ、

トッテンカンの蹄鉄うち、

うたれるもの、うつもの、

お前と私とは兄弟だ、

共に同じ現実の苦しみにある。

 

小熊秀雄

小熊秀雄詩集」所収

1935